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「ジブリの日テレ子会社化」は映画「君たちはどう生きるか」の伏線回収だった。

宮崎駿監督作品でおなじみのスタジオジブリが日本テレビの子会社になった。
独立アニメスタジオとして存在していたジブリの「身売り」は少なからず衝撃を受けたが、一方で「現実的なのでは」と感じた。

ニュースを見てから一日経過した今、日テレ子会社化という事実は最新作「君たちはどう生きるか」の伏線の回収だったのだと直感的に思いついた。

「君たちはどう生きるか」は早いうちから宮崎駿監督の遺書のような作品と言われていたし、ぼくもそのように感じた。
後継者を育てられなかったということ、それでも才能の胞子(ワラワラ)は蒔いたこと、そして作られた神殿とその世界は作った大叔父が終わりを見届けたこと、今思うとすべて宮崎駿の自伝であり、ジブリの始まりと終わりなのだ。
鈴木敏夫氏の会見の中で長男の宮崎吾朗氏に継がすか否かの葛藤があった旨語られている。映画でもいびつに肥大した世界を大叔父も眞人には継がせなかった。

最初に述べた通りジブリを続けていくのに現実的な判断であることは間違いない。それと同時に独立アニメスタジオとしての敗北宣言でもある。
独り立ち出来る映画作家を育てる事がジブリには出来なかった、という事でもある。
これによってジブリの作ってきたものの価値が毀損するものではない。だけど大作映画を作り続けるという事だけではない業務が今後出てくるだろう。それはジブリが当初描いた理想ではなくなる。
理想とした世界は作れたが宮崎駿の人生がすなわちその世界の期限であることがわかってしまったのだ。

その寂しさを観客として思うと同時に、それは豊島区長崎で「やきとりキング」という店を家族経営でやっている僕の問題でもあると感じた。ぼくには子供はいない。そして後継者を現状育ててはいない。親の人生のあとも続く僕の人生を考えなければいけないのはわかっているが、それが果たして僕の人生をかけてやることなのか迷うのだ。
宮崎駿監督が映画を作ることしか出来なかった事と同じように、僕は焼鳥を焼いて売り、自分が出来る音楽を作って発表する位しか出来ないのではないか。

些か増長になった。
この件で後継者を育てなければいけない中小企業の人間はかなり自分ごとのように考えたのではないか。
株式会社ゲンロンの哲学者東浩紀氏がTwitterで「ショック」と言った事も、きっとそういうところなんだろうな。

さてどうしましょうかね…。やるしかないけど。

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