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Vol.145 『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』

 今日は、この本の読書会に参加します。冬休みに入る前から少しずつ読み進めていました。ボリュームもなかなかあって、内容も広くて読み応えのある本でした。この本を読みながらずっと考えていたのは「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実です。この本を通してたくさんの先生の言葉から「一体的な」について考えさせていただくことができました。

 もちろん「個別」と「協働」と分けて学びの場をつくることも大事だと思います。個別に学ぶからこそ、その子にとってよりよい学びへとつながることもあるでしょうし、あるときには協働的に学ぶからこそ新しい学びへとつながるでしょうし。だからこそ、やっぱり大切にしたいなぁと思ったのは「その子の学びをちゃんと見取り続けること」です。

どのようにその子の学び方が変化しているのかを継続的に把握することも期待される。こうした個人差に着目することが自律的に学ぶ学習者を指導・支援する教師に求められるといえよう。

伏木久始(2023),「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して P86

 「個人差」という言葉を悪いように捉えるのではなく、「一人ひとりが注目していることは違う」といったように捉えて僕は読みました。注目していることが違うからこそ、まずは一人でじっくり学び、考えをつくっていくような過程を大切にする。その後、また新しい考えとの出会いを通してよりよい気づきが生まれてほしいとおもい、考えが重なる、広がる場づくりをする。その協働的な学びの場で生まれた気づきをもとにまた個へと還っていく。

 こういった学びの場を一体的に充実できると一人ひとりがよりよく学ぶことができるんだろうなと思いました。

 あらためて、教師の役割っておもしろいなぁと思います。このあたりの感覚的なところの見え方が変わってくるとできること、やるべきことが増えていきます。見えていなかったら、どこか「任せておく」とか「自然と生まれるもの」に頼ってしまってうまくいかなくなります。

 もちろん、最終的には、教師の手から離れて子どもたち同士で学びの場をつくっていくことができるといいでしょうけど、正直まだそこまで僕自身が見えていないところがあります。変に「挑戦」みたいなことをしては誰のためにもならないものになってしまいます。

 「協同」についても読みながら考えていました。まだぼんやりしている感覚が残っています。もう少し、子どもたちの学びを見取りながら「学ぶ」というところの感覚を高めていきたいです。

 今日は他の先生がこの本のどこに注目したのか、そこで何を考えたのかを聴きながら、また読み直し、整理し、ふりかえることにつなげていきたいなと思っています。また別の機会にもし読まれた方がいらっしゃったらお話ししたいですね。

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