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【トークシリーズ#5・レポート】テンギョウ・クラさんに聞いてみる!「生活とか自立とか友達とか」

ゲスト:テンギョウ・クラ(ヴァガボンド、教師、コミュニケーター、ストーリーテラー)、タカハシ 'タカカーン' セイジ(だんだん施設になるセンターをつくろうとしている人)、佐藤航也(千葉大学大学院)
聞き手:高林洋臣、ササキユーイチ、久保田翠(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ)

たけし文化センター連尺町3階のシェアハウスで、壮さんの生活実験がはじまりました。彼の同居人でありフィールドワーカーの佐藤航也さん、アーティストのタカハシ'タカカーン'セイジさんと、壮さんを愛してやまないヴァガボンド(放浪者)のテンギョウ・クラさんが、壮さんとのシェア生活を振り返りました。家族でも支援者でもない同居人や友達として居ることの価値と、そうした立場で生活を共にすることの難しさ、重度知的障害者を含むさまざまな人たちによる開かれたシェア生活の展望について、意見を交わしました。

壮さんとのシェア生活のはじまり

ササキ:このたけし文化センター連尺町の3階で、壮くんが10月7日から生活をはじめました。今日は、3階のゲストハウスに宿泊しているテンギョウ・クラさんと、シェアハウスの同居人の佐藤航也さん、タカハシ 'タカカーン' セイジさんと一緒に話をしていきたいと思います。

久保田:重度の知的障害者にとって、グループホームでも入所施設でもない住まい方というと、一人暮らしが理想のように言われるんですが、一人暮らしってそんなにいいものなのか、誰かと何かをシェアしながら住むほうが豊かに人生を送れるんじゃないかと考えると、これって障害者だけの問題ではないんですよね。なので、重度障害者の住まい方に限定せず、いろんな人の住まい方も参照しながら、どんな生き方、住まい方があるのかを探っていきたいというのがこのトークシリーズの趣旨です。今回は、世界を旅していろんな人のところに居候しているテンギョウさんに来ていただいたので、家族ではないつながりの中での振る舞い方や関係性について話してみたいと思っています。

テンギョウ:「ヴァガボンド」を自称していて、20年くらいずっと、定住せずにいろいろなところに居候しながら、知らない文化のあるところに「カルチャーダイブ」することを楽しみながら生きています。
 レッツを知ったのは3年前の東京都の文化事業がきっかけで、それ以来、ことあるごとにご一緒させてもらっています。昨年11月にたけし文化センター連尺町ができたばかりの頃から今年2月までの3ヶ月間は、ここの3階に居候していまして、当時は壮はまだ住んでいなくて、ひとりで場をあたためている状態で、入口で道行く人に声をかけたり、興味を持ってくれる人がいたらこの場所を紹介したりしながら過ごしました。今回はアフリカから帰国したタイミングで、「スタ☆タン!!」というイベントの審査員を務めることになっていたので、浜松に来ています。今回は壮と一緒に過ごす時間が少しあって、「壮、いよいよここに住みはじめたんだな」と感慨深く思っているところです。

タカハシ:障害福祉分野で創作支援の仕事をしながら、個人的にも表現活動をしています。「無職・イン・レジデンス」という活動や、最近はレクリエーションセンターのようなことをやっていて、福祉施設を作りたいなと思っています。レッツには5年前ぐらいにふらっと来て、いまは大阪と浜松を往復しながら、ときどき3階で暮らしています。
 来た当初は、ここはでは壮くんが殿様で、壮くんのために動くという雰囲気があると感じました。それは悪いことではないけれど、僕も新しい住人だということをどう考えるかという話をシェアメイト同士でしました。

航也:千葉大学大学院の博士後期課程で、スウェーデンの障害福祉について文化人類学的な研究をしています。友達からレッツのことを聞いて、4月にここに初めて来ました。
 10月から壮さんが3階に住みはじめて、僕も同じ頃から暮らしはじめました。最初の2週間ぐらいは、イベントがあるとゲストと飲み会をしたり、レッツのスタッフさんとご飯食べたりしていましたが、何もない日は僕と壮さんとヘルパーさんの3人で静かに過ごすことも多かったです。僕と壮さんは付き合いが浅いので、壮さんってどういう人なんだろうと思って観察したり、ヘルパーさんとも初対面なので「よろしくお願いします」という感じで話したり。

テンギョウ:誰もいなかった頃の3階を覚えているので、いまは率直に誰かいる安心感があってね。俺は壮に語りかけるけれど、言葉で返されることはないから、コミュニケーションは観察がメインになる。彼もこっちをチラッと見たり、やりたいことのサインを出したりする。そのリズムに無駄がないというか、俺にとって安心できるペースだという発見がありました。自分が寝起きする場所にそういう存在がいることがなぜ安心感につながるのかはわからないけれど。

久保田:今まで壮の管理は母親の私がやってたんです。ヘルパーさんはだいたい私に指示を仰ぐし、ノートに書いておくとやってくれる。だけど今回は、壮が自立して住むことがテーマなので、私は一切ノートのやりとりに関わっていないんです。洋服や布団や食材を用意したりはしているんですが、あとはヘルパーさんたちの試行錯誤に任せています。私でもなく親代わりでもなく仲間として、ササキくんと高林くんが間に入って、最初はいろいろ調整してくれていました。だから、私にではなくてこのふたりに質問が来るようにしたというのが、大きな変化です。私は毎日ドキドキなんですよ。でも、いつまでも私がいるとヘルパーさんも壮も私に頼るだろうから、1ヶ月間彼に会わない、登場しないと決めて過ごしていたんです。そこに、航也くんが来たりタカカーンが来たり。ヘルパーさん含めて、みんな初めて会った人たちという状況で、どうなるのかなと思ったけれど、意外に壮は慣れてきた。

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「おせっかい」に委ねてみる

久保田:ところで、壮は金髪なんですよね。だいぶ黒くなってきてますけど。これをやった張本人がテンギョウさんなんですよね。

テンギョウ:3.4年前、アーティスト仲間から「壮くんっていうすごい人がいる」とだけ聞いて、初めてレッツに遊びに来たんです。当時、入野にあった施設には「爆音部屋」というのがあって、窓に防音板をはめていて薄暗かった。その中で、壮が音に合わせて体を動かしていたのが、俺にとっての壮との出会いで、見た瞬間に「これシャーマンだよ、すごい神がかってるな」と思ったわけ。想像を超える動きとか目つきに一気にファンになって。
 何が言いたいかっていうと、俺は壮にすごく思い入れがあったということ。彼は、社会の中で障害を持っていて、だから、みんなでケアすべきということになっている。障害を持っている人たちが、いや、障害の有無に関わらず全員が平等であるようなシステムをつくることを、俺たちは諦めちゃいけないと思っている。だけど、個人として一人一人と向き合った時に、 equal rights ではあるけれども、 equal value ではないんだという事実を受け入れることが、健全なコミュニケーションや関係性を築く上では大切だとも思っているわけ。他の人にも優しく接しなきゃいけないけど、なぜかこいつにはこんなにも惹かれてしまうとか、こういう障害を持っている人とは一緒にいられるけれど、こういう障害を持っている人は苦手だなということも言っていいと思うし、そのうえでみんなで一緒にいるためにどういうシステムをつくっていくか、知恵を絞るのが大事だと思うんです。
 でもいまは、平等なシステムばかりが注目されている気がします。「システムがこうなっているんだから、あなたもそう振る舞いなさい」という流れが強くて息苦しい。「みんな」にとってではなくて「それぞれ」にとって居心地のいい場所、生きやすい社会ってなんだろうと考えるとき、障害を持っている人たちはヒントをくれると思う。なぜなら、みんな違うから。でも、意識の調整を言語優先でできちゃうと、「ルールはこれでいいよね、みんなこれでいくよ」というふうになりがちで、みんな同一の存在なんだと勘違いしかねない。
 壮が東京に遊びに来たとき、「かしだしたけし」という企画で、彼を上野で1日引き受けたんですね。今思い返すと俺にはハードルが高すぎた。まず、壮が東京に着いたとき、俺は嬉しさのあまり両手を広げて「たけしー!」ってやったんだけど、壮は全然俺のこと見てくれなかった。アメ横には壮の大好きなお菓子がたくさんあって、壮があまりにもいろんなものをグシャーっとやるもんだから、一緒に来ていたスタッフの山森さんと、壮の両脇を抱えていたら、俺たちが壮を暴行していると通報されて、十数人の警察官が壮と俺らを引き離して職質するというシュールなことになっちゃったんです。そういうことがあって、俺はくたびれきっていた。
 次の日も一緒に上野公園を散歩したんだけど、壮も疲れ切って不機嫌になっていて、だだこねてスタバの真横で寝転んじゃったときに、俺の口から出てきた言葉は「みんなの迷惑になるからやめろよ、壮」だったわけ。俺、それを言った瞬間に目の前が真っ暗になって。壮のこと大好きとか言っときながら、いざ、彼が自分の言うことを聞いてくれないときに出てきた言葉が「みんなの迷惑になる」だった。俺はみんなの代弁者でもないのに。そのことが耐えきれなくて。そして最終的に、自称・壮の友達でしかないということに気づいたんです。
 俺は壮からの愛情を感じたかった。でもそれを感じたことは一度もないわけね。じゃあ、相手の気持ちがわからないまま、友情は成り立つのかということになるよね。永遠の片思い。それって辛いわけ。エゴだけど報われたいという思いがある。これは自分のコンプレックスなんだけれど、俺は「おー!たけしー!」って肩組んだりとか、ガツガツいっちゃうのね。壮はそういうの嫌かもしれないけれど、やってしまう。そんな自分が嫌だなと思いながらも、壮との関わり方がずっとわからなくて、一方的にやってきた。
 で、金髪。あるスタッフさんと、「壮は金髪にしたら絶対かっこいいよね」という話をして、そのときは翠さんも「いいですよ」という感じだったので、深く考えずに寝ている間にブリーチかけて。実際に金髪になった翌日、翠さんのFacebookに「とっても悲しかった」と書いてあったのね。

久保田:金髪にするという発想が私には全くないんですよ。息子が金髪になっているの見て、不良少年と一緒いるような気持ちになって、「悲しい、壮じゃない」と私は思ったんですが、あれは大きな出来事でしたね。

テンギョウ:俺にとっても大きな出来事でした。永遠の片思いをぶち破るには、もうおせっかいしかないというのが俺の結論。
 優しさって感情的なイメージがあるけれど、俺は知性だと思うわけ。例えば、道端で雨に濡れて震えてる子犬を見たら、「かわいそう、助けてあげたい」と思う。でも、やさぐれた酔っ払いのおじさんが雨に濡れていたら、見て見ぬ振りするでしょう。子犬を助けたくなるのが人情だと思うけれど、優しさとは言わないと思う。優しさというのは、酔っ払いのおじさんにも同じように関心が向くことだと思う。自分には不快だけど、でも、この人にはこのアクションが必要かもしれないと思って、あえて踏み込んでみること。だから差別がないはずなんですよ、本当の優しさって。そして、それがどこから来るかというと知性だと思う。知性は想像力を駆使しなくちゃいけない。でも、結果としての現れ方はおせっかいでしかないんだよね。
 壮を金髪にしたときの俺の思いが優しさだったかはともかくも、絶対かっこいいという確信だけはあったので、あえて踏み込んでみた。それに、その話をしたスタッフさんと俺は間違いなく壮を好きだって確信できたので、俺らがやるなら、結果がどうであろうとある意味正直だと思ったのが金髪の顛末です。

久保田:そのあと、壮はいろんな人に声かけてもらえるようになって、テンションが上がったんですよ。私はこの姿を彼には与えられないなと思ったんですよね。だから、私が決めてもこの子の人生は楽しくならないと思いましたね。人様に委ねるとこんなにいろんな経験ができるんだということも。嫌な経験もあるかもしれないけど、障害があろうがなかろうが、それが普通の人生だろうなと、本当に感じられたのね。あの金髪事件は、この3階での実験にもつながっていると思います。

高林:そういう久保田さんの経験から、いろんな人に関わってもらって、壮くんの人生を考えていくのがいいんじゃないかということで、3階にシェアハウスとゲストハウスをつくった。たまたまそのタイミングで、航也さんやタカカーンさんが来て、今の生活が送られているというわけですね。

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シェアメイト同士が見たそれぞれの「居かた」

航也:テンギョウさんの壮さんへの愛がすごいなと思う。僕は10月にほぼ関係性のないところから一緒に暮らしはじめて2、3週間経ちますが、僕は壮さんのことをまだよく知らないし、壮さんに僕はどう思われているのかもまだわからない。

久保田:障害のある人だから優しくしなきゃ、わかってあげなきゃというわけではなくて、この人は好きだけど、この人は苦手ということも絶対あるし、そこもフラットでいいと思います。たまたま航也くんはここに来ちゃったけど、「なんだこいつ」という関係でもいいんじゃないかな。

タカハシ:僕は偶然の縁のようなものが重なり、障害のある人が中心となって出演する音楽祭の事務局スタッフを務めたり、作業所の創作支援スタッフとして障害福祉に関わるようになったんですよね。その作業所での初日、利用者さんが僕を名前で呼んでくれるわけです。その前に勤めていたブラック企業ではそんなことなかった。一人前になるまで認めないぞという雰囲気だったので。でも、作業所では、何の技術もない僕を受け止めてもらえた。彼らには対等さというか、受け入れ上手なところがあるなとよく思います。
 共に過ごすことについては僕も考え続けてきたんですが、僕はテンギョウさんみたいにはできない。熱い気持ちをぶつけられないというか、熱い気持ちすらないのかもしれない。お互いわからないまま一緒に過ごせる、放っておいてくれるというのが、僕は好きだから、無理に壮くんのことわかろうとしないし、僕に興味がなくてもいいんです。他の人が積極的に関わろうとしているなら、役割分担じゃないけれど、僕はこういう感じでいいかなと思っています。まだ10日くらいしか住んでいないですが、3階の暮らしはうまくいっている感じがしています。

テンギョウ:ヘルパーさんたちも、ユニークな体験をしてたり変わった人生観を持っていたりするよね。とても眼差しが面白くて、助けを必要としている人に対しても独自の人生観が出る。それを見てて「ここまで踏み込むか」「ここまで責任負うんだ」という驚きがありました。俺にとって責任や人の期待は敵のようなもので、嫌になったらいなくなるというスタンスを貫いてきたので。そういう意味で、まず身体から入って最終的には気持ちもコミットするヘルパーさんのスタイルは、なかなかドラマチックだと思う。
 ヘルパーさんと深夜まで話し込んじゃったことがあって、学ぶことが多かった。人との出会いって、障害の有無とは関係ない気がするんだよね。最終的にはわかりあえなさを引き受けて、絶対的な孤独と向き合うしかない。もちろん、愛情や感性を授けてくれる家族も大事だけれど、それですらみんな他人だしね。

高林:ヘルパーさんの難しさって、仕事だから責任が伴うことなんですよね。壮くんの人生だから彼の責任のはずなのに、ヘルパーさんや親の責任のほうが大きくなりがちじゃないですか。そこに無責任な人が一緒にいるのはなかなか難しい。同居人が無責任に提案して、ヘルパーさんにやらせるような構造にもなりかねない。

タカハシ:僕は3階で過ごすときは常にプライベートですが、ヘルパーさんは仕事で来る。その温度差を感じることはあります。壮くんが殿様化するのは、7時に起こさなきゃとか9時までに下に送り届けなきゃという使命感、責任がそうさせるような気がするんです。一方で、僕は夜型だから朝ゆっくり寝ていたい。でも僕の気持ちを汲み取ることはヘルパーさんの仕事じゃないから、どうしたものかなと。かといって、トラブルが起こるわけでもないし、ルールを設定するのも嫌だし、自分の中での押し問答はあります。

航也:例えば、僕の目の前で、ヘルパーさんが壮くんに水を飲んでもらおうとして、こぼしちゃったときに、一緒に雑巾で拭くというのも、ちょっとした責任の負い方かなと思います。そういうことがいろんな場面で起きるという意味では、少しずつ責任を引き受けているんじゃないかな。

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テンギョウ:人間が一緒に行動する理由として、親子の情緒的な繋がりとか、みんなで畑を耕して冬に備えるというような目的の共有があると思うけれど、俺らのこの居候スタイルはそこに異物として入るわけだよね。俺らは情緒的な繋がりもないし、目的も共有していないから。そのときに、場を共有するってなんなんだと考えると、作業なんですよね。まずは生きるための作業。食べる、寝る、排泄する。その次に気を済ます作業。今日はお腹が空いているのでご飯を多めに作ってみるとか、疲れているから余分に寝るとか。最終的にはオプション的な作業。暇だから映画を見に行くとか。
 生きるための作業に対しては、お互いにまぁ当然だろうという感じで寛容だと思うんです。でも、気を済ます作業になったときに、時々ぶつかる。ちょっと気を済ましたいのでいつもより余計にやってみるというときに、「それやるの?」というふうに、急に相手の気に障っちゃったり自分が気にしちゃったりする。そういう状況でいかに知恵を使い合えるかが大事だと思う。

タカハシ:こないだのイベントの時に、3階が出演者控え室になったんですよ。それで、スタッフさんと、僕もちょっと加わって朝から掃除したんです。そしたら、テンギョウさんが「朝から掃除機の音を聞くのがいちばん嫌なんだ、この全体主義が」と言っていましたね。僕もイベントを手伝うことになっていたから、そのときは掃除したんですけど、常に手を動かしてないといけないような空気は嫌だと思って、イヤホンで音楽聞いてて、お腹すいたなと思ってラーメンつくってたら、テンギョウさんに褒められた。

テンギョウ:3階のドアがドーンと開いて、スタッフが掃除機を抱えて入って来るもんだから、俺らのテンションが全く追いついていけなかったんだよ。それで「俺ダメなんだよ、こういうの」って言って、ふと見たら、タカカーンはキッチンでネギ切ってたわけ。「お腹すいたんでラーメンでもつくろうかなと思って」って。俺びっくりしたのね。いい風景だったんだよね。ちゃんと気を済ますポイントを知っているのが救いだった。自分の気を済ますより我慢して周りが滞りなく動くようにって、個人の思いが全体の利益のために搾取されてしまう雰囲気を感じることがあるので。特に日本は人に迷惑かけちゃいけないと思っているし。そうなるといつも自分の気を済ませられない状態が積み重なってしまうんだけど、タカカーンは絶妙にずらしていった。俺、20年近くずっと居候やってるけど、今回すごい学んだなと。

タカハシ:毎回こういう施設に来ると、スタッフさんは支援しつつイベントもやりつつ議論もしつつ週5.6日働いて、超人だなと思うんですけど、一方で僕はスタッフじゃないし、ここで過ごしてほしいというオーダーしかもらってないから。障害のある人だけじゃなくて健常者と言われている人たちの中にも、こういう人がいてもいいよねというバリエーションがあっていいと思う。僕はけっこう抑圧的に10.20代を送ってきたので、それをどう解放するかという再実験をここでもやっているなと思います。

久保田:重度の知的障害の人は支援する・されるという関係か、母親と息子のように決まった役割の中でずっと生活しなきゃいけなくなりがちです。それはお互いにしんどいだろうから、その関係性を壊してくれる他者が必要だと思って、ゲストハウスをはじめたんですが、関係性は変わったと思いますか?それから、ゲストという役割についてはどう感じていますか?

タカハシ:壮くんとの関わりはヘルパーさん次第で全然違うんですけど、僕だったらそうはしないなということもあるわけじゃないですか。それを見て自分がくっきりしてくる感じがしますね。
 ヘルパーさんにとっては、シェアハウスにヘルパーとして来るなんて、違和感があるんだろうな、やりづらいんだろうなとは思いますね。今後シェアハウスとして稼働していくときに、ヘルパーさんが過ごしやすくなるといいなと思う。
 僕らは3月末までいますが、将来この場所がいろんな方向に展開できるように余白を残す工事ができたらいいなと思っています。

航也:最初、僕の立場は曖昧で、障害について研究する大学院生でもあり、レッツでも少し働いているけれど、3階では自分の生活を送っている。でも、暮らしはじめると壮さんの生活に飲み込まれて、そればかり考えていたんです。その後、タカカーンさんが来て、テンギョウさんが来たことで、会話が増えて広がっていきました。壮さんが寝た後、自分たちの話をしたり、こないだは刺身を買って来てヘルパーさんも含め3人でつまんだのが楽しくて、はじめてシェアハウスっぽさを感じました。

久保田:障害のある人がもう一人いたり、違うヘルパーさんも出入りしだすと、全然違う関係性が見えてくるし、ヘルパーさん同時が結託して何かはじめるかもしれない。そういうのは見てみたいですね。

重度知的障害者の新しい暮らしの展望

久保田:重度訪問介護を利用している知的障害者は、浜松では壮が3番目なんです。それだけ全然使われていない制度なんです。なぜなら、費用が膨大なので、行政としては利用者があまり増えても困るんですね。それはよくわかるけど、障害者の新しい住まい方が見えてきたら、お金をかけてよかったという話にもなるんじゃないかなと思っていて。
 壮とヘルパーさんがここにいるということは、ある意味、安定感を生むものになっているのかもしれない。彼らはどこにもいかないんですね。それは、もしかすると、いろんな人がやって来る動機付けになるのかもしれないし、その人たちが好き勝手に何かはじめたら、楽しい場になるかもしれない。総じて言えば、障害の人たちがいるからこそできる生活の様式が、生まれたらいいなと思います。

テンギョウ:障害があっても、周りの人との関係性でその障害が立ち上がらないこともあると思うのね。つまり、その障害特性が気にならない人の場合、障害者だという意識もなく関わると思うのね。それって、他の人から見たら気づきですよね。障害特性を問題だと認識している人にとって、よそから来た人が苦もなく楽しんでいる状況には、それまで固定されていた関係性がニュートラルになる希望があって、アートと似ていると思うわけ。そういう意味では、いま、航也くんとかタカカーンがまれびとのようにいて、なんの遠慮もなく壮と暮らしているという風景がアートのようだとも思う。それは、今まで壮と関わってきた人にとっても、彼と出会い直せるチャンスだと思う。

タカハシ:壮さんを同居人として見れるというのは望ましいし、ここでの暮らしは重度訪問介護という制度を使っているから、ほかでもコピー可能だと言えるのはいいことだと思う。僕からしたら、なんで今までなかったんだろうと思う。障害のある人の選択肢として、家かグループホームかしかなかったということに初めて気付かされた。

ササキ:さきほどテンギョウさんが、家族であってもそれぞれ他人だという根源的な話をされましたが、家族というのは、一方で、他人であることを忘れさせてしまうような呪縛でもあるわけですよね。ともすると、支援者と利用者も、役割や目的を強制するような新しい呪縛になりかねない。そういうときに、お互いの役割がわからなくなるような瞬間をどう生みだしていけるのか。かつ、それが障害者の生活を支えるコストの削減になるというのとは別の価値を示していかないといけないと思っています。
 テンギョウさんは、居候というかたちで情緒や目的の共有とは違う新しい生活の仕方を編み出そうとしてきたのかなと思うんですが、これからのカルチャーダイブはどうなっていくと思いますか。

テンギョウ:新しい価値を創造したいということではなくて、自分がひとつのところにいると自分にワクワクできなくなってしまうので、喜びと楽しみだけをモチベーションに常に転々としているんだけれど、ヴァガボンドというのはいつも不安定な状態なので、サステナビリティがあるのか、この先どうやって生きていくのかという問題がある。いわゆる自立って何だということでもあるんだけれど。
 前に脳性まひのある小児科医の熊谷晋一郎さんが、自立というのは依存先を増やすことなんだと言っていてね。俺は、自立というのは守られるべき権利であって、自分で自分の気を済ますことを許されている状態だと思っているんです。俺はいつも誰かのところに居候させてもらっている立場で、メインストリームの文化があるなかに飛び込むわけだから、文化的弱者なんだよね。文化の衝突が起きたときに変えざるを得ないのは俺のほうであって、それは苦痛や不快感を伴うんだけれど、あえて自分に課しているところがある。
 場に慣れると緊張感が抜けて自分の心地良い方にいってしまいがちだから、違う文化に飛び込むことで、摩擦熱で自分の殻を燃やしてしまって、弱い部分をさらけ出したうえで、自分はどうしたいのか問いかけるのがカルチャーダイブだと思っています。

久保田:私、自立とは依存先を増やすことだと熊谷先生がおっしゃったとき、確かにそうだと思ったんだけれど、自分で依存先を増やすことができる人が前提なんじゃないかと、モヤモヤしたんですよね。熊谷先生って頭脳明晰だし言葉を持ってるし人格も素晴らしい方だから、周りにいろんなことを説明できるし、ファンもできる。一方で、壮たちの依存先を増やすってどういうことなんだろうと考えると、彼らは何もしないんですよね。でも、何にもしなくても、彼らにはやっぱり力があって、風通しのいい場をつくっておくと、彼らの魅力に誘われていろんな人がやってくると思えたんですよ。アルス・ノヴァはまさにそういう施設だけど、今回は住まいという本丸でもできるんじゃないかと思ったんです。

航也:ここで暮らす楽しさは、今みたいにイベントで話す場があったり、誰かが来ていろんな話を聞けることでもある。生活の場といったときに、キッチンと部屋だけをイメージしなくてもいいんだと思います。

ササキ:たけし文化センター連尺町ができて、壮くんと街中に出るようになると、「壮くん、久しぶり」と声をかけてくれる人がいるんですよね。それは、レッツの活動の成果だと思うと同時に、彼だけではない誰かがそういう環境をつくっていくにはどうしたらいいかと考える。例えば、別の人が自立生活をしようと思ったときに、ここと同じように、文化センターの上にシェアハウスをつくらなきゃいけないということではないですよね。

久保田:この場所は「たけし文化センター」なんて名前だし、こんなトークを年中やってるし、世の中からちょっと逸脱した場所なんですよね。たぶんそれは、こういう場所が好きだったり議論したり考えたりするのが好きな人が集まっているから。だけど、世の中にはもっとわかりやすい場もあっていいと思う。多様につくれるんじゃないかと思っています。重度訪問介護という制度がよいのかわからないですが、いろんな可能性をこの制度は含んでいるのではと最近感じています。でも、グループホームでもこういうことはできるかもしれないんですよね。

参加者:僕らはフォーマルな制度に則ってやっている普通の社会福祉法人で、ある意味レッツに批判される立場であるわけで、コンチクショウと思うわけですよ。僕らの中にも、インフォーマルな部分や柔軟性はあるんだって。フォーマルな施設って職員がブレないようにこの人にはこういう支援って適切な支援が決まっているんですが、僕らは本来、毎日、重い障害のある人たちに揺さぶられたり価値観をひっくり返されたりしているんですよね。だから、いつも「レッツが新しいことやってるんじゃない、僕らにも価値はあるんだ、第三者の力を借りなくても利用者さん自身が価値観を揺さぶってくれるんだ」と思うけど、こういう面白い3人が住んで新しい風を起こしてるのを見ると、打ちのめされた感がある。フォーマルな施設にいると揺れが許されない。秩序と無秩序の狭間にいられるのはすごいことで、タカハシさんのラーメンの話なんて、僕ら福祉法人でやったら大問題になるよね。揺れていられることの根底には文化がけっこうあると思う。

久保田:でも、グループホームって、タカカーンとか航也さんみたいな人がしばらく住みたいとか、一晩泊めてと言ったら、泊まってもいいんですか。

参加者:制度的には大丈夫ですよ。前例はないけれど、話の持っていきかたによっては、レッツがやってるなら負けちゃいられないということで、できるかもしれない。複数の職員と複数の利用者が一緒に暮らすというのは、ある意味グループホームで既にやっていることなんですよ。
 以前、卵かけご飯事件というのが起きてね。利用者さんは、施設から出たら冷蔵庫が自由に使えるので、毎食卵かけご飯を食べたいと言う。一方でパートさんは、毎食卵かけご飯はないだろうと言って、ガチで喧嘩してね。そこで僕は板挟みになるということがあった。ここでは高林さんが間を取り持つ役割をしているのかな。

高林:まだそこまでいってないんですよね。逆にそういうことが起きてほしいなと思ってるぐらいで、今はまだ決められた生活に従っている感じです。

久保田:この1ヶ月で壮は大人になったなと思いました。実は昨日、1ヶ月ぶりに実家に帰って来たんですよ。2時に迎えに来たら、壮はもう帰れると思って、しがみついて離れなかったんだけれど、ちょうど同居人3人がいたので私が話し込みだしたら、「ああ、そうですか」みたいな感じで、石で遊びはじめたんですよ。で、5時になったからそろそろ家に帰ろうかと思ったら、むしろ「今日もここでしょ」みたいな感じで、全然動く気配がなくて、強引に連れて帰ったくらいでした。さすがに実家が見えてきたら、安心して車を降りたんですけどね。壮は3階が自分の場所だと認識しているし、すごく頑張っているなと思って、その姿を見て安心した。この感覚は娘が大学進学で家を出ていったときの感覚に近いなと思ったんです。

ササキ:先週初めて、久保田さんも、壮くんとタカカーンとヘルパーさんと一緒に、夕飯を食べたんですよね。その時も、壮くんは久保田さんの腕をつかんでいたけれど、食べ終わってのんびりしていたら、リビングの小上がりで石遊びをはじめて、全然久保田さんにこだわることがなくなって、久保田さんも1階に降りてきて仕事して帰ったということがありましたね。トークシリーズの第1回目のゲストの風雷社中の中村さんが、親に自分がいなくても子どもは大丈夫だと思わせることがいちばんの親孝行だ話していたのを思い出しました。

航也:昨日の朝、壮さんがテンギョウさんの部屋にふらっと入っていって、テンギョウさんが「おいおい、俺の部屋に」みたいな感じでダーっと走って行ってみたら、壮さん、もふもふの毛布にくるまって最高の笑顔で楽しんでいたんです。その様子を見てめちゃくちゃ嬉しそうに笑ってるテンギョウさんを見て、僕は、テンギョウさんの壮さんへの愛というか、そういう関わりもあるなと気づいた。

テンギョウ:あれ、よかったよね。壮との友情を考えると、彼がどう思っているのか、それをどうやったら俺は知れるのかということに行き着くんだよね。想像してみてほしいんだけど、友達の中で本当に一緒に住んでみてもいいと思える人ってどれくらいいる?そこまで開ける相手って、そんなにいないと思うんだ。今回、壮と一緒に寝起きして、明け方になるとヘルパーさんが彼を起こす声が聞こえてきて、壮の日常に俺がいるということがけっこう幸せで。朝起きたとき俺がいるの、壮は見てるよね、ということがさ。俺はよそものだけれど、そういうところでのつながりができていったら、いつかは自信を持って壮の友達ですって言えるかなと思って。

久保田:障害がある子どもに負荷をかけすぎて、不幸にしているかもしれないと思うのが、いちばん辛いんですよね、母親だから。だけど、今回はそういう感じが本当にしないんですよね。常に楽しそうにやってるし彼なりに自分の居場所をみんなと一緒に一生懸命つくってるというのが伝わってくるから、これは良かったなと思いました。私は、夫を3月に亡くしているんですが、もっと早くにこれをやってれば、彼もそんなに苦しまないで済んだんじゃないかなとも思うんですね。だから早くにやって全然間違いではないと思います。
 今後は、だれか一緒にごはん食べに来てくれる人がいるといいですよね。みんなで持ち寄って鍋をする日とか決めて呼びかけたら来てもらえるかもしれないよ。それを口実に、この場を体験してもらうとか。

高林:この場にいることでヘルパーの振る舞いを学んでしまうと、タカハシさんが言っていましたよね。ヘルパー自体が浜松市には少ないので増やしていく必要があると思いますが、ここに泊まることで意図せずにヘルパーの振る舞いが見えるのは面白いなと。ヘルパーさん自身も介助しているのを他の人に見られる機会は普段あまりなかったりするので。そういうかたちで、どんどん関わる人を増やしていけたら面白いなと思います。

タカハシ:ヘルパーになりたい人だけがヘルパーになれるんじゃなくて、気づいたらヘルパーになっちゃったみたいな感じでね。

(了)

編集:石幡愛

ゲストプロフィール

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テンギョウ・クラ(ヴァガボンド、教師、コミュニケーター、ストーリーテラー)
ヴァガボンド(放浪する者)を自身のライフスタイルとして、教師の活動をベースに国や地域を問わず移動と滞在を繰り返しフォトストーリーを制作している。滞在した地域の人々との交流を通じて滞在者と来訪者の関係性に揺らぎを生み出し、そこに多様なコミュニケーションの可能性を見出す。大学での講義や旅の写真展の開催、現代アーティストとのコラボレーション、さまざまな文化を紹介するイベントの企画など、異文化交流をテーマとした活動を世界各地で展開。

タカハシ 'タカカーン' セイジ(だんだん施設になるセンターをつくろうとしている人)
「アール・ブリュット」その創作過程、スペース「FLOAT」との出会いから、企画やパフォーマンス、障害福祉分野での創作支援等現在に繋がる活動開始。主な活動:「無職・イン・レジデンス」(2014.)、「『芸術と福祉』をレクリエーションから編み直す」、スペース「世界」(2017.)、京都芸術センターにて「京都レクリエーションセンター.施設のための試演.」発表(2019)、「注文をしなくてもいい喫茶店 すごす」開店(2019)。認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ「たけしと生活研究会」レジデンス・プログラム招聘(2019.2020)。一貫する関心は個人の表現欲求や尊厳(いる、ということ)、人が関係しあうことで発露する創意、連鎖的な創作性を様々な集いの中にみる。 http://www.seijitakahashi.net/

佐藤航也(千葉大学大学院)
千葉大学で文化人類学を学ぶ。2014年以降スウェーデンの障害者福祉に関わる現場で短期のフィールドワークを行っている。趣味は散歩。


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