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社会をアップデートした国・しなかった国

最近、韓国映画『国家が破産する日』を観た。次々に現代史を映画化し、それを正史としてせっせとアーカイブ化している韓国映画界で、IMF危機と呼ばれる、アジア通貨危機の総決算、1997年末に始まった韓国通貨危機を描いた映画である。

実は最近、ちょっとした縁で韓国の自殺対策について調べている。それとは関係なく本作を観たのだが、一般に韓国では「IMF危機以前の韓国では自殺が少なかった」と言われている。

尚、現在の韓国の自殺率の高さを下から支えているのは高齢者の自殺のように思う。統計によると、65歳以上の自殺率が最も高く、韓国政府の『2020年自殺予防白書』でもその点にかなりのエネルギーを割いて状況を分析している。その概要がここに和訳されている。

高齢者の自殺率は53.3で、全体平均の2倍以上であり、OECD加盟国の高齢者自殺率(18.4)の3倍の水準である。

※この53.3とは10万人当たりの死者数を示す。日本は25.8人(2013年)だったとのこと。

自殺や失業は悲劇として『国家が破産する日』ではテロップで言及されていたが、同作が何気に言及を避けていた側面を示す指標もある。

IMFの介入が後の韓国の経済発展にどう寄与したか、という点である。韓国の一人当たりGDPは、2019年現在4万ドルで、直ぐに日本を抜くと言われている。かつて「2万ドルを目指せ」と言っていたのを記憶しているが、知らぬ間にそれは実現され、おまけにライバル視してきた日本に肉薄している…。これはどういうことなのだろう。

IMF危機を描いた映画だが、あの映画の原題は「国家不渡りの日」であり、破産の日ではない。あの作品は、IMF危機によってひどい目を見た人がたくさんいた、という事実の他に、後進的で遅れた韓国経済の構造を一新しなければならない、という真理を繰り返し指摘していた。「不渡り」が出る。つまり、お金を借りて事業をやるときの考え方に弱さがあり、そこに海外投資家が目をつけたんだ、我々の弱さなんだ、という風にも読めるのだ。積極的にIMFの介入を進める財務官僚が一応「悪役」なのだが、私には必ずしも彼は悪役には見えなかった。そして、変化に適応して何とか生き延びた人々…映画の中では中小企業の社長…にとっては、あの財務官僚こそが救世主と見えるのではなかろうか。借金苦で自殺まで考えた中小企業の社長の息子が20年後に入る大企業の社長は、あの危機をうまいこと乗り越えた人物だ。皮肉だとも言えるが、何だか皮肉にしては妙に肯定的な感じもした。大企業の社長は息子に「誰も信じてはいけない」と笑顔で諭した後、工場で働く外国人労働者を厳しく叱咤する。そこに作り手の皮肉が感じられない。

本当は…韓国は、経済構造改革によって、古いもの・遅れたものを切り捨てることに成功してよかったのではないだろうか。常に高齢者が自殺し続けるのも、低出産・非婚が増え人口が減り始めているのも、ある面では経済・社会の最先端化だ。ひどい言い方だがいいことなのかもしれない。そして、経済構造改革が中途半端に終わった日本が、じりじりとフレッシュさを失いながら失速しているのは対照的だ。韓国のような荒療治をしなかったことでグローバル化に立ち遅れたが、一方で、韓国のように、自殺がどこかの層に偏って見られることがないのかもしれない。

日本の構造改革の痛みを描いた映画としては、伊丹十三の『スーパーの女』が思い浮かぶ。まあ、本当の構造改革はもっと後の小泉時代にクるわけだけど…。

経済成長が雇用や本当の所得上昇や失業率の低下に結びついていれば、一般には自殺は減る。韓国は確かに、リーマンショック以降はじりじりと自殺率が下がっている。だが、高齢層では相変わらず高い。韓国のニュースでは、高齢層の自殺の原因は、貧困と社会的な孤立だと言っている。子供たちに迷惑をかけられない、と思って経済的支援を遠慮するようなことも起きているらしい。何と言っても、子供の出世のために田畑うっぱらうような文化だもんな…。繁栄と切り捨て。痛みを伴って成長する壮絶さ…あの映画のみならず、韓国映画はその部分を突いているようでいて、私からすると微妙な温度差を感知する。映画のラストは、繁栄するソウルのカンナム地区をバックに、「また危機が近づいている」と警告する若い女性の姿で終わっている。その社会全体を批判してはいない。「切り捨ててごめん」という厳しさは織り込み済みなのだということが感じられる。そこなのだ。韓国映画の面白さでもあるし、韓国社会のダイナミズムでもあるけれど、その厳しさは日本にはない。そして、無いからこそ私がまだ生きられているのではないか。そんな気がしてならない。

日本は、恐らく、今まで通り、グローバル化という意味では極めてゆっくりとした態度で対応するだろう。

こんな感じで、現場の職人技によって危機を地味に乗り越えていくのかもしれない。

でもいっぺんグローバル化した韓国社会は、常に世界の動きに連動したスピードで変化していくだろう。そして、今の「世界の動き」に連動したスピードで動く社会というのは、高齢者や変化についていけない人を切り捨てていくことが織り込み済なのではないか…そんな気がしてしまう。

韓国では、セクハラの訴えによって追及を受けたソウル市長が自殺した。市民運動を率いてきたような人がそんなことをしていることが明るみに出れば即、排除される。時代の変化についていけない、淘汰に負けるとはそういうことだ。そのような形で古いものを追いやって行く…日本はちっとも変わらないなぁ…と不満に感じる人にとっては、韓国の荒療治とその「目覚ましい」成果は、やはり好ましいものとして映るだろう。残念だが社会はそういうことを経験しないと変わってはいかない…あんまり考えたくないが、私自身、この半年で人生の方向性が否応なく変わり、より厳しい競争や状況に晒されるようになったので、こういうことを考えるのだろう。本来は厳しい世界の姿を目にして、結構ショックで落ち込んだりもした私なのだが、もう気にしても仕方ない。うまく行こうが行くまいが、ただ一日一日を、朝の布団から夜の布団に向かって進むだけ。それを繰り返す中で、何かちょっと面白いことがあったらいいな…その位にしておこう。

多分、昭和的な安楽さから抜け出す試験の始まりなんだろうな。

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