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竹美映画評78 やるせない田舎の村の記憶 『Virupaksha (విరూపాక్ష)』(2023年、インド、テルグ語(ヒンディー版))

Virupakshaが日本で限定公開されたのを、日本のテルグ映画ファンが観て感想をアップしていた。黒魔術が出ている!何ぃ・・??完全にノーマークだったことを恥じ、近所でまだ1日1回だけ辛うじてヒンディー版をやっているのを見つけ、彼氏を説得して(彼は黒魔術モノは好き)観に行った。これがまた、金曜日に観たぐったりする映画とは全然違う方向にぐったりして、大当たりだった。

インドホラーがコメディパート無しで展開している。

Screenplay(脚本と原作がどっちがどっちなのか分からないの…)に、『ランガスタラム』(ラームチャラン様…日本公開祝)の監督スクマール。ますます好きになった、スクマール。主演はサイ・ダラム・テージで、役名はスーリヤ(太陽!)。今回初めて知ったがなかなかよかった。しかも泣く子も黙るテルグ映画界の名門、コニデラ家、つまりラームチャランの親戚だってゴゴゴゴゴ

ヒロイン・ナンディニ役に、サムユクタ・メノン(సంయుక్త మేనన్はこの読みでいいのか?)。初めて観た女優だったが、ミニー・ドライヴァーのような、若いときのシェールのようないい顔をしていた。

おはなし:

1978年、村の子供の間で流行った疫病の治療のため、魔術の力を借りた医者が、「黒魔術を行っている!やつらが疫病の原因だ!」と押しかけて来た村人に処刑される。処刑されながら医師の妻は呪いの言葉を叫んだ。1992年、村にしばらくぶりに戻って来た青年スーリヤは、村の娘ナンディニといい仲に(ありがち)。しかし怪異が忍び寄り、祭りの真っ最中にお寺の中で老人が血を吐いて死んだ。おまけに病気だ!村を清めるため村を封鎖することを決めた僧侶。そんな中相次いで奇妙な自殺を遂げる住民たち。それを調べるうちにスーリヤは12年前の事件に行き当たる。

村の秘密ミステリー&黒魔術

インドの田舎社会の闇を描く作品がちょっと過去の状況を描くのは流行なんだろうか。「2020年代の今、お前は知らないだろうが、父さんが子供の頃はな…」という語り継ぎのノリを感じる。スーリヤが探偵よろしく村の過去を調べていく様は、金田一耕助シリーズのようだった。村ホラーでは、村の集合記憶というのは大体よくないものを抱えているものよ!この村は過去に凄惨なリンチ事件を起こしていた。警察はいないのかッ!?地主はいるがッ?字幕無しで観たから分からないのだが、なんかそれももはやインド映画としては標準のようにも思う。更に、あんまり個々人が罪悪感を感じてなさそうなところがインド映画ね。日本ホラーだったら多少なりともその「みんながタブーにして語りたがらない部分があって、それをヒーローが(脅して)長老から聞き出す」というのが鉄板かと思う。

黒魔術が展開する胸アツシーンも非常によい。一緒に印を結びたくなるよ!!台湾ホラーの『呪詛』と同じように!ほらあなたも、ほーほっしぇんいーしーせんうーまー…

魔法陣から光がぼわあああんと浮かぶところとか、火の玉結界みたいなのが生まれたり、それでいて哀しい復讐の物語でもある。本作は、別の視点から構成しても非常に面白い作品になったのではないかと思う。

ネタバレになるので言いにくいが、1977年のメキシコホラー、『鮮血の女修道院/愛欲と情念の呪われた祭壇』にもなりえる内容でもあろうか。同作は、家族というものから放逐された孤独な少女たちが黒魔術の力で自分たちを(意味も分からずに)解放しようとする物語だ。『キャリー』もどうだろう。

と一瞬思ったが、やっぱりインドでは家族主義が非常に強いために上記の形にはならないだろう。2015年のアメリカ映画の『The Witch』や、ベルギーの『RAW 少女のめざめ』のような、魔女の中に、「個」としての解放を読み込む物語というのは、まだインドでは受けないかもしれない。その意味では昨年のボリウッド作品でカトリーナ・カイフの快作だった『Phone Bhooth』は、家族主義から離脱した女(魔女と言ってもいいだろう)を善玉として描いていて新鮮だった。

スーリヤ=サイ・ダラム・テージの健気さ…

今回のヒーローは、ガチムチで胸毛がときおりチラつくインドの好青年だ!そして何だかこう言っていいか分からないが、戦隊ヒーローもののリーダー役のような感じがした。親しみやすく、健気でかわいらしいところがあった。十何年ぶりに田舎に戻って来た青年が似合っちゃう。あのタイプは、都会から戻ったからって(知らんけど…)、都会風なんか吹かせないで、一瞬で田舎に馴染めるのよ!あの一族はやっぱり、田舎で発奮する系の役をやると冴えるのよね!!!

親しみの持てる肉厚兄貴って素敵…。

あなたの乾いた腐葉土にどうぞ。スター兄弟の美味しいカットよ!こんなのがほしかったんだろうっ?弟が怖いくらい美しい。

さて、コニデラ一族の大ボス、チランジーヴィ様も、実はかつてホラー映画『Punnami Naagu పున్నమినాగు』で悪役をやっていたことがあるのだッ。

Mithuraaj Dhusiya著『Indian Horror Cinema』(未だに読み終わらない。英語の本読むと3ページでおやすみの国に誘われるの…そして深夜に目が覚めて眠れないという…)で取り上げられていて初めて知った本作。ナーグという名前から分かる通り、蛇に関するホラー。チランジーヴィ様、こんなに妖しくて魅力的な悪役やってらしたなんて知らなくてあああああん…同著によれば、カーストの問題やら色んなものを含んでいて興味深い作品だそうな。YouTubeにあるからいつか観てみようと思う。

さて、サイ・ダラムの役まわりって、『Ammoru』のヒーロー(こちらも名前がスーリヤ)と似てるんだけど、本作ではヒロインの危機を察知し、村を突っ走ったりするんだけど、必死に走るところがまたなんかこう、一生懸命走ってます!感があってすごく健気でね…。それに、ラストのカットは何だこれ、本当に変身してヒーローやってくれるんじゃないかとわくわくしてしまったわ…性癖に刺さる作品なのね…。何か私、最近健気なヒーロー男が好きみたいね。スーパーマリオといい、『ブラフマーストラ』のナーガールジュナといい、『PS-2』のカールティといい…。救われたいのかい、竹美さん?

やるせない村の閉塞感

同作、何気に『マガディーラ 勇者転生』の笑わせ脇役スニルさんが、完全に人相を変えて登場していて味わい深かったし、『RRR』でイギリス役人を脅かすニーザムのヴェンカタ・アダヴァニをやったRajeev kanakalaもおいしい役で登場。他にも別のテルグ映画でちらほら観たことのある脇役が勢ぞろいだった。

警察官もいない村で、村人たちが何とか秩序を保てるのは、やっぱり宗教パワーによるところが大きいのだろうとも思った。また、宗教パワーを信じているからこそ、黒魔術も信じている住民達は、冒頭や後半にあるとおり、集団的に激しやすく、故に操られやすい。最後の方の魔術シーンはそれを端的に表現しているのではないだろうか。本作、村を上から俯瞰するシーンが何度も出て来た。俯瞰図や地図好きな私としては嬉しい演出だったが、小さい宇宙の中にとらわれて、その中で生き、時に操られ、ほとんどの場合は、自分のしでかしたことの本当の意味を知ることもないまま過ごすのだということも暗示していたのかもしれない。

また、本作を私が「ホラー」と呼んでも差し支えないと判断している理由が、本作では「神様」が助けに来ないこと。神様パワーから切り離された村人たちの心細さと裏腹の激しやすさ、黒魔術で復讐しなければならないような状況、誰かが犠牲になってやっと本当のことに目が開く等、スクマールの映画には「村のやるせなさ」があるのかもね。だからこそ過去の物語として描いているのかもしれない。

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