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退屈なのは誰のせい?

赤ちゃんにだじゃれや回文を言っても意味を理解して笑わないように、受け取る側の知識がないと楽しめないことは多い気がする。

今日は有名な作品の舞台を観にいったのだけど、知識がなさすぎてなーんもわからんかった。でもそれは自分のせいなのだ。

もっと予備知識があればこの台詞が熱いんだよなとか、こういう背景があるからこんなリアクションをするんだよなとか、いろんな整合性が取れてより作品の深部まで楽しめる。

だから自分にとっておもしろくないと感じるものは、良さを受け取りきれなかったのかもしれない。世の中には本当に退屈なものもあるのかもしれないけど、世に出てる以上はなかなか稀な気がする。

さて、ここまでは作品を受け取る側の話。作者として考えるならば、受け取り手に過度な期待をしてはいけない。

これくらいならわかるでしょ、だいたいこのニュアンスで伝わるよね、は、9割伝わらないと思っておる。受け取り手は自分じゃなくて、まったく違う世界を生きてきた他人だ。

だから、わたしが伝えようとしたことが伝わらないのはわたしのせいだと思う。それこそ、子どもが読んでも理解できれば100点満点である。

昔はさあ、覚えたての難しい言葉使いたくてしょーがなかったなー!!

受け取り手は作り手のせいにしてはいけない、作り手は受け取り手のせいにしてはいけない。と、己の心に深く刻んでいます。


実生活はどうなんだろうね。どうあがいても楽しくないことって多分あるし(苦手なこととか苦手な人といるときとか)、それは自分のせいとは言い難いかもしれない。

でももしかすると、ちょっと工夫するだけで楽しくなることがあるのかもしれない。生きるのがうまい人とかいつも楽しそうな人は、発想の転換をうまくできるのかな。

どんな時間も楽しむコツ、あればぜひ教えてください。

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