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Books, Life, Diversity #30

今回の本もすべて西荻窪のロカンタンさんで購入したもの。ロカンタンさんに置いてある本とぼくの持っている本は既に1%ほど重なっているくらい興味の波長が一致しているので、毎回行くのが楽しみです。といっても、仕事に追われる日々なので、そうそう気軽には行けないのですが。

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『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア、大橋完太郎監訳、居村匠、大崎智史、西橋卓也訳、人文書院、2020

ポストトゥルースに関する、現時点でもっとも読みやすく、かつその歴史的背景まで丁寧に分析されている本だと思います。特に認知バイアスについてはとても詳しく紹介されていますし、科学の否定についても気候変動と絡めて説得的に論じられており、納得しつつ勉強にもなりました。科学の否定についてはいまの日本社会における最大の問題だと感じているので、こういう本が出るのはほんとうに重要なことだと思います。

また、「偽の等価性」(メディアが自らの公平性を示すために、ある問題について対立する意見の片方がまったく科学的根拠を持たないような場合であっても、その双方の立場の議論に等しい時間を割いて伝えてしまうこと)や「情報サイロ」(「わたしたちに組み込まれた偏った嗜好を育てて、確証バイアスを培ってきたもののこと」p.89)なども、現代メディアについて考える際には改めて認識しておく必要のある重要な概念です。

筆者のマッキンタイアは明確に反トランプの立場にあり、そのことを明言しています。「分析のなかでわたしは誠実であろうとは務めるが、公平な立場を約束することはできない。一方が偏っていて誤っているときに、すべてが等しいと言い張るのは真実の概念への敬意を欠いている」(p.12)。ここには多くの論点が含まれるかもしれませんが、ぼく自身は非常に共感します。また、ぼくらがいくらフェイクニュースやら偽の透過性やらと言い合っていたところで、上記にもある気候変動は避けがたい現実としてぼくらの眼前に現れるのだという著者の基本的なスタンスも完全に正当だと思います。

一点だけ、ポストモダンに対する著者の評価は厳しすぎ、一面的過ぎるようにも感じますが、それについては監訳者の大橋氏による補論があります(言うまでもなくこれは「偽の等価性」などではない、読みごたえのある論考です)。

気候変動に対して倫理はどう応答すべきかということと、いま民主主義が異様なまでに劣化している状況をメディア論的にどう考えるのかということが、いま自分のなかでは大きなテーマになっているのですが、それをポストトゥルースによってきちんと接続し解き明かしている点でも、本書は非常に面白く読めました。

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『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』ヴィエト・タン・ウェン編、山田文訳、ポプラ社、2019

その名の通り、様ざまな土地を追われて様ざまな土地へと移り住んだ作家たちによるエッセイ集。これは本当に心を打たれる本なので、ぜひ。これもまた、トランプ政権下における排外主義の高まりのなかで出版されたものであり、いまだからこそ読んでほしいと思います。そしてそれだけではなく、作家がなぜ書くのかという、時代と状況を超えた問いに対する、美しく、悲しく、そして強くもある応答の見事な実例にもなっています。編者のウェンによる「はじめに」は素晴らしい。前に紹介したかな、アーヴィングやオブライエンに並ぶ、書くことへの責任、義務、権利、オブセッション……、そのすべてがここにはあります。

作家とは痛みのあるところへと向かうべきものであり、よそ者であることがどういう感覚かを知っている必要がある。よそ者の生を心に呼び起こすことができなければ、作家の仕事は不可能だ。[…]作家のヴィジョンに声を与えるには物語が必要であり、おそらく声なき者のかわりに語るためにも物語が求められる。声なき者の声を聞くというレトリックには強い力があるが、物語を聞いたり本を読んだりするだけで満足するのは危険だ。物語を聞き、本を読んだからといって、声をもたない人のなにかが変わるわけではない。読者も作家も、文学が世界を変えると自らを欺いてはいけない。文学が変えるのは読者と作家の世界だ。人々が腰をあげて世界へ出て、文学が語る世界のあり方を変えようとなにかをすることで、ようやく文学は世界を変えることができる。[…]ここで問題なのは、声なき者と呼ばれる人たちは、ほんとうは声をもっていないわけではないということだ。声なき者の多くは、実は絶えず語っている。聞こえるところまで近づけば、聞く力があれば、聞こえないものの存在に気づいていれば、声はけっして小さくない。[…]ほんとうに正しい世界は、声なき者を代弁する必要がなくなったときに訪れる。(p.18-21)
わたしは父と母が経験した喪失を思いだせるし、ふたりの声を思いだせる。若いときに出くわしたヴェトナム人難民たちの繰り返し自分たちの物語を語って嗄れた声も思いだせる。けれども、姉の声は思いだせない。ともに脱出したものの成功しなかった難民たち、生き残らなかった難民たちみんなの声も思いだすことはない。ただ、想像はできる。想像できるものなら聞くこともできるかもしれない。ほかのだれも聞こうとしない人々の声を作家だけが聞けるのなら、おそらく作家はそれをあなたにも聞かせることができるはずだ。それが作家の夢でもある。(p.24)

このアンソロジーにあるすべての物語は、本当は絶えず語っている、けれどもこの世界では声なき声とされている声の代弁になっています。敢えて、なかでも特にぼくが気に入ったものを挙げるとすれば、VRによる難民体験について書いているファーティマ・ブットーの『肉と砂』、途轍もなく複雑かつ数奇な人生を送った男についての物語、アレクサンダル・ヘモンの『神の運命』の2作でしょうか。どちらもぼくの研究テーマに重要な示唆を与えてくれます。特に『神の運命』のラストが良いのです。省略不可能に入り組んだ不可思議な体験の果てに、この物語の主人公ケマルの手に残されたテーブルクロスの小さな縫い直しの痕。巨大で謎に満ちた人生の総体が、その一点に焦点を結んで現れています。

いずれにせよ、異様なまでの排他主義がはびこるいまだからこそ読んでほしい一冊です。

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『HAPAX13 パンデミック』夜光社、2020

コロナウィルスについての人文学的考察として、ようやく一冊の本(雑誌)として優れた質と強度をもったものが出ました。恥ずかしながらHAPAXはロカンタンさんに行くようになってから、たまたま表紙が素晴らしくて手に取るまで知らなかったのですが、毎号非常に鋭く優れた論考が載っていますね。

個人的には、非常に先鋭的でユニークな著書を出し続けている江川隆男氏へのインタヴューが面白かったです。パンデミックは気候変動と(そして人文学と)根本的に関連づけて考えるべきだとぼくは思っていて、ここに掲載されている他の論考でもそれは触れられているのですが、そこで決定的にポイントになるのは制御不可能であること、予測不可能であることです。その点においても江川氏の気象哲学は非常に示唆に富みます。

あとは「「~べき」という「道徳(モラル)」」(p.200)から「あなたがいること、ただそのことがひたすらに〈よい〉のだ」(p.204)ということへと説き解していく神佛共謀社の『アナーキー当事者研究』(これは単なる自己肯定ではなく、浄土宗や創世記を参照しつつ語られる存在論的次元における存在そのものの肯定です)も、ちょうど先に書き終えた自分の論文で「「べき」としての倫理」から「そうで在ることの倫理」ということについて拙くも考えていたので、共感しつつ読みました。

その他、それぞれに読みごたえのある論考ばかりであり、HAPAXは本の大きさも読みやすいサイズなので、構えず、ぜひ気軽に読み始めてください。内容は極めてハードですが、パンデミックについての最高の成果の一冊だと思います。

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