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人類の業の肯定とは

つい先日、国立演芸場にて落語を見てきた。
4月の中席、トリは笑点でもお馴染みの三遊亭小遊三師匠である。

演目がこちら
私が反射して映っているのはスルーしてほしい

いずれも人の勘違いや知ったかぶり、お節介を見事に笑いに昇華している。

かつて立川談志師匠は『落語とは、人間の業の肯定である。』と言ったそうで
間抜け、怠惰、お節介、せっかち、知ったかぶり、登場人物の多くに何かしらの欠点があり、それらを見事に演じる事によって笑いが生まれる。

人間は不完全で良いのだ、と許されているような気持ちになるのだ。

落語には作中に酒や煙草が出て来る話が多くある。
落語が人間の業の肯定なら酒や煙草は人類にとってどんな存在なのだろう?

タバコが最古に確認されているのは7世紀末、メキシコの古代都市パレンケの神殿でパイプで煙を蒸かす神像が存在している。
1300年余り前の話だ
その頃には既に喫煙という文化があったということだ。
酒の記録はさらに古く紀元前7000年頃
中国の遺跡で酒の成分を含んだ陶器片が出土している

どちらも体に悪いことは明白で、そのことによるトラブルは古くからあったことだろう。

それでも人類はそれを辞められずにいる

落語はそれ自身を人間の業の肯定であると位置づけた

酒とタバコは人類にとってなんなのか?
答えはまだ出ていない
それを考え続けるのが自分の人生なのだ


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