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人間、ないものねだり。

2024年6月8日
今日の寝起きはなんだかシャキッとしない。
昨日、頭が覚醒してて寝たのが0時を過ぎてたというのも原因だろう。

本当の理由は天気でも気温でも体調でもない。
昨夜の親父からのLINEにあると僕は思っている。
19日の退院は妻に実家に帰るように話しておく、とLINEが入った。
もちろん、妻や子供たちにこれ以上、高次脳機能障害の影響で危害を加えないで済むというのは安心だが、やっぱりどうしても寂しいものがあるのは隠せない。
『寂しさやネガティブな感情に勝るものは没頭以外に何もない』という先輩の言葉を思い出した。

これで決まってしまうのか…という思いもあるにはある。
かと言って、じゃあ実家じゃなくて家族の元に帰りたいかと言われたらノリ気にはなれない。
やっぱりふとした拍子に、自分がどうなってしまうのか分からないから怖い。
自殺して自分で作った障害に、妻や娘息子たちを振り回す訳にはいかない。

人間ってないものねだりだと常々思う。
そして自分勝手でワガママ。
どうしても自分さえ良ければいい事だけ考えてしまう。
いや、きっとこれはどこかで『人間みんなそうだろ』と自分は思ってるだけで、案外違う可能性もある。

自分さえ良ければいいという考えに気づいた時点で、改めることが普通なんじゃないか?
自分さえ良ければいいという箇所を訂正したりするもんなんじゃないか?
もう何が普通でどうすれば普通なのかも分からないよ。

そうこう思いながら、また今日も一日が始まっていくのかと肩を落とす。
また退屈に追われる一日が始まるんだな。

没頭できるものがあるのはとても素敵なことだなと思う。
昨日は割と没頭できたのではないかと思う。
YouTubeでサボくんの動画に出会い、障害を広めていくのは大きなこと!と思ってのめり込んだ。
大変よく感化された一人であると思う。
過去の動画とかずっと見ちゃったり、色々とSNSを見てしまった。

ようは暇じゃなくなるわけだ。
調べていたり漁っていたりすると【没頭】ができるのである。
それを没頭するためのコンテンツとして消費するのは、どうしてももったいないなぁと思ってしまう。
『もっと別の形で出会いたかった…』と思うけれど、あっち側からすると高次脳機能障害を負った僕の入院中に、消費するために自分のコンテンツを利用や視聴してもらうことは本望なのかなと思う。

同じ高次脳機能障害という障害を負いながらも、YouTubeやアーティスト活動、自主ブランドの立ち上げなど、高次脳機能障害をもっと知ってもらうため勢力てきに活動してる19歳の青年だ。

そして見ていくうちに心の拠り所じゃないけど、見る度に安心してくる自分がいる。
高次脳機能障害でもまだこれだけ自由に表現ができるんだって思える。
というかサボくんのおかげで未来はまだまだ捨てたもんじゃ無いなと思える。
午後も没頭しようと思った。

コンクリートが太陽に当てられてプールにも似た匂いのする廊下を歩く。
少しの暑さと気候を感じながら昼前に歩く。

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