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病気を抱えながら受験と戦う関東の浪人生 はるなさんとの8ヶ月間の記録

はるなさんと出会い、
彼女のそこに至るまでの
背景を聞いたところで

自然と

「僕が、毎日指導します」

と返事をしている自分がいました。

きっと僕でない誰が聞いたとしても
同じ事を言ったと思います。

その日から毎朝、
彼女の薬の服用や
透析が始まるまでの
時間でオンライン指導をする
生活が始まり、

今、振り返ると8ヶ月が経過。

いよいよ残り2日で
志望大学の試験を
迎えることとなりました。

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改めて指導ノートを見返した今朝。
100枚のノートが
表裏びっしり埋まっているのを見て、

この8ヶ月

毎日30分から
長い時は1時間を超える時間を
費やしてきた彼女との日々を
思い出し、

自分のかけてきた時間の意味や
はるなさんを通して思う
今後の生き方に対する気持ちを
記録しておくという意味で
ここに文章として残そうと思います。

・・・

はるなさんとの出会いは
本人より先に
お父さまからのLINEが
きっかけでした。

「既往病がある娘の
 受験をサポートする際に
 どのような事を大切にすれば
 良いでしょうか」

といった相談のメッセージ。

当時はまだオンライン塾として
全国に募集をかけはじめて
間もなかったため、
張り切りまくって返信した結果、
3スクロール以上の
引くほどの長文を送ってしまい、

さらに文中では、
しきりに「お母さま…」
と勘違いして書いてしまう始末。。

今より未熟だった自分が
そこからオンライン三者面談を
することになり、
はるなさんと初めて出会ったのが
6月の頃でした。

・・・

面談でこれまでの経緯を聞いた後、
僕は何もアドバイスすることが
できませんでした。

病気がちで
中学2年生の頃から
入院を繰り返していたはるなさん。

高校2年生で心臓の移植手術をし、
現役での受験は
移植後の入院のため断念。
手術後はリンパが悪くなるらしく
喉が痛くて満足に食事も取れない状態。
受験どころでは無かったと言います。

そして一浪目の11月に
原因不明の肺炎を患い、
様々な薬を服用して
何とか改善を試みるも、
その薬の影響もあってか
腎臓に問題が出てしまう。
血液の数値が正常値に戻らず
入院のため一浪目も
3月の試験まで
受験することは叶わなかった。

二浪目。
入退院を繰り返すも、
ようやく共通テスト
二次試験ともに受験をすることができた。
ただし万全の状態とは言えず、
腎臓が悪くなると熱が出てしまうらしく
発熱のままの受験となった。
そして併願校に受かるも、

「管理栄養士になる」

という目標のために
入学を見送り、
三浪目に望みを懸けることに。

そして三浪目の6月に
私たちと出会うこととなった。

文章や言葉にすれば
数十行、数十秒で
発せられる事実ですが
彼女、そしてそのご家族にとっては
本当に.....

そこから先は僕の想像も
及ばない過去があっただろうし、
勝手に過去を慮り、
同情だとか、共感だとかで
一括りにするのは
何か違う感じがして。


「僕が、毎日指導します」

僕に言えることは
それしかありませんでした。

・・・

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それから彼女と毎朝
通話で勉強することが
僕と彼女の日課となりました。

高校時代も学校に
通えなかった時期が長かった
彼女は、ご両親が
YouTubeやネットで
おすすめの参考書を探し当てて
動画や本を使って
独学で勉強するというのが
それまでのスタイルでした。

二浪目のとき
まだ出会う前の段階で、
僕らが発信していた
「白谷塾YouTubeチャンネル」
の教材をいつもダウンロードし、
動画をよくチェック
していたというのを聞いた時は
本当に驚きました。


彼女のオンライン指導では、
学校の授業を受けていない部分が
多くあるので、
こちらが意図していることが
きちんと伝わっているかを
汲み取る作業を丁寧に心がけました。

学校で一度は履修した生徒と、
全くの独学で進めた生徒では
そういった点で
少し違う指導が必要になると感じました。

そして、おそらく
彼女の1日の生活の中で
家族、病院の先生以外の人と話すのは
僕しかいない。

だから指導以外にも
自然なコミュニケーションとして
いろいろなことを話しました。

・実は僕と数ヶ月しか
生まれに差がないこと。

・まあまあ近くの観光名所として
アンパンマンミュージアムが
あるけど、行くタイミングを逃して
行けていないこと。

・実は1人で行くのが
小っ恥ずかしくて
近くにあるスタバに
行ったことがないこと。

指導の合間で時にはそんな
いろんな会話をしました。

あまり続かなかった
“交換日記”という
学生のような試みも
今となっては良い思い出です。

そして夏を過ぎたあたりから
本格的な二次試験の演習に入り
全国の入試問題が載っている参考書は
今では一冊が終わろうとしています。

途中から生物の勉強もしたいという事で
友人の熊本大学薬学部
松浦叶子さんにも
オンライン指導をお願いし
大変尽力いただきました。

そしていよいよ、
2日後が第一志望の受験日となります。

・・・

「はるなさん」宛の郵便。

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これまで使ってきた参考書と
100枚にわたるノートを
ポストに投函しながら、
いろいろなことを考えました。


“はるなさん”は、
僕が知らないだけで
実は、全国のあちこちに
いるんじゃないだろうか。


営利企業としては
僕のしたことは
間違っていたのかもしれない。

はるなさんは、
僕らのオンライン塾に申し込む前に、
昨年、別のオンライン塾で
面談と体験をしたことがあったらしい。

そこでは
「カリキュラムについてこれない
 可能性があることが心配材料です。
 本当に指導を実施するのであれば
 できる限りきちんとついてきてもらう
 ことになると思います。」

と話があったそう。

面談の数日後、
家に置いてある料金書類を
はるなさんが見て、
本人の口から
「入塾は諦めたい」と告げたらしい。


そんな全国にたくさんいるはずの
“はるなさん” に対して
私たちができることは何なのだろうか。


こと社会規模での教育という
メタな話ができるほど
何かを成した訳ではないですが、

「教育」の社会的な
存在意義を考えたときに、

「受験」という
全員に一律に課された試験があり

その間近に迫った関門に対する
画期的な突破方法みたいなものに
需要が集まるとして、

その需要に迎合しきっただけの
教育サービスだとしたら、

受験を突破したはるなさんの
その先の人生に対して、
教育はどこまで力になれるのだろうか。

もしかしたら本来教育というのは
高校や大学に行かせることで
終わる関係ではなく、
その先の人生の上でも
教育者側と生徒側が関係性を
変えながら関わっていき、
ともに生きるという目的に向かって
教え合い、学び合いながら
相互に作用していくためのものであるべきかもしれない。

そう考えると、
教育と社会は分断されているものではなく
教育者側が学校や塾の外に出ていき、
社会に出た教え子も時には教育する側に回るような
教育と社会の境目があいまいになっていく未来が
くるのかもしれない。

そして自分個人としては、
オンライン塾を始めたことで
はるなさんと出会えたように、

力が及ぶ範囲を自分の視野とするなら、
その視野に入る困っている人と
真正面から向き合って
自分にできることを全うすることはもちろん、

テクノロジー、技術、経験など
視野を拡げるための努力を惜しまずに
1人でも多くの方の人生にとって
僕がいて良かったと思ってもらえるような
人生にしていきたい。

その先に社会をより良く、
より前進させる仕事があることに
ワクワクしながら働きたい。

そんなことを考えるきっかけをくれた
はるなさんとの出会いに感謝し、
彼女の受験、そして
全国の受験生の成功を願いながら、
今後も邁進していきます。

とりあえずコロナが落ち着いたら、
彼女とスタバで新作のコーヒーを買ってから
アンパンマンミュージアムに行くことを楽しみにしながら
今日も頑張ります。

ここまで読んだ方はほとんどいないと思いますが。笑
自分の記録でした。
最後まで読んでいいただきありがとうございました。

P.S. お父さまからちょうど今
嬉しいLINEが届いたので掲載させていただきます。

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