見出し画像

Books, Life, Diversity #9

あっという間に第9回です。

「新刊本」#9

画像1

早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』有志舎、2020年

なるべく幅広くニュースに目を通そうとは思いつつ、私が目にするのは結局のところアメリカ/ヨーロッパに偏ったものになってしまいます。これは誤解を与えてしまうかもしれませんが、私は時代の転換点になる出来事がある、などとは、そうそう簡単には言えないと思っています。アメリカ同時多発テロ(テロという言葉にも私たちはもっと注意深くなった方が良いと思いますが)が起きてからしばらくして、アメリカ中西部にある神学校のサマースクールのようなものに行く機会がありました。幾つか記憶に残っていることのひとつに、東南アジアの或る国から来た留学生との会話があります。彼は、自分たちの国はアメリカによって9.11よりもはるかに多くの犠牲を出してきたし(無論、数自体が本質ではないということは承知の上で)、9.11を特権化して時代が転換するのだというメディアの論調には同意できないと、静かに激怒していました。彼の主張が絶対に正しいとか、そういったことではなく、私たちは歴史を見るときに、あるいは歴史というものを、分かりやすい出来事と出来事を分かりやすく結んで分かりやすい物語にしてしまいがちです。私のような半端な研究者は特に危ない。だけれどもその分かりやすさの裏側には、数えきれないほどの打ち捨てられた徹底して固有の出来事がある。

前置きが長くなりましたが、この『パレスチナ/イスラエル論』もまた、私が普段ぼんやり見過ごしてしまっているこの悲惨な出来事について、その複雑さに真向から取り組みつつ、かつ見通し良く論じている本です。そこで起きていることは目を背けたくなるような悲惨で無残で残酷なことで、かつ、日本も無関係などではまったくない。コロナウィルスによってグローバルな連帯が云々などという言説が溢れ、他方では分断もまた生み出されていくなかで、その言説から排除されている、私たちが責任を持つべき出来事を冷静に突きつけてくれるこういった研究は、本質的な意味で人文学としての責務を果たしているし、リアルに現実を問い直すという意味でも優れたものだと思います。ぜひいま読んでいただきたい一冊です。

「表紙の美しい本」#9

画像2

京都工芸繊維大学美術工芸資料館監修、中川可奈子編著『チェコ ボーランド ハンガリーのポスター』青幻舎、2017年

済みません、この一連の本の紹介記事、最初に書いた通り「読んでほしい本」以外は書誌情報のみでなどと言いつつ、悪い癖でだんだん文章が増えてきてしまっています。これだと体力的/時間的に持続できないので、ちょっと初心に帰ってシンプルにまとめます。でもこれ、本当にかわいらしくて、文庫サイズで手に収まるし、全編カラーで一枚一枚が相当に風変わりで可愛くて、けれども攻めているデザインのポスターで、凄く良いんですよ。プレゼントにも良いし、自宅に置いておいてふと眺めたりするのにも最適です。基本、300頁に近いほぼすべてがカラーで印刷されたポスターなのですが、冒頭には総論があり、なぜこの時期にこれらの国で、これほど多様で魅力的なデザインのポスターが生まれたのかが手際よくまとめられています。装丁は美馬智氏によるもの。

「読んでほしい本」#9

画像3

ウィリアム・ウォートン『クリスマスを贈ります』新潮文庫、1992年

頭でっかちで感性豊かな少年たちが徴兵され、第二次大戦における西部戦線に送り込まれ、次々と無意味な死を遂げていく……と書くと、もうそれだけで憂鬱になってしまいますが、主人公たちの若者らしい悩みや希望が生き生きと描かれ、それだけにいっそう悲惨な物語であると同時に、反戦小説という枠組みを超え、優れた青春小説になっています。そしてだからこそ逆説的に、戦争の悲惨さ、酷さを徹底して描き出してもいます。物語は、戦略的にはまったく無駄でしかない古い城塞の偵察と防衛を主人公たちが任されるところから始まります。そこでは激しい戦闘もなく、主人公たちはひさしぶりにのんびりとした時間を過ごすのですが、少しずつドイツ兵たちの影が見え始めます。けれども緊張する主人公たちの予想は外れ、何とクリスマスの晩には、即席のクリスマスツリーを挟んでドイツ兵たちとプレゼントを交換しあうということまで起きるのです。ウォートン特有の、ありそうもないのにありそうな、何とも奇妙で心が温まるシーン。そして唐突に訪れる破局。ラスト、主人公の見る世界が一気に乾き、ありのままのリアルが剥き出しになっていく。確かにこれは残酷な意味での青春小説であり、完全に無意味であるという意味において大人になるということが見事に描かれています。

「ヴァンス、あんたはどうして分隊の仲間とチェスをしないんだ。弱すぎて相手にならないからか」長い沈黙。またヘマをやってしまった。これも、首をつっこむべきことじゃなかったようだ。ヴァンスは立っており、ぼくは穴の底にしゃがんでいる。彼が見下ろす。「人に言わないなら」「ファーザー・マンディの名誉にかけて約束する」彼は闇に目をこらす。「おもしろくないからだよ。勝ってしまうからじゃなく、みんながチェスをしてないからだ。あれでは遊びにならない」黙っている。「ドイツ語ではチェスを『シャック』というんだ。彼らの言葉でいう戦闘[シュラクト]に語感がよく似ている。ミラーも他の連中もそうだが、チェスを闘いだと思っている。そうじゃなく、チェスは誘惑なんだ。クイーンがキングを誘惑しようとするゲームだよ。キングの抵抗力をなくして誘いだす。そういう遊びであって、あれには勝ち負けなどないのさ。追いつめたときに『チェックメイト』というだろう。殺すのでも捕まえるでもなく、最終的には縁組み[メイト]するものだ。そう考えれば、誰でもチェスで遊べるようになる」(p.137-138)

そんなこんなで、また次回。

この一連の記事では、出版支援として以下のプロジェクト/情報へのリンクを毎回貼らせていただきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?