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書評と言うより感想文『The Girl in Room 105』Chetan Bhagat著

まだ銀行口座が無いから配信系映画をこの三ヶ月まともに観ていない。そのイライラを埋めるため毎日毎日YouTubeのゆっくり解説動画で世界の悲惨な事故動画を観ているのもどうかと思い、また英語を本当にやらなきゃという必要に迫られ、本屋さんで英語の小説を買った。それが、インドのベストセラー作家チェタン・バガトの『The Girl in Room 105(105号室の女)』。ちなみに半額セールだった。一緒に半額になってたアメリカの左翼思想傾倒に関する本も買っとけばよかった。

すごいね、まるで映画化されたかのような立派なコマーシャル付き!

英語は極めて平易で私でも楽しめた。ということは勉強にならんのだけど。チェタン・バガトは映画『きっと、うまくいく』の原作者。なので、小説も面白かろうと思ったの。期待通りかな。

日本語になるか分からないからネタバレ全開で書きます。

【こんな話よ】

デリーの名門理工大学卒なのに、名門校…入学のための予備校講師としてうだつの上がらない人生を送るケシャヴは、数年前に別れた彼女、ザラのことが未だに忘れられず、酔って彼女に電話をしたりする有様。既にザラには婚約者までいたのだが…。ある日ザラから突然、また会いたい、あなたのことが忘れられない、とメッセージが。まだ大学院生のザラが住む同じ名門校の寄宿舎の部屋、105号室には、かつてと同じように、マンゴーの木を登って窓から入り、逢瀬を楽もうとするケシャヴ。しかし、入ってみたらザラは何者かに殺害されていた。むろん大騒ぎになるが、寄宿舎のガードマンが逮捕されてしまった。でも誰がどう見ても彼がやったとは思えないケシャヴはルームメイトと共に、犯人探しに乗り出す。そこで、ザラの過去、家族、宗教、警察とマスコミ、過激派、容姿や肌の色など、高度経済成長に興奮するインドの若者が直面する現実が明らかになって行く。

カシミール出身のムスリムであるザラと、ラジャスタン出身の名家のヒンドゥー教徒で、父親はヒンドゥー至上主義団体に所属しているというケシャヴは、元々うまく行くはずが無かった。ケシャヴは自分の両親に、ザラを恋人として紹介することができないまんま、『友達』としてザラを実家に連れて行く。そこに彼の弱さが出ている。結局両親は交際に反対。カシミール出身なんてテロリストか、などと裏で言っており、結局ザラを追い出すような形になる。

反対にザラの家には恋人としてケシャヴが紹介されるが、父親は、ムスリムに改宗しないなら交際を認めないと宣言。ザラも同調。ちなみに母親はほとんど発言しない。

典型的な宗教の問題をコミカルに描いてみせたのだと思うけど、この国では、宗教の異なる恋人を親に会わせるのと、同性の恋人を連れて行くのと(場合によってはカーストも)大差ないくらい難しいことなんだと思った。

インドは確かに多様なものが同居しているが、別に人々は寛容ではない。どっちかといえば頑固で保守的だ。自分の利害と関係ないことに対しては、大きな視点から物事を見直すことに価値を置いているように見えるけど、あくまで他人事だからに過ぎない。人によって判断がバラバラ、家族でもバラバラ、性別でもバラバラ、宗教やカーストでもバラバラ、貧富の差でもバラバラ…粉々になっている彼らを結んでいるのはカレー粉と強引さくらいではないかと思う。

彼らの交際がダメになった理由は、確かに彼ら自身がその試練に耐えられなかったということなのだが、読んでて悲しい気持ちになる。いがみあう必要のなかった2人なのに。

ザラの次の恋人、ラグは、見た目は冴えない南インド出身のヒンドゥー教徒だが、結婚にあたり改宗することに同意した。自分でIT企業を立ち上げ、会社の権利を半分ザラに渡しており、ケシャヴは嫉妬を隠せない。一方でケシャヴは、一応見た目のいい男ということになっており、これが最後に効いてくることになる。

話が進んでいくと、実はザラにはラグ以外に一時的に、家族ぐるみの付き合いのあるカシミールの男、軍人のカイズと浮気をしていたことまで判明。

カイズは背が高くハンサムで色が白いようである。ジョークのように、彼は、ザラとラグが結婚したら黒い子供ができる、我々が子ども作れば美しい子ができる、とザラにメッセージをし、ザラも否定はしない。そのやり取りをラグが読んでしまったことが最後の方で分かるんだけど、これはつらい。

ラグのセリフにもある通り、黒い=醜いという含意がある。ザラとカイズはカシミールのムスリムという点でインドではマイノリティで肩身が狭いのだが、肌の色と容姿という点において圧倒的な優位に立っている。

ラグは自分の冴えない容姿や性格を勉強とビジネスで補っているというコンプレックスがあるのね…。

ザラはケシャヴとうまくいかなかった後、容姿や性格に妥協して結婚相手としていい相手であるラグを選んでいたことが分かる。実は彼女は勉強のためアメリカに行くという希望があったところ、ケシャヴと交際するため諦めてデリーの大学院に入ったのだという過去がある。おまけに大学院では性的関係を迫ってくる教授の下にいてザラは困り果てていた。これも辛い。

警察の体質もなかなか重たい。最初逮捕されたガードマンは、はっきり誤認逮捕なのだが、地方出身で貧しいガードマンのことを大事に扱うはずがない、と描かれている。ケシャヴは、なぜインドの警察は自分より目下の人々をビンタしてもいいことになっているのだろう、と述べている。

マスコミの騒ぎ立て方の描写も面白かった。ともかく騒ぎ立てることが好きな国民…ということは韓国のように、皆が政治が大好きで政治意識が高い…なので、ニュースも基本的に煽りまくる。インドのテレビニュースを観ていると本当にそう思う。国会議員選挙の前の盛り上がりがすごいのよ。State of Warってテロップ出してて。

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↑万事がこの調子。パンジャブの名門出身のマジティア議員と、クリケット選手出身でテレビ界で活躍したギラギラ系シドゥ議員の争い。内容はほとんどどうでもいい。とにかく騒ぐ。大統領選挙前の韓国も全く同じ。

そういう騒ぎ好きの国民性も、最初の方の警察署での様子からわかる。マスコミが犯人探し好きなのは万国共通だが、映画『ピザ!』『こちらピープリ村』『PK』を観ると、正義とか奇跡とか驚きのエピソードとか、何か常識を覆すような凄いものに国民が強く反応するのがよくわかる。やっぱりインド四千年の歴史と十億人の重みで疲弊して諦め切ってるわけよ、皆。どうせまたアレでしょ〜くらいに思ってる。しかし、保守的な社会であるが故にガス抜きもたんまり用意されている。人々は噂好きで詮索好き、騒ぎを見物したくて仕方ないのだ。宗教保守のアメリカも、ドラッグから映画まで、ガス抜き手段は多彩だ。

高学歴でも、高収入の仕事に就くのは狭き門ということや、優秀でもあと二歩くらい足りない層のうだつの上がらなさがしみる。そして高等教育にアクセスすらできない人々がたくさんいるということ。厳しい社会だと思う。

また、過激派組織に入れ込んでしまうカシミールのムスリム青年のエピソードもつらい。何が意義のあることなのかという生き方の問題だけど、カシミール出身のムスリムというハンデを負わされ、ザラのようにデリーで優秀な成績を収めたり、カイズのように軍人としてインドに尽くして来ていたり、そういう現実的適応をするにもものすごく努力や能力が必要なわけで、そこまでたどり着けないというポイントで挫折した青年を呑み込む魔界の穴はそこら中にある。

まあそんなこんなで事件は意外な解決を見せるんだけど、最後にでもまあ、生きてるから、いいか!と気持ちが切り替わる辺りにインド人の本当の強さがあるように思った。軽く読めて、最初にも書いた通り英語が平易ですぐ読める。映画になってもいい内容だと思う。


追記。

何故部屋番号が105なのに木に登って部屋に入ったのか。インドでは日本語の一階はG=地上階という意味なので、105は実質2階の部屋を指す。でも、私の住んでいるラビリンスアパートのエレベーターに乗ると、Gと1の間にSという謎の階があるため105は実質3階になる。よく分からない…


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