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Books, Life, Diversity #22

金曜日の夜はのんびり本を読むのにふさわしいときです。金策のことを考えるとわーっと頭を抱えて走りまわりたくなってしまいますが、お茶などいれて、優雅に本を読んでしまうのです。食べるための仕事であるプログラミングもまだ区切りがつかないのですが、それでも本を読むのです。というわけで第22回。

「新刊本」#22

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ヨゼフ・チャペック『独裁者のブーツ イラストは抵抗する』増田幸弘、増田集編・訳、共和国、2019年

『R・U・R』や『山椒魚戦争』で知られるカレル・チャペックの兄、ヨゼフ・チャペックによる、ナチスに抗するために描かれたイラスト集です。チャペックに詳しいイージー・オペリーク氏、パヴラ・ペチンコヴァー氏の寄稿、そして編集・翻訳をした両増田氏による解説、資料と、イラスト以外も非常に充実した内容になっています。それにしてもなぜ「独裁者のブーツ」なのか? 「序」を執筆しているヨゼフ・ホフ氏が的確にそれを説明しています。

いくつかの国では、知性の光があることで安心しきった国民が自分の考えをもつことに憶病になり、なにも考えずにしたがわされてきた。高い台座にある一足の独裁者のブーツを絶えず仰ぎ見てしたがっていれば、国民はなにも考えずにすむ。それが天から授けられたものだとしても、あるいは混沌から星が生まれるように頭のなかで生まれるものだとしても、ヨゼフ・チャペックが幻視したように、独裁者の靴が行進して数百万の頭蓋骨を踏みにじり、その理解しがたいものを崇めさせ、健全な思考を失わせてきた。
時代を代表するイラストレーターは、独裁者の靴の身振りをとらえるたびに悪夢にさいなまれていたようだ。しかし、そうではない! それはチャペックの悪夢ではなく、私たちすべてに横たわる悪夢なのであり、ちりぢりの断片にすぎなかった悪夢の話をしているうちに、それらの断片が像を結んで全体主義の亡霊として立ち現れ、その楽屋に靴職人の卵が独裁者のブーツをもってやってくるのである。
若い靴職人の口笛が聞こえるだろうか? 国民も、彼のように、独裁者のブーツがただ単に牛革でつくられていることに、いつか気づくだろう。(「序」)

ヨゼフ・チャペックのイラストはシンプルですが、多くの抵抗のために描かれたイラストがそうであるように、言葉と同じくらい、あるいは言葉以上に、私たちに抵抗の叫びを伝えてきます。イラストについては実際に購入して御覧いただきたいのですが、私がなかでも好きなのは『リドヴェー・ノヴィニ』に1938年4月5日に掲載されたものです。お祖父さんと子どもたちが地下深くの薄暗い部屋に居り、地上には戦闘機が飛んでいるなかで、次のような会話が交わされます。

「おじいちゃん、おじいちゃん、ルイザちゃんが言ってるんだけど、人は昔、地上に住んでたって、本当じゃないよね!?」
「そうだね、そういうときもあったね。まだ覚えているよ。人が空を飛ぶことを覚えてしまってからというもの、地下に住まなくてはならなくなったんだよ」(p.71)

もしお手元に本書があれば、ほとんど線画に近い子どもたちとお祖父さんの表情をぜひよく見てみてください。

ヨゼフ・チャペックは1945年、戦争が終わった年に収容所で亡くなりました。それから半世紀を遙かに超え、けれども独裁者は――それはいよいよ巧妙に姿も見えないものになりつつ――未だにブーツの音を立て、この社会を歩き回っているように思います。そんな時代であるからこそ、それへの抵抗としてのイラストをまとめた本書は、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

装丁は宗利淳一氏。赤と黒のコントラストが恐ろしくも美しい、これもまたすばらしいデザインです。

ヨゼフ・チャペック、とてもかわいらしい絵も描いています。文庫で簡単に手に入るものとしてはカレル・チャペック『いろいろな人たち』(飯島周編・訳、平凡社ライブラリー、1995年)があります。

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表紙もヨゼフによるもの。犬はダーシェンカですね。彩色は水月千春氏。

「表紙の美しい本」#22

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岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社、2019年(19刷)

社会学者である岸政彦氏が、その枠組みから外れた出来事についての語りを、敢えてそのままに集めたものです。集めた、といってもそれは血が通っていない収集などではありません。学問的な分析から外れた「無意味な」断片が寄り集まってこの世界ができたのであれば、まさにその世界のなかで生きているひとつひとつの命をつなぐものとして生み出された本だと言えるでしょう。無意味ということも、ですから冷たく突き放したものではなく、分析対象でも評価対象でもないなまの生という意味において無意味なのです。

最終章「物語の欠片」の最後の一行がほんとうに美しい。それから「あとがき」もとても素晴らしいです。

いま、世界から、どんどん寛容さや多様性が失われています。私たちの社会も、ますます排他的に、狭量に、息苦しいものになっています。この社会は、失敗や、不幸や、ひとと違うことを許さない社会です。私たちは失敗することもできませんし、不幸でいることも許されません。いつも前向きに、自分ひとりの力で、誰にも頼らずに生きていくことを迫られています。[中略]
こういうときにたとえば、仲のよい友だちの存在は、とても助けになります。でもいまは、友だちをつくるのがとても難しくなりました。不思議なことに、この社会では、ひとを尊重するということと、ひとと距離を置くということが、一緒になっています。[中略]
ひとつは、私たちは生まれつきとても孤独だということ。もうひとつは、だからこそもうすこし面と向かって話をしてもよいのではないか、ということ。こんなことをゆっくり考えているうちに、この本ができました。(「あとがき」)

素晴らしい本なのでぜひ読んでいただきたいのですが、「表紙の美しい本」枠に入れたのは、表紙が本の内容と見事に合っているからです。私たちの無意味でありふれた(それは、存在する価値がないとか、無駄だとか、あるいは逆に有用だとか、そういう次元の話では決してありません)、どこにでもある生活の断片。だけれども確かにそこには徹底して固有の生が、剥き出しのリアルさが浮かび上がってくる。どうということのない街並みの古ぼけたビルを写した写真は、静かに、けれども強く、この本が何を語ったものであるのかを伝えてきています。ブックデザインは鈴木成一デザイン室。

写真は西本明生氏によるもの。

「読んでほしい本」#22

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ギュンター・アンダース『われらはみな、アイヒマンの息子』岩淵達治訳、晶文社、2007年

ギュンター・アンダースは、フッサール、ハイデガーのもとで学んだ哲学者で、非核運動へのかかわりでも有名です。アンダースはベンヤミンの従兄弟でもあり、アーレントと結婚していたこともあるという、この当時の哲学者たちの関係性というものを考えるとちょっと不思議な気持ちになります。本書は、強制収容所へのユダヤ人移送局長官であったアドルフ・アイヒマンの息子、クラウス・アイヒマンに宛てて書かれた公開書簡です。

アンダースは決して激情にかられることなく、父親がアイヒマンであるという事実によって息子であるクラウスが何を奪われることになったのか、そしてそれでもなお、クラウスが人としてどのようにそれを理解し、振る舞わなければならないのかを、一つ一つ語りかけるように論じていきます。けれどもこれは父親を選べなかったクラウスに対する公正な寛容さというよりは、むしろ苛烈なまでに公正な、人間への責任、人間であるということへの責任に貫かれたものです。それゆえアンダースは、尊敬がないところには哀悼も生まれないと語ったあとで、クラウスに対して次のように要求します。

そういうわけでこれから先、父上を哀悼しようと試みることもやめてください。遺影は壁から外してください。昔父上と一緒に通った道を往復することもやめてください。そして私があなたから最後のものまで奪い去ろうとしているなどと言わないでください。反対に、これであなたの歩みはよい方向をとりはじめるかもしれないのです。それどころか、こういうことを放棄することで再び哀悼ができるようになるかもしれません。。あなたの父上の死を哀悼することはできませんが、あなたの哀悼が死滅したことを哀悼できるのです。あなたの父上を哀悼することが不可能なままであるのを哀悼できるのです。(p.29)

もちろん、いろいろな考え方はあるはずですし、またそれぞれに置かれた立場によってもそれは変わるかもしれません。それでも、私たちが私たちの為したことではない過去についての責任というものを考えるとき、これほど端的で、これほど厳しく、かつこれほど必要な態度はないと私は思います。

アンダースは、ユダヤ人虐殺という「制度化され工場化された人間の抹殺、それも何百万人もの人間の抹殺」を引き起こした「怪物的なもの」が、実は現代においてもその根を残しており、繰り返し、そしてより徹底した形で現れることを指摘しています。その帰結として生じるのは、「世界が機械になる」こと、「本当に技術的・全体主義的状態」になることです。だとすれば、そのことについて考えるのをやめてしまい、諦め、あるいは積極的にそれを受け入れるのかどうかという点で、私たちもまた「アイヒマンの息子」なのだとアンダースは言います。ナチスによるユダヤ人虐殺についてのもっとも優れた思想の書であると同時に、現代社会を生きる私たちにもそのまま伝わる、人間であることを問う書です。

なお、本書にはクラウスに宛てた第二書簡も含まれていますが、これはひたすら諦念と静かな怒りに満ちていて、いっそう辛いです。印象的なカバー絵は土屋純一氏の作品「月」(1996)。

この一連の記事では、出版支援として以下のプロジェクト/情報へのリンクを毎回貼らせていただきます。



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