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自転車瞑想

訪問介護の仕事をしている。
自転車で、利用者さん宅を訪問し、生活支援や介護のサービスを1時間前後行い、また自転車に乗って次のお宅へ向かう。

聞くと大変そうだろうが、意外と良い面もある。

一ヶ所でじっとしているのが苦手な私には合っている。

自転車で何度も外に出るのもいい。
季節を感じたり、朝の空気は清々しいし、宵闇と夕焼けの混じり合った空も美しい。


家庭で良くないことがあって、どうにも抜け出せなかった私は、そうだ、仕事をしよう!と仕事を始めた。
前職が活かせて、まだ小学低学年の子どもの負担を避けるため短時間で融通がつくもの、、、登録の訪問ヘルパーの仕事だったのだ。

職場は同年代を中心に女性がほとんどであり、家庭のこと子育てのこと、話を聞いてもらう機会が増えて、収入よりもそちらの方がありがたかった。

しかしそれでも、家に帰れば旦那の顔色を伺い、子どもにイライラした。
自分以外を責めたり自分を責めたり忙しかった。

ある日突然、
そうだ!波動をあげよう!と思い立った。
どこかのキャンペーンのようだが、
とにかくそう思ったのだ。


最初は、若い頃好きだったバンドやバイクの写真を、キッチンの自分だけに見える場所に貼った。
それから、一人の時に好きなバンドの音楽をかけたり、イヤホンで聴きながら家事をした。

(今では、家族がいても家事をする時はほぼイヤホンで音楽やPodcastを聴くのだが、当時は家族の前でイヤホンが出来なかったのだ。他人の前で耳を塞ぐのは失礼なことだと思い込んでいたから、抵抗があったのだ)

よしよし、なんとなく一人暮らしの頃の波動を思い出してきたぞ。
しかし、まだまだちょっとした家族の言動で引き戻されてしまう。
なんだろう?何が足りないのだろう?

そこで、インターネットで、波動の上げ方を検索した。
開運、スピリチュアルとか、そんなものがヒットした。
その中で一番最初に実践したのが、斎藤一人さんの天国言葉だった。

さすがに、家族がいる時は小っ恥ずかしい。
しかし、家族がいない時間は仕事の時間だ。
あっそうだ。
自転車に乗ってる時に唱えればいいじゃん!

これが、自転車瞑想の始まりのきっかけなのである。

それまでは、自転車を漕ぎながら思考が渦巻いていた。昨日のケンカの続きを脳内再生したり、子どもの心配タイヘンジャー、次に行く利用者さん嫌だなぁ、さっきの上司の言葉あれは嫌味か?それはそれはネガティブな時間だった。
そしてそのネガティブな願いは叶い続けていた。

ところが、天国言葉をやっていくと、不思議と心が落ち着く。気がつくと嫌なことが減っていく。
凄いラッキーがあるわけではないのだが、淡々と落ち着いた精神状態になるので、感情的になることが減ってくるのだ。

調子に乗ってお経やご真言を唱えたりもした。

すれ違った人々よ、怪しいオバさんは、ハイ私です。


さらにそれからしばらくして、まとまった自分のお小遣いを握りしめて、単独出雲弾丸ツアーを決行したのである。

そこから、神社巡り、参拝兼ねての山登り、セミナーやリトリートに参加、バンジーとして大晦日に一人ビジホに泊まるなどなど、私まだまだできるじゃん!と大いに自尊心を取り戻したのである。

最近の自転車瞑想では、特になにも唱えないので、安心してください、近隣の方々。

ただただ、ぼーっと空を見上げたり (安全確認はしてますよっと)、風を感じたり、鳥の鳴き声に聴き入ったり、呼吸とか身体に意識をもっていったり、、、

日に週に何度も同じ道、同じ通りを行き来すること、漕ぐという軽い運動で、瞑想スイッチが入ってしまうらしい。


そんなこんなで世にも珍しい自転車瞑想する人の出来上がり〜なのであります。


続く。かも。

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