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「彼氏が蛇をおいていった」18

 失敗とともに目が覚めた。
 久しぶりの「やってしまった」感は股の間に流れ出て、きっとシーツまで汚している。
 時刻は四時ちょっと前、かすかに薄明るくなってきたカーテンの隙間が恨めしい。
 起き上がって見れば、赤ワインよりもすこし薄いくらいの赤がシーツの真ん中よりすこし左に、三本指を並べて捺しましたとばかりにしみついていた。
 トイレへ直行し、すばやく下着から足を抜いて便座に座る。うつ伏せで寝ていたのが良くなかった。おむつみたいな羽つきを選んでいたのに、漏れた血が前の毛まで汚している。
 見るも無残な夜用ナプキンをべりべりと剥がして、ぜったいに光をとおさない真っ黒な袋につっこんだ。うんざり気分を誤魔化すために用を足す。
 細っこい水音を耳にしながら下着を水洗いするか破棄する顔秤にかけて、そのあたまのすみではまたべつの思考が勝手にまわり、お昼のプレゼンだとか、湯がいたブロッコリーと新鮮なレバーが食べたいだとか、重要なこととどうでも良いことが交互に浮かんできて、その端々に荒牧のごつごつとした手の甲を思い出す。
 下着は破棄することにした。ナプキンとおなじように黒い袋に放りこむ。厚く巻いたトイレットペーパーを股にはさんで立ち上がり、百均で買ったつっ張り棒でつくった棚の箱から新しい昼用のナプキンをつかんでトイレを出た。
 汚れても良い心にダメージのすくないものを選んで、不織布とポリエステルと、ポリプロピレンなんていう名前のマヌケな化学繊維からつくられたかたまりを下着の内側に貼りつける。
 股にはさんだトイレットペーパーを慎重に外して、紙のカスが残っていないかさっとさわってからすばやく足をとおすと、肌のふれた部分から体温が下がっていく気がして目がさえた。
 この現象を、わたしの母は高分子吸収ポリマーが体温を奪っていくからだと信じていた。だから紙製のものは使わずに、いろいろ失敗しても布製をつかっていたっけ。
 わたしはそのあたり、特段気にしたことはないけれど、便利さの裏には得体の知れなさがあることだけはいつも自覚していた。
 仕事柄、生理用品の商品パッケージを担当したこともあり、そのときの担当者に直接ナプキンの原材料について質問したこともある。
 ポリエチレンとポリプロピレンと香料、それ以外は基本的に社外秘でお答えできません。
 生理用品は医薬外部品で、効能、効果なんてものはもともとないから、原材料は公開しなくても良いのだそうだ。
 パッケージのデザインに直接関係がないので、質問の深追いはできなかったけれど、消費者が憂いなくその製品をつかえるように原材料を公開するのが最近の潮流だろう。
 なんだか生理用品だけが川底の岩のようにその流れを無視して旧態依然としているのには、正直に言って違和感ばかりが募る。
 体温は奪われ、かわりに化学物質が経皮吸収されていましたなんてことが事実だったら、笑えないどころか呆れることすらできるかどうか。
 つかわなくてはいけないことに変わりないのだけれど、つかわないという選択肢がすくないものこそ根拠のある安全性を示してほしかった。
 汚れたパンツはビニールに包んでごみ箱の奥に押しこみ、シーツは外してお風呂場に持っていく。血のしみはマットレスにまで到達していた。たらいにお湯を張って、シーツの赤くなった部分を漬けこんで、つまんだり、強くもんだりした。
 朝食をとる気分にもなれず、薄明のベランダに出た。
 シーツを干して、即席の作業台に寄りかかる。明けていく空はこんな気分でもきれいだ。
 今日、これまでの布石が成る。プレゼンの準備、根回し。やれることはすべてやった。
 蛇の魔法による保険も。
 準備は万端だった。
 作業台の棚から、完成したクチナシのネックレスをとり出す。
 プレゼンが成功して落ち着いたら、加賀野に渡そうと思っていた。なんといっても、デザイン立案の立役者なのだ。こないだは原型を見ただけで飛び上がってよろこんでくれたし、わたしが部長になっても、そのままわたしの近くで働いていてほしい。それこそ、在原のチームになんかいかないで。
 この日のためにクリーニングに出して、ぱりっと清潔なスーツのポケットに、そっとネックレスをすべりこませた。


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