見出し画像

【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-17

目次をみる
1-16へもどる   1-18へすすむ

消えたスポットライト

 佐藤さんとは別れたのだ。舞台は整っていた。

 帰りは新宿で夕食を取った。夏奈恵の部屋で抱きしめ切れなかった悔しさと、和美と別れたことで夏奈恵を抱くことを正当化していた私は、前の晩から食事の後は新宿のホテルに行こうと考えていたからだ。

 陽が落ちきった靖国通りを渡り、新宿コマ劇場のそばにあったお好み焼き屋に入った。

 煙にいぶされた畳の座敷で2人向かい合うと、夏奈恵は江ノ島の風景を細かく回想した。吹き付ける海の匂い。水族館で見たイルカの流線型の輝きや、アザラシの瞳の愛くるしさ。東京で見るより一回り大きな富士山。広い空と海の間を自由に行き交う海鳥の羽ばたき。

 互いにお好み焼きを焼いて、互いの味に文句なんかつけながら、笑いのつきない時間はあっと言う間に過ぎていった。
 余計なことを一切考えず私も笑った。腹が満たされても、笑って喉が渇くものだから、ついつい酒がすすんでいた。
 夏奈恵もグラスが空くと「次は何にしようかな」と考えては注文していた。
 そして夏奈恵がトイレに立って戻った時だった。2人のグラスは半分まで減って氷がすっかり溶けていた。


 「もう11時? 3時間もいるんだぁ」


 夏奈恵は一度時計を確認すると、そばを通りかかった店員に向かって人差し指をクロスさせた。終電に乗り遅れてやむなく、という作戦には暗雲が立ちこめる。

 すると店員は「レジでお願いします」と大きな声を出すものだから、すぐに席を立つことになり、暗雲は濃い雨雲となりかけていた。

 店を出ると、すっかり夜の歌舞伎町だった。風俗店のネオンや電光掲示が競うように発光し、体格の良い客引きの男どもが、通りゆく男性に声をかけたり、雑談を交わしていた。


「はあ、気持ちいい」


 夏奈恵が、この街のいかがわしい雰囲気には似合わない台詞を言うので、思わず笑った。


「何かおかしい?」


「いや、別に」


「涼しくて、気持ちよくない?」


 昼間の江ノ島が噓のように、9月らしさが肌に馴染む涼しい夜。微笑む夏奈恵は、私の舞台で、歌舞伎町のネオンというスポットライトを浴びていた。しかし、その明かりは突如として消えてしまった。

 夏奈恵は顔こわばらせると、何も言わずに、駅とは逆方向に向かって歩きだしたからだ。
 

1-18へつづく
”しおり”をはさむ方は、
コメント欄に「しおり」と記載して下さい。
詳細はこちら


この記事が参加している募集

サークル参加費に充てさせていただきます!もし少し余ったら執筆時のコーヒー代にします🤗