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進化の現状と未来の予想〜情熱中国大陸〜

進化というと、ついこの100年前、人が空を飛ぶとか、宇宙に行くとか、歩きながら通信ができるなんて、誰も考えもしなかった筈だ。100年前の人が、心臓バイパス手術や、腎臓移植手術などで人が普通に寿命を伸ばして長生きできるようになるなど、想像だにしなかった筈だ。しかし今人は空も飛べるし、地球の向こう側の人と話をする事もできる。医療の進歩、内臓を取り替えたり、クローン人間までを作りだす事ができるなど、昔からみればこれはもう「神の技」である。

「AIの台頭」にしても人類進歩の当然の流れであり、確かにAIは素晴らしい物で、ドンドン利用し取り入れればメリットも大いにある事は疑いない。人とAIの協業で、人間は身体能力の拡張だけでなく、思考の拡張までも図られ、色んな事が出来るようになり、今後様々な苦悩から人類を解き放ってくれるだろう。特に「思考の拡張」というのは物凄く画期的な事なのであるが、実際生々しく想像してみると自分自身の「生身の脳みそ」が逆に小さくなって行ってしまうのではないか?というような不安と恐怖を、超アナログタイプの私などは感じてしまうのである。

とにかく今後、間違いなく段階的加速度的変革は起こり、新たな価値観がどんどん生まれてくる事になるのは確実だ。そして人々の「気持ち」「意識」がそれに追いついてこれなくなるのも容易に想像出来る。そしてこれから、「ついて来れない人は取り残されて滅びて行けばいい」「バカな人間が減って丁度いい」などという、極端な短絡的二極化淘汰主義を唱える人々が増えてくるであろうが、世の中、そして人間とはそんなに単純なものではないし、これは間違った考えだろう。

   恐らくすぐにやってくる高い次元の進化の後、「脳みそにプラグを刺す」事を選べば、もしかしたら、「死なない人間」になれるかもしれない。その時がもし自分が生きている間にやって来て、チャンスがあるなら、私はちょっと怖いが試して見たいと思う。
肉体の物理的死と意識との相関性、何をもって生きていると定義するか、何をもって死んでいると定義するのか、この境界線は、これから益々曖昧になって行くだろう。

「霊や魂」と昔から呼ばれている「モノ」も、目には見えなくとも「存在している」という「事」が、どう言う事なのかを、宗教的観点には立たず、今のところ、万人が納得出来るように、はっきりと説明、証明出来る人は、この世の中には居ない。何故なら死んだ後、生き返ってこっちに戻って来て、それを証明して見せた人はいないからだ。ギリギリで、「臨死体験」と呼ばれる体験までである。死んだ後で何処へ行くのか、三途の川を渡って向こうにどのような世界があるのか、はっきりと説明出来る人は居ない。しかしこれからは、この境を「行き来する」事が可能になり得るかもしれない。

  「不死身」死なないというのは、アダムとイブが禁断の果物を食べてしまった瞬間から、人類始まって以来の夢であるが、現在も様々な飽くなき挑戦、研究や実験は続いている。例えば、「クライオニクス(人体冷凍保存)」の実験は実際随分前から始まっている。今冷凍されている人が、「蘇生する」事も将来可能であるとされている。ただし、肉体が蘇生しても、分離若しくは一時停止していた「記憶」「意識」というものを、解凍後の肉体に戻すことができるのかどうかは、まだ誰もやった事がないし、出来るかどうかもわからない事である。
保存された個体細胞とDNAを用いて、同じ構造のクローンを生み出すことは出来るだろうが、肉体と意識の完全再生、性格に至るまでそのまま100%再現される(同期共有される)事は、ほぼ不可能だと私は思う。しかし、人類がまだ気づいていない、人間が本能的に備えている、「未知の領域の能力」を覚醒させ、それを活かす方向と方法を見つけた時に、記憶、意識、性格の「再生若しくは再形成、或いは転送」に、成功するかもしれない。SF映画のようだが、もしそうなれば、「同じ人間が時を超えて存在出来る」事になり、「生と死」と「時」の概念が、今とはかなり異なったものになり、世界は変わる。

「人体冷凍保存」の具体的例をいくつか見てみよう。(下記例の実績日時順不同)

一つ目は、私の居る中国。2017年に山東省済南市で、肺癌患者であった展さん(49歳女性)が冷凍保存の申請をし、低温医学界の専門医師アーロン・ドレイク(Aaron Drake)氏が、銀豊生命科学研究院(Yinfeng Institutes for Biological Science)と、山東大学斉魯病院(Qilu Hospital of Shandong University)の共同協力のもと、彼女に対して死亡後、大掛かりな手術を行なっている。これに対して中国での法律や医療範囲はまだ空白であったが、そして賛否両論あったものの、この冷凍保存手術は実施された。本人は将来の研究に役立てて欲しいし、もし治療できるようになったら治して欲しいと言っていたという。

二つ目の例は、タイの2歳児のニュースが記憶に新しい。現在の医療では治癒不可能な難病にかかり、あらゆる治療も虚しく、両親が生命維持装置を外す際に、未来の医療に期待し冷凍保存を決めた。今、脳と身体を分けて、アメリカミシガン州の施設「クライオニクス研究所」で、この2歳の女の子は冷凍保存されている。全身から全ての血液を抜き取って、マイナス196度の液体窒素につけて冷凍保存されている。

三つ目の例。イギリスの14歳の少女のニュースも世界的に有名だ。不治の病で亡くなる前、少女は遺書で「私を冷凍保存して、数百年後でもいいから、出来るようになったら生き返らせて」と書き、これがイギリスの裁判所にも認められ、父母が資金をだし、アメリカの同クライオニクス研究所に安置されている。因みにこの研究所には約150人の人が、「眠っている」という。

四つ目の例は、ロシアで進んでいる実験。これも同じく全身から全ての血液を抜き取って、マイナス196度の液体窒素につけて、56人の人体が冷凍保存されている。それを、100年後解凍し、生き返らせようという実験である。全世界では、2016年の時点で約350人が冷凍保存されているという。今はもっと多くの人が冷凍保存されているだろう。

これらの処置は、現在心肺停止などでいわゆる「死亡」と診断された時点からの処置しか認められておらず、今後倫理的法的問題を、世界中の人々皆でよく議論していかなければならない事であるだろう。

このように多くの人が今冷凍保存されてはいるが、実は「解凍時の完全な技術がまだ全くない」のが現状だ。実際にはどうなるかわからない。私は専門家ではないので全くわからないし、書くことも私の想像でしかないが、そのつもりで読んで頂きたい。例えば肉体が10%しか復活再生せず、超高知能だが肉体はぐちゃぐちゃの、ゾンビのような状態で生き返ってしまい、恐ろしい事になるかもしれない。解凍に失敗した「人間?」は、処分するのか、どこまでが成功でどこまでが処理対象とするのか、また「失敗作」を研究対象にする必要があるだろうが、生かしたまま他への利用を考えるのか、そもそも「人」をそんな風に扱っていいのか、倫理的にして良い事なのか、誰が決めるのか、などなど想像するだに恐ろしい問題が山積みだ。また同じ「自分」は生き返らず、全く違うものに生まれ変わり、別の用途に利用されるかもしれないのも容易に想像出来る。本人は死亡しているのだから、「人権」「保有権」は誰にあるのか?解凍する順番もどうするのかと思う。後ろの方が技術的には経験値が上がり有利だろうが、冷凍時間は短い方が復活再生率はいいような気もする。老人の体と幼児の体とどっちが成功しやすいのか、、、具体的に考えれば考えるほど恐ろしい。

   また万が一成功した暁には、もっと沢山の課題問題が考えられる。命が吹き込まれた「彼」をどういう身分の「人」とするのか、彼の年齢はどうするのか、普通のその時代の人間と混ざって生活していいのか、今まで存在しなかった新たな病気が蔓延したりしないか、もし結婚して子供を作ったらどんな人間が生まれて来るのか、などなど、心配や課題は尽きない。
「将来の医学や科学に期待」「人類の夢」などという美しい言葉で、この様な行為、(どうなるかに関わらず、とりあえず実験の為にジャンジャン人体を冷凍保存して置く行為)自体が、今後も許される事なのかどうかは、大いに論議されるべきだと私は思う。聖書に出てくる「ノアの箱船」のような事も、当然議論されるようになろう。

このように様々な問題があるが、しかし、僅かでも未来の可能性に期待し、とりあえず冷凍保存しておいてもらい、とにかく「もう一度生きたい」という、人間の藁をも掴むような、命に対する執念の現れであろう。宗教的思考を排除すればするほど、答えは遠退いて行くような気がする。

  ちなみにSF映画によく出てくる、「コールドスリープ」は、人をいわゆる人工冬眠状態にして代謝、老化を抑える、という考え方である。これらはまだ動物実験段階だ。考えられている対象が、地球から遥か彼方へ行く宇宙飛行士など「生きた人間」に対しての行為を想定している為、上記の死亡後の冷凍保存とは訳が違い、課題も大変多く、とても実現されるにはまだまだ道のりは遠い。しかしこれも、10年で実現しないとは誰も100%言い切れない。

いつの時代でも、最先端科学技術の発展というものは、「神への冒涜」と言う猛反発をよく受けるものであるが、将来的には、もしかしたら「神の領域」、などという概念すらもなくなるのかもしれない。

「神様とか宗教とか昔の人類は言ってたんだってさ」
「人間が戦争して殺しあってた時代があったんだってさ」
「心はどこに存在しているかって、昔の人は胸を押さえて、ここって言ってたんだって」

などと言って、我々の曽孫の世代には笑っているかもしれない。
人格、性格さえも、高度にプログラムされている物をインストールするだけになっていれば、「努力」「神」「愛」などという言葉も、消えて使わなくなってしまうかもしれない。

「北の大地より、昔懐かし純人間体験ツアー」
〜この夏全てを捨て、プラグも外しブレインアンインストール!原始時代に戻った貴方は、そこで一体何を見つけるだろう〜(*脳事故傷害保険、再インストール及びアップグレード別途承ります)

「Real Human Love❤️Mars Time Travel 1224」
〜Christmasの聖なる夜、2人で本物の愛を見つけに行こう!君の瞳は1万ボルト、火星に降りて100万ボルト、さああなたも1万年前の火星で燃えるようなプロポーズを〜(*地球帰還後の時代誤差約50年はご了承下さい。再トランスファー費用別途)

この様な類のサービス商品が出てくるかもしれない。
そもそもそう言う時代になって「お金」は使わなくなり、価値を決める物差しは全く違う物になろう。

①電気や磁力、原子力よりもっと強力なエネルギーの詰まった粒とか、

②10トンの水が極端に圧縮されたカプセルとか、

③光と同等の素粒子超光速移動のタイムマシンに必要なパスコードや、

④AIと人体が同期する際に生まれる特殊な物質を詰めたビタミン剤のような物、

などに変わっているかもしれない。適当な事を言っているが、私の勝手な想像などせいぜいこの程度であるのだが、想像するのは自由だ(笑)。実際具体的にどんな風になっているのかなど、はっきりと予想する事などできはしない。もし未来からやって来た人がいて、知っていたとしても絶対教えてくれないだろう。

  止まる事がない科学技術の進化、そしてAIと人間の融合で、間違いなく人類は飛躍的に進化する。脳みそにプラグを刺す段階に至るには、もう少し時間がかかるかもしれないが、今私たちの目の前で、新しい世界は大きく口を開けて待っている。だからこそ、いつ脳みそにプラグを刺されてもいいように、100%生身の人間である間に、本当にやりたい事は出来る限りしっかりとやっておいた方がいい、と思うのだ。まして折角頂いた命なのだから、不注意で階段から転げ落ちて死ぬなんて、もったいない事をしてはいけない。常日頃から足元にもしっかり注意を払い、未来ばかりに気を取られてフラつかず、地にしっかりと足をつけて、人のためにそして自分のために、ありったけの情熱を持って生きなければならないぞと、自分に言い聞かせる令和元年の春であった。

つづく

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