「アンチャンティー」7

 圧倒的な静寂。ごそごそと後ろで音が鳴った。

「ひせくったぁー。『フラッシュ・バン』を使うなら先に言ってくれよ」

 打謳が椎茸をジャグリングしながら戻って来る。

「フラッシュ・バン?」

「きみのその特技のことだ。そんなに大きな音で指パッチンを鳴らせる人間は、きみの他にいないからなぁ。どうだ? カッコ良いだろう?」

「くだらん。お前の持ち込んだ厄介事でせっかくのレモンが轢かれてしまったではないか」

「それもまた、レモンの運命さ」

 打謳は椎茸を放り投げると、倒れた男たちの持ち物を改めはじめた。財布でも漁ろうというのか、下手なことをするものじゃないと釘を刺したが、打謳の目論見は他にある様子だった。男たちの腰からベルトを引き抜いた打謳は、それを男たちそれぞれの足にやたら滅多らに巻きつける。

「これですこしは時間が稼げるだろう。いまのうちに河岸を変えよう」

 ジャケットの裾をひるがえして歩き出す打謳は、私があとについてくると信じて疑っていない背中をしていた。なんだってこんなに蹴とばしたい背中をしているのだろう。蹴とばしたい背中選手権があったら、にな川くんと良い勝負なんじゃないだろうか。

「ひとりでいて、追手に捕まっても助けてやらないぞ」

「ふんっ」

 打謳と反対方向に踵を返して、石段を上る。

 誰がついていってやるものか。この町のことは南の貯水槽から北の高架までなんでも知っているんだ。レモンの買える店やコンビニだってそこかしこにある。さっさと用を済ませてアトリエに戻ろう。

 石段を十段くらい上ったとき、後ろから駆け足の音が聞こえた。嫌な予感がして振り向くと、打謳が全速力で石段を駆け上がって来ていた。そのさらに後ろから、十人ほどの追手が津波のように迫って来る。

「逃げろ! 蓮太郎ぉ!」

 私の横をすり抜けながら打謳が叫ぶ。その勢いに押されて、私も一緒に駆け出した。

 石段を登り切ったところで、この選択が間違いだったことに気づく。私は彼らにちゃんと弁明して見逃してもらうべきだったのだ。ひょんな流れで打謳と行動をともにしてこそいるが、私の目的はレモンであって打謳のボディーガードではない。

 しかし、時、既におそし。後ろから飛んでくるBB弾を後頭部に受けつつ、全速力でジグザグに逃げる。いま振り向こうものなら大事なこの両眼に小さな凶弾を受けて失明するかもしれない。頭にあたる威力的に、これはバッテリー式のモデルガンで連射してきている。カーブミラーで後方を確認すると、みんながみんな武装した迷彩スタイルだ。もれなくその腰に棒状のスタンガンを吊るしている。

「いったいなんなんだよ! お前あいつらになにをしたんだ!」
「私はなにもしていない! したとすれば、それはきみだ!」
「はぁ!?」

 弾丸の嵐を間一髪で避け続けながら仲町のメイン通りに躍り出る。それなりに人通りもあるため、飛んでくる弾の数は極端に減った。まったくの部外者にBB弾をぶつけるほどの狂人は、あの集団の中にはいないらしい。ジグザグに走らなくてよく鳴った私たちと追手との距離は次第に離れはじめた。

「なんだってお前は毎回毎回私の日常を揺るがしに来るんだ。大鯰だってもっと大人しくしているぞ!」

「ナマズと一緒にしてくれるな! どうせ地震を引き合いに出すならゼウス・エナリオスと例えてくれ」

「誰がポセイドンだ。まわりくどい表現をするな。もっとストレートに生きろよ」

「どの頭がそれを言うか! 誰よりも巻き狂っている髪型のくせに」

「私の髪型は崇高なる小滝家の血筋の産物だ! これを侮辱すると、ブレーン・くrヴぁふっ!?」

 前を見ずに走っていたので、歩道の縁石にふたりしてつんのめって、転んだ。アスファルトの路面にあごを強かに打ちつける。打謳は前転して、体操選手のように上手いこと立ち直って事なき終えていた。なんだか無性に悔しくなった。

「まぁ、一度落ち着こう。こうなった経緯を説明するから。どこか人目につかないエクセレントな場所はないか?」

 服についた砂利を払い、靴紐を結び直してから立ち上がる。いつの間にか追手は撒いていた。人目につかない場所と言えば、思いつくのはあそこしかない。

「人を隠すなら、人の中だ」

 メイン通りを北へ向かって歩く。後ろから打謳の気持ちの悪い笑い声が聞こえた。

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