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敬老の日〜母に贈るエッセイ〜

私の母は横浜生まれ横浜育ち。兵庫に嫁に来たが関西弁になることもなく、エセ関西弁をたまに使うぐらいの母だ。

陽気でおてんばな母を、学生時代は恥ずかしいと感じていたが、30歳を過ぎた今、完全に自慢の母親だ。

母の紹介を兼ねて、少し昔話をしよう。

私が中学に進学したばかりの頃、小学校5年の妹と私を連れて母が映画館へと車を走らせた。
目的は「スイング・ガールズ」というジャズバンド部を題材とした青春映画を観るためだ。
母が運転の時だけ着ける、薄紫色の大きめレンズの眼鏡を装着し、ハンドルを握る手は11時10分の位置だった。
程良いそばかすに、長い首。姿勢を正して運転する母はまるでキリンだ。

映画館に到着した私たちはチケットを買った。
もちろんキリンが支払った。
子供だった私は、払ってもらうのも当然。親は無限にお金を持っていると信じていた。
私の娘もそう思うと考えると、親になった今、恐ろしい。

思春期真っ只中の私と妹は、すでに母親と映画館に行くというのは恥ずかしい年頃で、フルチンでソーラン節を踊っているような気分だった。

映画が始まり、日頃の母を知っている私と妹は嫌な予感がしていた。オーバーリアクション気味の母が上映中に騒ぐのを心配していたのだ。
スイングガールズは静かに涙を流す映画ではないと知っていたから。

妹「お母さん絶対に静かにしていてね。」

念には念を。ナイス妹。


いざ映画が始まってみると、案外キリンは静かに映画を鑑賞していた。
私も安心し、大きなスクリーンに釘付けになった。
とても良い映画だ!おもしろい。
数々のトラブルを乗り越え、ジャズバンド部は最後の舞台に間に合った。そして最後の演奏が始まった。
これはクライマックス。私の心も映画の中に入り込み、胸が躍った。



そして母は隣で立ち上がり躍っていた。


何が起こった。

何十人もが同じ映画館で座っている中、隣のキリンは満面の笑みでリズミカルに左右へ身体を振り続ける。手拍子も音に合っている。

背筋が凍った。日本に氷河期が到来したのか。いや、お願いだから到来してくれ。そしてこのキリンを凍らせるんだ。

「オカアサンスワッテ。」

妹が顔を下に向けながら母に声をかける。
風に吹かれるろうそくの火の様な声は、母に届かない。

館内に鳴り響く母の手拍子。

周りのお客さんの目が母とスクリーンを交互に反復横跳びしている。

妹の首はヘソまで落ちている。

私「座って!!」
母の手を下に引き、座らせようと私は声をあげた。


キリン「なぁーんで踊らないのぉー??」


なぜ踊るキリンよ。ここは日本だ。そして私たちは思春期真っ只中である。母と映画に行くだけでフルチンソーラン節なのだ。
今はお尻の穴からマジシャンの紐付き国旗を出しつつ、フルチンでソーラン節を国技館で歌っている。
バックダンサーは小さな子供たちだ。

妹の首はもうくるぶしまで落ちている。

そしてそのまま映画は終わった。

完全燃焼で満面の笑みを浮かべる母、首がくるぶしまで落ちた妹。そしてフルチンでソーラン節を躍った私は家に帰った。

「もうお母さんとは映画に行きたくない。」


帰宅後、妹と口を揃えて言った言葉を聞いた父は、幸せそうに笑っていた。

あの頃分からなかった笑顔の意味も今となれば分かる。

人は長所で好かれ、短所で愛される。

お母さん愛してるよ。

少し遅れましたが、敬老の日おめでとう。

このエッセイをあなたに贈ります。

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