Vol.53 立ち還る場所

 教師が子どもの悪口を言ったらおしまい、ということです。例えば「生活リズムがくるっているから正すべきだ」というように、大人の考えるあるべき子ども像を押しつけて、その視点から子どもを「よい」「悪い」と判断するような見方、論じ方だけは、教育に携わる者は絶対にしてはならない。たとえ本音ではそう思っていたとしてもね。子どもに「なんでこんなこともできないんだ、ダメなやつだな」と言って、子どもが「じゃあ、がんばります」となるわけがない。

汐見稔幸(2018),子ども・保育・人間 P14

 ちゃんと、“その子”を知ろうとしないとおかしな方向へと進んでしまいます。

「あいさつを徹底させる」「名札を必ず付けるように厳しく言う」「ろうかを歩かせる」「机の上を整えさせる」「机に出す物を統一する」「5分前行動の徹底」は大切だけれど、どこかで子どもたちのおもいを見ようとする姿勢を失っていないかなと思います。

 だからといって、それらを統一することをしないというわけではありません。どれも大切なことです。こういうことを統一するときでも、教師のおもいと子どもたちのおもいが重なるようにしていきたいです。

 ですが、それが本当に難しいです。でも、大切にしたいと思っていることってちがって当たり前なんだろうなと思っています。子どもと教師という間でも同じです。統一することは難しいことだと思います。一方的に押し付けるなんてことは、表面的にしかうまくいかないんだと思っています。

 でも、本当に難しいです。「さらっとうまくいくおもいの重ね方」みたいなことってないですよね。だからこそ、ルール化してしまいたい気持ちも十分わかります。そうすると、なんだか相手に対して強く出れるんですよね。

 「子どものおもい」と「教師のおもい」、一人ひとりの捉え方・見方、教師としての振る舞い方、様々なことをもっと複雑に考えていこうとすると結局僕は、「なにもしない」になってしまっています。

 「なにもしない」では成長できません。なので、まずは、子どもたちの見方から意識して取り組んでいこうと思います。

 わたしたちはつい、人は本来こういうことができて当然だ、というふうに思いがちです。「できない」というのは本来あるべきものが「ない」ということだから、相手に「ないもの」を見つけ、それをできるようにしてやろう、というのは、ある意味わかりやすい教育論です。・・・
 つまりその時代によって、人々がふつうにすること、できること、そしてやりたいことは大きく違っているのに、常に「自分」を基準にして人ができないことを否定的に見る、これがいちばん大きな問題なのです。人とよい関係を作りたいなら、相手の中に「ないもの」ではなく、「あるもの」をどう探すかを考えなければなりません。

汐見稔幸(2018),子ども・保育・人間 P16


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?