『この世界の片隅に』
素晴らしい作品を観てしまったのです。
どうしましよう。
普段は試写券をいただいても、なんとなく足を運ばないことも多いのですが『この世界の片隅に』は、クラウドファンディングが始まった頃から気になっていました。
そのていねいな支援者への心配りは、たとえば物語の主人公すずさんから手紙が届くといったとても微笑ましいものであり、またその手紙をもらった人たちが本当にうれしそうにSNSにUPしたりと、優しさのキャッチボールのようでもありました。
7月に主役のすずさんに、のん(本名:能年玲奈)さんが決まったということで、さらに話題になりました。
マスコミ試写会ということもあって、監督の片渕須直さん、原作者のこうの史代さん、そしてのん(本名:能年玲奈)さんの登壇もセッティングされていました。そういうわけで、多少の邪念も入りつつ(だって……この目で!のん”本名:能年玲奈”さんが観られる!)試写へと向かったのです。
そのときの模様はネットで検索すればすぐにご覧になられます。特にオフレコの内容もありませんでした。
もちろん原作をお読みになった方も、たくさんいらっしゃることと思います。
内容について多くは触れません。
あゝソコは少し割愛されてしまったのかとか、あゝココはアニメ独自の演出がとかってことは、ぜひ劇場でご覧になってください。
声優としてのん(本名:能年玲奈)さんを、どのように評価するかは、難しいといえば難しいのです。ただ出来うるならば、観る前に必要以上にそこに重点を置かないで欲しいと思います。
旦那さんになる北条周作を演じていらっしゃる細谷佳正さん、妹すみ役の潘めぐみさん、幼なじみの水原哲を演じてらっしゃる小野大輔さん、それからボクが大好きな牛山茂さんは北条周作のお父さんの円太郎を演じてらっしゃって、それはもう充分に作品を支えていらっしゃいます。
そういう素晴らしいキャストの皆さんにしっかり支えられ、そしてのん(本名:能年玲奈)さん自身が持つ、すずさんというキャラクターに似通った部分が存分に発揮されているのは、間違いがないのです。
ボクは「あゝすずさんがのん(本名:能年玲奈)さんで良かった。生きている」と感じられたのです。
のん(本名:能年玲奈)さんは、これから舞台で例えばコメディエンヌを演じたりしたら、それはもう楽しいんじゃないだろうか?そんな夢想もできたのです。
片渕監督はおっしゃいました。
昭和30年代までは、世代の実感で描くことが出来た。しかしそこからたった10数年遡ろうとすると、なかなか苦労した。それをいま我々の世代が次の世代に引き継いでいかなくてはならないのではないか。
それを「地続き」と表現したのです。
ボクたちが昭和の戦争の時代や、それより前の時代をテレビで観るとき、たいていはモノクロの映像です。
そこに全く地続き感はありません。
それが時折カラーの映像が流れると、とたんに地続き感が出るのです。
あの時の空も青かったのだ。あの日の夕やけも今日のように真っ赤だったのだ。その時代の生活が目の前にあるのです。
アニメだからこそ感じられるリアリティというのも、この作品にはあります。
実写がダメだと言っているわけではないのです。
アニメだって、人の手で描かれなくてはなりません。
ただ絵のよいところは、見せたいものを誇張して描いたり、実写とは違うまた違った演出が出来ることなのです。
この作品では、よく調べられた資料に基づく背景画、その水彩色の少しくすんだ色、決して輝度の高くない色合いが、まさに昭和9年から21年までの暮らしを、みごとに目の前に見せてくれるのです。
静かです。
ときにやかましく轟音の突き走るシーンはあるけれども、描かれる広島や呉は、優しく穏やかです。
何も起きない、いや起きているのだけど淡々と。
物語を描く者として、事件が起きないということはすごく骨の折れることです。
有名な『ムーミン』の原作者トーベ・ヤンソンは、ムーミン谷になにも事件を起こさずただ淡々と描きたかったのだけど、それはとても難しいことだったと語ったのだそうです。
人は生きているうちにどれくらいの事件に遭うでしょう?
友人や肉親の死は、ひとつの事件かもしれません。誰にでも起きうることです。
それは一つの転機。
そう。事件ではなく、一人ひとりに訪れる転機です。
今も昔も何も変わりはしないのです。
流されながら、少しあらがってみせる程度の。
ひとつだけネタバレをすると、すずさんが指で天井の木目をなぞるカットがあります。
そういう今までなにげなくできていた他愛のないことも、もう出来なくなったりもするのです。
でもそれは、すずさんの時代に戦争があったからじゃあありません。ボクらが生きている今日この時代と何も変わりない日常のウチなのです。
ではすずさんや周りにいる人達が不幸かというと全くそんなことはなく、戦争の前も戦争中も戦争の後も、食卓を囲み笑い合うだけなのです。そんな暮らしが、ただ淡々と描かれるだけで、クスッと笑ったりなぜだか涙がこぼれてしまうのです。
じつはこのテキストの草稿は、帰りの電車の中で打ちました。
思い浮かべるシーンひとつひとつが、何も悲しくないのに泣けてくるのです。
目に涙を浮かべてスマホにテキストを打ち込むボクは、かなりヘンな人だったでしょう。
しかし、そうせずにはいられなかったのです。
そういう幸せな映画って、そうそうめぐり逢えるものではないと思います。
反戦だとかそういうことじゃなく、ただ昭和初期のすずさんと彼女を取り巻く人々の生活を、ぜひ観に行ってください。
ボクたちのお父さんお母さん、御祖父さん御祖母さんの若かりし日にも、今日のように美しい青空は、あの日にもまさにそこにあったのです。
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2016年9月26日改稿
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