思考のカタマリを、置いてくる

インターネットとかWeb空間に何かを書いて残す、Twitterみたいなフロー的なものもあれば、このnoteのようにストック的なものもあるかと思います

スラムダンク桜木花道のレイアップシュートのコツ「置いてくる」というキーワードがぼんやりと頭に浮かんできたので、軽く文章として残しておきます

最近コロナ禍で通勤時間が無くなってから、移動時間が減り、体重は増えました
移動時間が減ったということは、いろんな情報に触れることも減ったのだろうか、と考えた時に、意外と触れることのできるようになった情報がとても増えているということに気づきます

何か情報を(動画なりテレビなり)聴きながら(垂れ流しながら)することができる類の仕事が意外と多いのです(特に事務作業なんかはそう)
もちろん集中したいときは消しています)
このように情報を受ける、インプットを増やす、ということを続けていると、ちょっとしたアウトプットをしたくなる、ということも当然増えるという状況になります

アウトプットする、具体的にはTwitterに書く、FBでシェアする、noteに書く、をメインとして、Tumblrで切り取る、社内のTeamsの雑談スレッドに書き込む、などなど、言葉としては練り込まれていないものも含め、軽くアウトプットしていくということが自然になりつつあります
要するにちょこちょこ書くことに慣れてきた、ということと思います

サイバー空間にアウトプットするというのは、その時脊髄反射的に考えたことも含めて、自分の思考のカタマリを空間に置いてくる(そのときの自分の脳のスナップショット、分身と言ってもいいかもしれない)、ということなんだなぁと考えているのですが、置いてきた思考のカタマリは、それを読む人は読む人なりのタイミングで読むわけです

置かれたものを読んで、響くケース、スルーするケース、様々あるでしょうけれど、そういった自分の思考のカタマリが、どこかの誰かに届くかもしれない、FBの場合は顔と名前が一致するあの人に届くかもしれない、TWの場合は声も聴いたこともない人に届くかもしれないということです

そこに触れた人がそのタイミングでどのように感じるのか、ということは「置いてきた」本人にもわからない、レイアップシュートが入ったのか入らなかったのか、わからないから面白い、ということもあるかもしれません

置いてきたものが、どこかのだれかのゴールに入ることを想像しながら、今後ちょくちょくモノを書いてみたいなと思います


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