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脱走の記録①

3歳くらいだったかなあ、もう少し大きかったかな。幼稚園に友達がいなくて行きたくなくて、ほぼ不登園の状態だった。その日も家でお母さんと一緒にいたことを覚えてる。

お母さんは郵便局に行く用事があって、みっちゃんも一緒に行く?と聞かれた。家出たくないなと思って、お留守番してる〜と答えた。はず。

たぶんお母さんはまだわたしが家の鍵を開けられるとも思ってなかっただろうから、戸締まりをしてそのまま出かけて行った。

お母さんが出掛けたあと、急に寂しくなった。どうしてもお母さんに会いたくて、見よう見まねで玄関の鍵を開けたまま、郵便局まで歩いて行こうと思ってひとりで家を出る。

家から最寄りの郵便局までは3kmくらい。大人の足でも徒歩40分くらいだし、そもそも郵便局の場所なんて知らなかったから辿り着けるわけないんだけど。とにかくお母さんに会うことだけ考えながら、家の前にある大きな道を歩こうと思って。

家を出てすぐ、知らないおばあさんに声をかけられた。どこ行くの?と聞かれて、ゆーびんきょく…と半泣きで答えるわたし。

おばあさんは当然びっくりして、それでもわたしの状況をおおかた理解してくれたみたいだった。とりあえずおいで、となだめられて、おばあさんの家に上がらせてくれた。

そのおばあさんの家は自宅のすぐ近くで、いま思えばわたしがどこの子どもなのかもわかってたんだろう。

こんなものしかないけど…と、ゆでたアスパラにマヨネーズをかけたものを出してくれた。口内炎に沁みて少し痛かったこと、安心感で涙目になりながら全部たべたことをとてもよく覚えてる。ほっとしたのか、記憶はそこで途切れていた。

それからどうなったんだっけ、と思って、年始に実家へ帰省したときにお母さんに話してみた。そしたら、脱走したことも保護してもらったことも、お母さんはなにも知らなかったらしい(なぜかお父さんは知ってた)。

おそらくそのおばあさんは、お母さんが郵便局から戻るくらいの良きタイミングで家に帰してくれたんだろう。わたしも落ち着いていて家にいたから(眠ってさえいたかもね)、お母さんもそんなことがあったとは気づかなかったんだろうな。

もしあのときおばあさんに会っていなかったら、別の知らない人に声をかけられていたら。あるいは誰にも会えなかったとしたらどうしてたんだろ。と、たまに思い出す。

いまでもたまに自分1人で大きくなったような顔をするけど、自分を助けてくれた数多の人たちがいることを絶対に忘れちゃいけない。

ちなみに、なぜ脱走の記録①かというと、ちびっ子時代の脱走はこの1回だけじゃないからです(大人になってからもあるけど)。②以降はまた今度書きましょう。

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