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ジブリ画像提供の常識の範囲とは?(鈴木さんの対談を読んで)

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鈴木さんはこうおっしゃっていますが「常識の範囲」って具体的にはどのへん?という疑問。商業利用しないとか何となくは分かるのですが、人によってはSNSが商業につながっている方もおりますし、どこらへんから常識外と線引きされるのかなあと。

そんな折スタジオジブリが発行している無料配布雑誌「熱風」8月号を手に入れまして、鈴木さんが弁護士を交えて「著作権」について対談されていたのです。この対談の場で画像提供を始めた理由や常識の範囲の話を話されていたので引用しつつ自分の思いもつづろうかと思います。

当方、法律は門外漢なので法律上の詳細な話はできません。ご紹介した事例は一例であること、ケースによって異なることをご了承のうえ読んでいただければ幸いです。あくまでも対談を元にしています。

※以下、対談の引用は基本的に敬語であらわしています。

そもそも引用とは?

元々は学者さんが論文を発表する際、Aさんの唱える学説から反対の説や発展させた説を唱えたいときにAさんの学説の説明をしないと論文にならないので「引用」という形で自分の論文に載せる(いちいち許可をとっていたら論文がいつまでたっても完成しない)ためにうまれた考え方だそうです。

そして、表現の世界でも完全なオリジナルは存在せず、どこかで表現の元になったもの、影響を受けたものが必ずあります。

自分の表したいもののために他の人の表現を持ってくることが必要ならば「引用」にすればOKですよ、と。

自分の表現が「主」で他人の表現が「従」という主従関係が保たれていれば「引用」に当てはまるのだそうです。

主従関係がひっくり返っているとダメってことですね。

画像の件でいえば、ジブリが開放している画像を自分のHPに載せてこちらからも自由にお使いください、とやったらNG。

ジブリの映画とっても面白いから観てね!とSNSであらすじを紹介するのは「主」が存在しないのでNGです。(私はこれがものすごく意外だった、程度問題なのだろうけれど)

映画を観てブログで自分の考察を述べて、話がわかりやすいようにその場面の画像を何点か載せるのはOKです。でもそのために映画を全編載せるようなことをしたら映画が「主」になるのでダメ。

引用元に経済的損害を与えるような使い方もしてはいけない。映画全編載せたら海賊版。誹謗中傷も風評被害につながるためもちろんダメ。

そして公開することが前提です。公開しないなら著作権の侵害にはならない。

なのでこのままだとこの記事は「熱風」の紹介記事になってしまいNGになる(笑)

著作権の侵害ばかりを訴えているとどうなるか

もともと鈴木さんは他の作品を使うことに対して鷹揚な時代を生きてきたため、そんなに目くじらを立てたくはないという姿勢だとのこと。(会社の公式見解になったら困るから大っぴらに言わないでと口止めされていたらしいです)

みんな始めは自分が「すごい!」と思った作品を真似することから始まる。たくさんたくさん真似した先に自分だけのもの、というより歴史の最端に到達するものが出てくるのではないだろうか。表現だって歴史なんだよ、オリジナリティがないとか唯一無二とかよく言われがちだけど…

鈴木さんは、侵害ばかりを申し立てていると、新たな表現の芽を摘み取ってしまうのではないかと危惧されている。

この流れで自分を例に出すのはおこがま恥ずかしいのだが、私は今のところ何とかほぼ毎日noteに文を書いたり猫を描いたりしている。

反応をくださる優しい方々がいるからだ。noteを始めるまで続いたことがなかったから間違いない。

絵の練習をしていて上手く描けたら、このサンを見て!ジゴ坊を見て!とネットにアップしたいと思う。ヘンリーダーガーにはなれない。

人の目に触れずに黙々と描き続けられる方ももちろん居るのだろうが、人の反応を得られたほうが作品の変化が大きくなると思うのだ。

製作された方が不快に思うならば訴えられるのは仕方がない。表現者の権利だから。でも関係のない(著作権を持っていない)人たちが侵害だ!と言うのは筋が違うかなと思う。

鈴木さんが目くじらを立てたくない、という点に戻ります。

「火垂るの墓」原作の野坂昭如さん。鈴木さんは学生の頃からファンだった野坂さんのたくさんある作品が、ほとんど残らなかったことが衝撃だったのだそう。

著作権が切れれば青空文庫になったりもするが、著作権の期間はどんどん延びている。日の目を見ない作品はどんどん埋もれていく。

忘れられる。

まさかジブリほどの作品が忘れられることはないだろうと私は思うが、学生の頃の鈴木さんもきっと野坂昭如の作品がほとんど読まれなくなるとは露ほど思わなかっただろう。

著作権は武器

権利は武器だ。武器をめったやたら振り回していると誰も近付かなくなる。危ない 危ないと。

本当に危険なときに武器を振り下ろすのが強い者だと漫画で育った私には刷り込まれている。理想論だけれど。敵に取り囲まれていたら振り回さないと自分が危ない時もある。だからこそ、ここぞで武器を使える者は強いのだろう。

誰かが近付いてくれなければ、武器を握りっぱなしでは次世代へバトンは渡せない。

スタジオジブリは宮崎さんのためのスタジオだから、次回作が完成すれば制作チームはまた解散すると思われる。独立した方に継がれていくかもしれないが、ジブリとしては今までのジブリ作品の管理が主になるのではないだろうか。(これは私のただの予想で対談で語られていたのではありません)

画像提供は恩返し

鈴木さんは対談の中で「画像提供は恩返し」とおっしゃっていました。今まで作品を見て支えてきてくれた人たちへの恩返し。

作った人のものではあるけれど、同時に作った人だけのものではないと。

作品を貶める行為を見過ごすわけにはいかないが、愛してくれる人たちにまでも権利の武器を行使したいわけではない。

自分たちの作ったものを語り継いでほしい、忘れないでいてというメッセージが画像提供に含まれているのかなと私は受け取った。

鈴木さんたちが武器をいったん脇において差し出してくれた信頼のバトンを誠実に受け取れるようにしたい。

でも本当に法律の話ってややこしくて難しい…最後まで読んでくれてありがとうございました!













つけヒゲに憧れているのでつけヒゲ資金に充てたいです。購入の暁には最高のつけヒゲ写真を撮る所存です。