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【小説】ウーマン・スナイパー・ウィズ・カメラ 〈「六十度」#5〉

クレオールコーヒースタンド 小説サークル「六十度」五号 掲載作品

 写真の好きなところは映る生命を標本化して所有できるところなんです。撮影は言ってしまえば狙撃です。対象をフレームで捉え、引き金を引くようにシャッターを切り、命を消し去った物として固定化するという事なのです。記憶ではなくデータとして持ち歩ける事にあたしはエロスを感じるのです。たまに引っ張り出してはあたしが殺したモノたちを愛でるところが堪らなく愛おしいのです。一例ですが、待ち合わせに遅刻して申し訳なさそうな元彼の表情を意地悪く撮った写真と、花が散った後の八重桜の写真を交互に眺めて強いお酒を飲むのです。それは言わば「切れた関係の死体」をゾンビのごとく蘇らせる儀式。それを弄ぶのはあたしの人差し指。休みの前日はそうやって眠りにつくのです。

 あたしは駅前のドラッグストアで働いています。仕事中はカメラはおろか、スマホも持ち込み禁止なので、写真を撮れない焦れた目で街を眺めています。仕事に向かう疲れた男、子供連れの女、円柱型の車止めに腰掛け安い缶酎ハイを啜る爺さん、撮影したい対象が視界に入るたびに、蓋をしているはずの欲望、つまり「シャッターを押したい」「殺してあたしの標本にしたい」という感情の泥が蓋を押し除け溢れ出るのです。あたしはそれを必死に抑えて業務に勤しんでいます。

 そんなネクラな(死語ですね)あたしですが、仕事では明るく振舞っていています。それなりに人気もあるんですよ。世界を切り取る事を秘密の行為として持つという事は、視野の世界を愛の対象として見ているという事です。お店で接する人はその対象として概ね愛すべき存在なのです。何故なら次の標的だから。そしてそれはあたし自身が愛されたい事の裏返しなのかもしれません。

 そうそう、十時の開店と同時に缶酎ハイをレジに持ってくる作業服の小柄な男の人(歳は三十代の真ん中くらいかしら)がいます。彼はいつも赤い顔してレジに来ました。夜勤明けうちのお店が開店するまでの間コンビニで買った酎ハイで暇を潰しているようです。顔にはまだ幼さが残っていて、その顔がアルコールで紅潮しているところが可愛いなと思ってました。何度か言葉を交わしましたよ。彼は照れ笑いを浮かべながらあたしの質問に答えてくれました。街でも何度か挨拶しました。この前は開店準備中に彼の姿を見かけました。彼の姿は広場の隅っこで朝日にあてられくっきり浮かび上がっていました。やっぱり缶酎ハイを飲んでいて、それを見たあたしは彼の姿を見て「あ、欲しいかも」と思いました。

 カメラという凶器がもたらすあたしの妄想は、切り取りたい世界があるという事で成り立っています。独りよがりの全能感です。つまりあたしの手で殺め美しくフレームに納められた擬似生命なのです。我ながら狂った感性だとは思いますが、人間同じようなものではないでしょうか。所有をするという事はいずれ食べるという事と認識しています。有形無形に限らず体内に挿し入れるという事です。へばりつくエネルギーの塊は最後まで舐め取らねばなりません。あたしの手で撮った写真は、あたしを生かす糧そのものなのです。体が「欲しい」と求めるのです。

 今日から小さなデジタルカメラをポケットに忍ばせることにしました。これまで逃してきた瞬間を思うと居ても立っても居られなくなりました。獲物はいつもそこをうろついているのです。仕事中の禁止事項などということに阻まれている場合ではありません。しかしそういう日に限ってお店はカメラを構える暇を与えません。暑い日だったので安いミネラルウォーターが飛ぶように売れました。

それはそうと、お客さんから色々な話を聞きました。二ヶ月前から閉まっていて潰れたと思っていた居酒屋がいつの間にか再開していた話(中の人が大幅に変わったそうです)、あたしに好意を抱いていた男性が先日亡くなったという話(忙しくてちゃんと聞けず、誰だかわかりませんでした)、興奮気味に芸能人の目撃報告(その人、実は飲み友…)、自分が撮った写真を見せに来る人(下手くそな写真。あたしのは死んでも見せない!)と、ひっきりなし。せっかくのカメラを起動させることなく夕方になってしまいました。

 夕方といってもまだ明るさの残る空の下、店頭の棚を整理しつつ駅前の広場を見渡しました。人もまばらでしたが「車止め爺さん」(失礼なアダ名ね)は今日も変わらず円柱に腰掛けて缶酎ハイを飲んでいました。ほんと好きだわ、この街。ポケットからカメラを取り出し、お爺さんの背後に狙いを定め、引き金を引きました。良い瞬間を殺せました。鼓動が体の中心に響いてました。

 そういえば最近あの子見ていないです。あたしまだあいつを殺していません。あの子を所有していません。そうだ、あの子を殺したいんですよ、あたし。今日はポケットにカメラを忍ばせてあるんだから、早くあたしに狙撃されに来てよ。

   (イラスト:大塚明 写真:相原大輔)

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