Vol.32 最適とは?
昨日は、目的や目標に立ち還ることの大切さについて書きました。
それはそれで大切なのですが、子どもが自ら目的に立ち還っているのかどうかも考えていかないといけないなと思いました。結局、教師が目的や目標を示すことによってその子の意見を間接的に否定してしまってはいけないと思いました。もしかしたら、絶対的な目的・目標であればあるほど、強い否定になってしまうおそれもあります。
『今すぐにできるようになる』ということを求めすぎると、即時反応してしまいます。ある子のある発言を聴いたとき、ある子のある様子をみたとき、なにがその子の中で起きていて、今、教師としてどうすることがいいのかを考えることが大切なんだろうなと思っています。
例えば、国語科でも社会科でも、なんでもそうですが、単元1時間目に多く見られる認識のズレをどう扱うかだろうなと思っています。ある子は2時間目以降自分で追究を進めていくことで認識のズレに気づき、ある子は本質を理解している友達と考えを聴き合うことで気づく。ですが、最後の時間まで右往左往している子もいる。
認識のズレに教師として一人ひとりにどんなアプローチをしていくのかを考えることが大切だと感じています。
僕は、1時間目に間違っていることを修正するみたいなことをしてしまったことがあります。「それは違うでしょ」と一方的に伝えました。ですが、そうやって教師が伝えることで理解度が100%になるなんてことは難しいです。一人ひとりには一人ひとりの見つける、気づく過程があり、その過程に寄り添いながら教師としてできることを考えることが大切なんだろうなと思っています。
すぐに、すぐに、を意識しすぎてしまうと間違った判断をしてしまいそうです。だからといって「なにもしない」というわけではありません。「なにもしない」ではなく「その子を見取っている」ということ。その上で『ここじゃない』と判断し、次の指導に生かす。こんな感じかなと思っています。
「子ども主体」について突き詰めていくと、まだまだできていないことが見えてきます。まだまだ考えたいことがたくさんあります。
その子をそのままみることは大切です。ですが、教師としての様々な経験が想定・想像する力を高めていくんじゃないかなとか、思っています。
「見取りと経験」についてはまたどこかで一緒に考えてください。
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