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行き詰まらずに文章が書けること

今日は朝から曇りだ。
嫌いなセンチになる天気がじゃないとなにも浮かばない。
頭の中をグルグルと回ってることはないということ。
でもこうやってスッキリ起きると、心なしか何か忘れてるんじゃないかって不安に思ってしまう。

こういうの書く時ってモヤモヤだったり、負の感情があるから書けるのでは?と感じる。
他に強く思うことを見つけないと『書く』って種は芽を出さないのではないだろうか。

きっと僕の好きな太宰治なんかはそうじゃなかったのかなと推測する。
『書かなきゃ』と締切に追われている人はこういったモヤモヤだったり、得体の知れない不安感といった負の感情が足りないんだと思う。 
太宰治を動かしてた原動力って、自殺しようと思うくらいの辛いことだったり、しんどかったりじゃないのかな。

本当にネットサーフィンをしてて思うのは、ポジティブな事をズラーっと並べてる人とかいるじゃないか。
あの人たちは本当にすごいなと思う。
文章を考えるセンスやスキルがあるってことになるじゃないか。

あのポジティブなことで長文を書くスキルは本当にすごい。
だって何も無いところから生み出していくんだ。
つまりは0→100を作り上げてるのとほとんど変わらないってことだと思ってる。
悩みがあっても『ポジティブに振る舞った方がいい』というサービス精神の塊であると思う。

逆もまた然りかな。
ポジティブに芽を出せる人ってだけかもしれない。
そのポジティブな人に、ネガティブなことを書けって言ったって難しいんだと思う。
しかも一記事分の千二百文字くらいのものだ。 
恐らく書けないだろうと思う。
僕がこんなことを題材にするくらいには辛いことっていうのは分かってくれただろうか。

自分の心が思ってないこと、感じてないこと、興味がないものを書くというのは本当にしんどい。
文字数をいくら書いたところで全く進んでいないという現象に直面する。
『もう結構書いたでしょ』と思っても全然進んでない。
普段ある何気ない一瞬の切り取りが上手い人ってのは、こういうのに苦労しないんだと思う。

あとあれだ、最近読んでる星野源なんかは日常を切り取って広げていくのが凄いと思う。
だってどんなくだらないと思うことでも、それに注力すれば書けるタイプでは無いかと思う。
やっぱり書く能力というのは、一つの事象をどれだけ引き伸ばしてよく見れるかというものなんだと僕は思う。
誰かこの話題で一冊、本を書いてくれないか(笑)

自分が味わったことのあることだから、きっと気持ち分かると思うし、自分はこうやってるってのが少なからずあるもんだから、比較の対象なんかにすごくあるから飛びついてでも読みたい。
というか興味が湧くものや惹かれるものってのは、自分の中に如何に似た者があるかなのではないだろうか。

ビジネス書だったりhowt to本だったら、そこら辺にそこに書いてあることに似てる環境にいたり、小説なんか作り話だとするとそういう想像をとても多くしてたり出てくる登場人物の思うこと感じることが自分と似てたり、エッセイやブログ本と言えば、あるテーマにそった出来事がよく起こるから共感できるんだと思う。

まぁブログ本やエッセイってのは事実があってその中でどう思ったかを知れるところがあるのが面白い。
ビジネス書や小説を好む人はどんな視点を持ってて、何に面白いと思えるのかとても気になるところである。

面白い文章というのは、どれだけ共感が多いかであると思ってる。
自分が出来てるかは置いといて。


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