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中国と書物の記(4)【著書の誕生】

【俺の著書を読んでください!】

諸侯たちは権威と実力を失った周王朝を次第に軽んずるようになっていきます。まだ、春秋時代はある程度は周王朝に対する敬意が払われていましたが、戦争時代に入ると、諸侯は自分たちがやりたいように好き勝手するようになります。
周王朝の秩序は、前回お話しした封建制によって保たれていましたが、これもなし崩しになってしまいます。封建制では身分・職分が世襲・固定されていましたが、無能な大臣が部下に倒されたり、果ては実力をつけた大臣が主君である諸侯にとって替わるような事件も起こります。実力がモノをいう時代…強い者が上にのぼり、弱い者はそれに従うか、さもなくば滅ぼされる弱肉強食の時代です。

諸侯は強くなくては生き残れない。滅ぼされないように自分の国を強くするために必死になります。そのためのよいアイデアがあれば他国出身者や身分が低い者の意見であっても取り入れようとします。

さて、現在でも自分の実績を示す手段として名刺代わりに著書をアピールすることがありますよね。春秋時代の末期にとある有名な武将が同じことをしたという記録がのこっています。
日本の戦国武将である武田信玄やフランスのナポレオンが絶賛し、現代日本でもビジネスマンなどから人気を集めているあの人…

孫子です。

彼は呉という国の王に自分を売り込むために自らの著書を送ります。もちろん、当時はまだ竹簡や木簡に筆で手書きしたもので、現在の著書のように出版されてお店で売っているというものではありません。そういう意味から、イメージとしては自己PRのための論文の方が近いかもしれません。果たして彼は王に登用されて将軍となり、大いに活躍しました。

このときの彼の著書は『孫子』として伝わり、現代でも読むことができます。古典で学ぶビジネス本の定番としてその解説書は今でも新刊が出版されているくらいです。
紀元前の話ですから、これはもう歴史的な超ロングセラーですね。

【乱世に満開・思想の花】

自分が考えた国を強くするアイデアを採用してもらえれば出自に関係なく出世できるというチャンスです。それまでは世襲で一部の家柄に独占されていた地位に実力昇ることができるようになる。
また、滅ぼされた国の旧臣は母国を失ったことで職を失い、インテリ失業者が増えることになりました。
彼らは「私には乱世を生き延びるためのよいアイデアがあります」そして「(オレを採用してください)」と。彼らは諸国を渡り歩き、自分の考えを諸侯に売り込んでまわります。かの有名な孔子も諸国をめぐって諸侯に自分の意見を説いてますが、あれは一種の就職活動でもあったのです。諸侯の側からすれば即戦力となるブレーンを探す採用活動とでもいえましょうか。

周王朝の権威が失われたことで封建制のように大きな力を持つ思想がなくなりました。弱肉強食の厳しい時代ではありますが、そこに生まれた何としても生き残りたい諸侯と、立身出世を夢見る人々たちの採用活動・就職活動は自由で豊かな思想活動となって乱世の古代中国に花を咲かせます。その様子はたくさんの花が一斉に咲く様子に例えられ「百花斉放」と称されています。

とるに足らないような主張から、現在にまで影響を及ぼし続けている思想まで。中国史上、最も自由闊達な思想活動が現れた時期でした。「諸子百家」の時代とも呼ばれます。
ところで、先ほど出てきた孫子もそうですが、中国の古典は「◯子」がたくさん出てきます。孔子、孟子、老子、荘子、韓非子などなど。この「子」というのは「先生」というくらいの意味です。孔子は孔先生、孫子は孫先生という感じです。「諸」は「もろもろ、たくさん」という意味なので「諸子」は「たくさんの先生」となります。
彼らは多くの弟子を抱え、学団を作ります。孔子を先生とした、いわゆる儒教を学ぶ学団を儒家と呼ぶように「家」には「学団、思想集団」というような意味を持ちます。中国語で百と言った場合、実際に百という数ではなく「たくさん」という意味を表したりします。「百家」は「たくさんの思想集団」ということです。

有名な孔子もこの「諸子百家」のひとつです。こうして思想活動が活発になることで、それまで世襲・家伝に限られていた書物が世に出てくるようになります。次回は諸子百家の時代と書物のひろがりを見てみたいと思います。乞うご期待!

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≪最終更新日2020年9月18日≫

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