2023年6月19日(月)

月曜朝は二度寝、または三度寝。
前日の酒が残っていたせいか、起き上がりに苦労した。
冷やご飯が沢山あったので、少し多めに炒飯を作って朝ごはん。三分の一はタッパーに入れて冷蔵庫へ。
少し薄味だったのだが、塩昆布キャベツと一緒に食べるとちょうど良かった。

午前中はお店を書斎がわりに読書。
先日刊行され届いたばかりの東浩紀「観光客の哲学 増補版」を最初から順に読み始めた。元々2017年に刊行された「ゲンロン0観光客の哲学」の読者で本書をきっかけにゲンロン沼にズブズブ沈んだのが僕。なので今読んでいるところは何度も繰り返し読んだ部分。「読み終わった」報告をTwitterで見ると「早っ」と思って煽られるけど、焦らずゆっくり読もう。

夜は江戸川橋「絵空箱」にて観劇。
吉野翼企画「チャイナドール/田園に死す」
これは寺山修司による作品。何を隠そう僕はハイティーンの頃寺山にのめり込んだクチでして。当時すでに寺山修司も天井桟敷もなく演劇で体験出来ないので映画と本なんだけどね。今振り返ると「寺山にハマるオレかっけー」みたいな自意識が多分にあったように思うが。
それで芝居なんだけど開演直後の暗転で一瞬心拍数が上がるタイプの不調にみまわれて、なんとなくパニックになりかけたんだけど腹式呼吸で事なきを得た。
ふと思ったのは演劇体験というのは観客を含めた共犯性に本質があって、2時間15分の上演時間中狭い席に座らされて監禁されるという事が案外最も重要なんじゃないかな、とか思った。んなわけあるかい。
そもそも寺山修司自体、作品が作る虚構世界と現実世界の境界線について考えた作家だったと僕は評価していて、演劇は劇場における観客との舞台の関係性や劇場自体とその外側の関係を脱構築しまくった。
今回の芝居は実は客が入場するところから演劇は始まっていた。細かく「この点線の内側を歩いて下さい」「(舞台装飾としてちらばめられてる)花びらを踏まないようお願いします」など、客にはじめから緊張を強いていた。しかし上演終了後はその場がそのまま打ち上げ会場になり客も役者もその場に入り交じる状態に早変わりした。緊張と緩和。舞台の解体。もちろん演劇自体もさまざまな部分で寺山修司を全身で感じる舞台だった。
そもそも今回は音楽担当が友人の二人、なすひろしと秋桜子の「みづうみ」であることがきっかけで見に来た。二人は劇伴の制作と、今回はメイクも施して出演者として舞台上で生演奏と演技をしていた。劇伴がぼくが想像した以上にすばらしく、なるほどこの二人はライブ活動もしてるけど本質は音楽制作ユニットなんだなと理解した。サントラ買いたかったが手持ちが無かったので後日直接言って買わせてもらおうかしら。

終演後、気になっていたベイスターズと日ハムの試合を見ながら(歩きスマホ、ダメ、絶対…!!?)池袋まで歩いた。かなり白熱したゲーム展開。それを征したのは日ハム万波中正の一振りだった。ヤスアキ打たれる…。それにしてもこういうゲームは勝っても負けても良いものが残る。勝って交流戦優勝したかったけど楽天が残した2試合の結果を待つしかない。

そんなわけで体調優れない感じだったけど、充実した一日だったし、これ書いている現在は体調も戻ってきている。
惜しむらくは、また本棚が作れなかった…。

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