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思考の二次元化 2023/2/9〜2/13

2月9日

行きたくない場所に行くとき、やりたくないことをやるとき、みぞおちのあたりにスーパーボールくらいの鈍い痛みというか違和感みたいなものを感じる。最近はあんまない。


おそらく営業前の石焼き芋カーが、雪道を爆速で走ってたのを見た。爆走する石焼き芋カーはなかなか見られないのでレア。

2月10日

ひとつ忘れ物をしてしばらく収拾できないタスクが増えるとめっちゃ萎える、、なるべくタスク0の状態でずっと過ごしていたい。


夕闇が炎上してから、ものごとを多面的に見ることの難しさについてよく考える。いろんな可能性を考慮するにはあまりに世界が広すぎてしまうから、二次元でものを見るほうが楽だし実際そうしてしまう。

今までいかに側面だけを見て判断していたかがわかる。正解はたくさんあるのに、ひとつだけ見つけてはそれで満足していたんだな。

バイトテロや迷惑行為の炎上、コロナの村八分。もしも「悪事(大小問わない)を働いた者に対しては自らが加害してもいい」という精神構造がより広がったら、もっと陰湿で暴力的で取り返しのつかないことになるかもしれない。もうなってるのかもしれない。

2月11日

なんか最近は脳みその中にごみが溜まっていて、思考のシナプスがつながりにくい感じがする。

人に認められたい、憧れられたい、知ってほしい愛してほしい。そんな醜くてカッコ悪くてダサい根源的欲求を満たそうとして、言葉で塗り固めては綺麗に見せようとしてるだけ。ほんと小さい人間です。が、人間らしく考えながらもーちょいがんばってみたいとおもいます。

頭のキャッシュを削除するためにたくさん歩いた。10kmくらいだった。たぶんあともうちょっと、明日も歩こう。

凍った川の上に誰かの足跡あり

2月12日

他人のシンプルな本音は美しい。

2月13日

毎週月曜日しか営業しない喫茶店に来た。たしか1年半前くらいに知って、それから何度も通っている。

お客さんの多くは1〜2名で来ていて、空間も心地よければごはんもおいしい。テイネイってこういうことなんだろうと思う。

メインの料理は週替わり(週1の営業だから日替わりでもある)で、今日は本鱒と長芋のカレー。いつも固定なのはだし巻きたまごとピンクグレープフルーツ、それからごはん。

だし巻きたまごはちょうどよい薄味で、たぶん濃い味が好きなひと用に醤油もついている(わたしは使ったことないけど、たぶんとてもいい醤油なんだろう)。

ピンクグレープフルーツは彩り兼ビタミン兼デザートって感じなのかな。青菜はそのポテンシャルを存分に活かして最も色鮮やかな状態に仕上がっている。

ここに来てごはんを食べると、食事にだけ集中することの大切さとそれに伴う満足感を実感する。自分の料理やジャンクで簡単な食品に飽き飽きしたら、いつもここで食事の満足感を取り戻している。

場所にはエネルギーがあって、必要な場所に行くことで必要な心の栄養をチャージしている。そんな気がする。


人生1回きりなんだから自由にやりたいことして生きるぜ。と基本思っていたのだが、キミが我慢せずに生きてる分は人に我慢が移動してるんだよ、と頭をはたかれた感じがした。

5年前10年前の自分にさえ呆れられてしまいそうなくらい、何度目ましての初歩的な気づきだ。助走つけてぶん殴られてもおかしくない。

もう何度も似たような経験をしては、反省してから思い出さず忘れてしまっていた。長い間思い出さないでいると、どんどん頭の奥に眠っていってしまう。

新しいことは生み出したがるくせに、学習能力と再現性がなさすぎる。これはもう人間として明らかな欠点よ。

我慢の壺は、いつでもある程度満たしておかなきゃいけないのだ。そうでないと誰かの壺が溢れてしまう。

これも同じく思考の二次元化だ。自分のことばかり優先しては、他人に我慢を強いていることにすら気付けなくなる。手遅れになる前にちゃんと心に刻むように。

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