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Books, Life, Diversity #2

というわけで第二回。しばらくは民主主義やヒューマニズム関連のものが続きます。なお「新刊本」は投稿時点から一年以内に出版されたものとします。今年に限定してしまうと紹介できるものが尽きてしまうかもしれませんので……。

「新刊本」#2

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畑中章宏『死者の民主主義』トランスビュー、2019年

私の研究の根本には、もう語り合えない存在(死者)や語り合う言葉がない存在(石や風)とのコミュニケーションとはいかにして可能なのか、そしてそこから現れる民主主義とは何か……という問いがあります。けれども、まだまだそこに至る道のりはとても遠い。最近、哲学よりむしろ文化人類学や民俗学に多くを学べることに気づき始めました。この書もまたその優れた例の一つです。死者もヴァーチャルも異界も含んだ民主主義とは何か。これからの民主主義をラディカルに語るためには欠かせない視点でしょう。

「表紙の美しい本」#2

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アルフォンソ・リンギス『汝の敵を愛せ』中村裕子訳、洛北出版、2004年

「汝の敵を愛せ」。これ以上に民主主義を表す言葉があるでしょうか。リンギスは、個人的には現代最高峰に位置づけられる哲学者の一人です。型破りですがその語り口は平易で、哲学というものが単なる知的お遊戯ではなく、私たちの生、そのものであることを見事に体現しています。先に紹介したランシエールの『民主主義への憎悪』にも近いモノクロームな表紙ですが、『民主主義への憎悪』がシャープで冷え冷えとした雰囲気であるのに対して、『汝の敵を愛せ』は遠くにあるもの、隠されているものが光の裂け目から突然現れるような、そんな迫真性を感じさせます。もちろん、どちらも好きです。ちなみにリンギスの翻訳された書籍は洛北出版に限らずどれもみな表紙が素晴らしいので(出版にかかわった人たちに本当に愛されているのを感じます)、ぜひ探してみてください。(2020/05/01追記:装丁は戸田ツトム氏です。肝心なことを記載していなくて申し訳ありません。)

「読んでほしい本」#2

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サン・テグジュペリ『人間の土地』堀口大學訳、新潮文庫、1995年(57刷)

私は本を愛する人間ですが、本に囚われてはいけないとも思います。あるとき素晴らしい本たちと出会い、またそれを誰かに引き渡していく。本の一生というものがあるのなら、そのわずかな一時期を共に過ごすというだけで良いのかもしれません。それでももし、ずっと手元に置いておきたいと願う本があるのなら、これは間違いなくその一冊に入ります。サン・テグジュペリは一般的には『星の王子さま』で知られていますが、『人間の土地』はすべての大人たちに読んでほしい本です。堀口大學が書いている通り、これは「現実的な行動の書であると同時にまた、最も深淵な精神の書」であり、魂に「《郷愁》をふるいおこ」す書です。

この羊飼いが、自分の役割を認識しようと、はたして希っているだろうかと、きみは疑うのか? ぼくはマドリードの戦線で、塹壕からわずか五百メートルの所に、簡単な石垣をめぐらして小山の上に設けられた、学校を訪れたことがある。一人の伍長が、そこでは植物学を教えていた。雛芥子の花の脆弱な器官を、手先に示しながら、彼はそこいらじゅうの泥の中から這い出してくる髭もじゃの巡礼者たちを集めていた。彼らは砲弾の中も厭わずに、彼のもとへと巡礼に登ってくるのだった。伍長の周囲に集まると、彼らはあぐらをかいて、拳に顎をささえながら、じっと聞き入っていた。彼らは眉を寄せたり、歯を食いしばったりした。彼らには、講義のことはたいしてわからなかった。ただ、〈きみたちは野人だ、きみたちは原始人の洞窟からわずかに一歩出ただけだ、人間性に追いつかなけりゃいけない!〉こう言われると彼らは、重い足を引きずりながら、人間性に追いつこうとして、ひたすら急ぐのだった。(p.197-198)

ヒューマニズムは、その名の通り人間にのみ可能なものです。でもそれは人間が他の存在よりも優れているとかいう奢った意味ではなく、善でもなく正義でもなく、むしろ狂気にも似た何かです。そしてその極限にこそ美しく悲しくそして怖ろしい、人間が「在る」ということそれ自体が現れてくるのだと思います。

精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。(p.205)

世紀の名著という言葉にこれほどふさわしい本はない(突然の断言)。

そんなこんなで、また次回。

この一連の記事では、出版支援として以下のプロジェクト/情報へのリンクを毎回貼らせていただきます。


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