「歯形」

 わたしの歯形は丸くてきれいだ。もちろん噛んだ跡は丸くて美しい。

気になった子がいたらとりあえず噛みつくことにしている。丸くてきれいな歯形がついたら嬉しいだろう。だってまん丸いんだし。

 びっくりされるが、びっくりしすぎて印象に残り、その歯形が残っているうちはわたしのことを思い出す。十四のころは面白がられ、二十のころは気に入られ、二十六でもまだ効果があった。

 噛みつきは女の子だから許されるちょっとしたいたずらみたいなものだ。嚙みつかれた歯形を自慢げに同僚に見せびらかす男さえいた。男はいつだって変った女の子が好き。ふつうの女がいい、なんて言いながら変わった女を選ぶ。じぶんがふつうであればあるほど、当たりくじを引いてしまう。そのことに男は気づいていない。 

 噛みつくのはマーキングなのだ。誰かに噛みつくことで粘膜を接触させ遺伝子を残した記憶があるのかもしれない。

 二十九になったある日、男に噛みついても付き合えなくなったと悟った。

 それでも誰かにかみつきたい欲が降ってきた。歯の裏がもやもやする。噛みつきたい欲はむくむくと蘇る。何かの弾みで誰かに噛みつきたくなる。できるだけ耐えた。耐えるためにふとももをつねった。
 いけない、これをやったら白い目で見られる。そうは思ったが、ふとした緩みに衝動が起こった。気に入った男ではなく、怒らないと思われる男に。

 ぜんぜんうれしくない。うれしくないのになんで噛みつくのか自分でもわからなかった。噛みつきはじめたらもうどうでもよくなった。りんごに噛みつき、本に噛みつき、ふすまに噛みついた。歯形がゆがんでいた。噛みあとは丸くてきれいだったはずだった。ゆがんだ歯形に価値はない。相手にきれいな丸じるしをつけられない。わたしは動揺を抑えながら口の中を鏡で確認した。いつの間にか虫歯ができていた。ゆがんだ歯ではもう誰も歯形を見ても気にしてはくれない。

 歯医者に駆け込むと先生に言った。

「歯をまっすぐにしたいんです」

 先生は「虫歯を治して矯正しましょう」と微笑んだ。

 わたしはその日から歯に針金を通され誰にも噛みつけなくなった。半年もそうやっているなんてまるで纏歯じゃないか。

 歯並びがそろってるほうがいいなんて誰が言いだしたのだ。

 纏歯は笑うことを奪った。

 笑わなくなったわたしを見て、他人はついに病気になったかとささやいた。違う。矯正なのだ。

 半年のあいだわたしは丸を探した。丸くて美しいものを集めた。探しついでにへそにピアスもした。へそは輝いていた。

 半年たって矯正が終わって、先生に見せられた歯形に驚いた。丸くは戻ったが、わたしの歯形ではなかった。型にはまった歯形だった。噛みついてももう美しくない。十四のころは面白がられ、二十のころは気に入られ、二十六でもまだ効果があったが、もはや誰にも歯形を自慢できない。                          
                               (了) 

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