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お題 タオル

 みんなの服装の選択肢にカーディガンが入ってくる頃、僕は未だ首にタオルを巻いて外に出ている。栗の収穫をするためだ。あの子たちはイガイガにくるまれている。だから長靴に長袖長ズボン軍手、そして上から栗が落ちてきたときのためにつば付きの帽子が標準装備だ。さらに僕は首にタオルを巻いている。栗というのは面白い果物で、熟すと自然に木から落ちてくる。つまり、収穫するときはいつイガが落ちてきてもおかしくないということだ。僕が首にタオルを巻いているのもそれが理由。なにせ栗の収穫は下を向いて行うものだから。
 残暑もとっくに過ぎ去って過ごしやすい陽気、だけど動いているとやっぱり汗をかく。特に僕は汗っかきだから。上に注意を払いながら帽子を脱ぐ。タオルの結び目をほどいて額をぬぐう。カラカラに乾いたタオルに汗が染みてだんだん柔らかくなっていく。カッチカチで「ふんわり」の「ふ」の字もないタオル。我が家のタオルの特徴だ。前に原因を調べてみたら「洗濯物の詰めすぎ」がヒットした。うん、間違いなくそれだと思う。なにせ一週間に一度は奥さんと洗濯機の対決が繰り広げられているんだから。まあかくいう僕も洗い物達(略して物達、イントネーションは友達と同じく)を増やしっぱなしなんだけど。
タオルを首に再び巻き、帽子をかぶって収穫に戻る。イチゴの収穫はイチゴ狩り。りんごの収穫はりんご狩り。だけど栗の収穫を「栗狩り」とは言わない。いや、言う人もいるのかもしれないけれど少なくとも僕は出会ったことがない。栗の収穫を言うとしたら「栗拾い」だ。だって収穫する栗は地面に落ちてるんだから。背中を少し曲げて落ちた栗のイガをむいていく。熟した栗のイガにはありがたいことに割れ目が入っている。足でイガをおさえながらトングで中の栗を出していくとやりやすい。最初のうちは拾うのに時間がかかったが今年でもう三年目、今は落ち葉に隠れた栗の場所まで分かるようになった。だけど、ひとつだけ慣れないものがある。暑さだ。これだけは何回栗拾いを経験しても慣れることができない気がする。もう少し涼しくなってから出来たらいいのだが、自然相手ではそうはいかない。少しでもタイミングが遅れると熟した栗全部が虫に食べられることだってある。時たま腰を伸ばしてストレッチをすると、背中にシャツがべったりとくっついているのが分かる。きっと僕の背中には大きな湖ができていることだろう。遠目から見たら琵琶湖のシャツみたいになってるんじゃないかと思う。さあ、もうひと踏ん張りだ。もう一度タオルで汗をぬぐって首に巻く。

 「そうやってると熱中症になりやすいぜ」

 ふと、あいつの言葉が頭に浮かんだ。あいつというのは僕の高校の時の同級生、男子バレー部の部長をやってて、一歳年下のマネージャーと付き合ってたあいつのことだ。高校三年生の夏、あの時も僕は首にタオルを巻いていた。僕たちの代より何代か前に鉄筋コンクリートに改修された校舎の中で、僕たちは高校最後のお祭りの準備をしていた。校舎の真ん中に吹き抜けがあり、それを取り囲むように各階には教室とトイレ、そして大きなガラス窓の外にはテラスがあった。見てくれはいいが、まあ驚くほど熱が逃げない。直射日光で廊下は灼熱、誰も外なんかに出ずにエアコンの効いた教室で作業をしていた。だけど僕は廊下に出なければならなかった。生徒会室に聞きに行くことがあったからだ。別に誰が行っても良かったんだろうけど、生徒会長と同じ部活で仲が良かった僕が行くことになった。教室で十分冷気を浴びてからドアを開けて廊下に出る。すると視界が揺らいで見えた。冷え切っていた体は一瞬で火照り、全身から汗が噴き出した。もちろん、当時の僕も汗っかきだった。しかも文化部だったとはいえ男子高校生の体である。十代男子の代謝機能を舐めてはいけない。一歩踏み出すたびに、全身が汗でべとべとになっていく。タオルでいくらふいても汗は止まらない。なんとか生徒会室にたどりついて用事を済ます。案の定生徒会室はエアコンがガンガンに効いていた。クーデターが起きるのってこういう時なんだろうな。この世で一番涼しい場所は保健室と生徒会室だと思う。あと職員室。とはいえいつまでも生徒会室にはいられない。下校時間はいつもと同じなのだ。意を決して再び廊下に出る。すると、閉じかけていた汗腺から一気に汗が出てくるのを感じた。額に、頬に、首に、背中に、全身に滝のように汗が流れ出したのだ。これ以上服をびしゃびしゃにしてたまるもんか。首にかけていたタオルをキュッと結んだ。今考えると首にタオルを巻いたところで汗が出るのを防げはしない気がするが、とにかく当時の僕はこれでいくぶんかマシになると思ったのだ。やっとの思いでドアを開ける。灼熱の地から極寒の地へ。「どこでもドア」で火山の噴火口から南極に行くとこんな感じだと思う。超悪質なサウナ。全然ととのわない。
 教室に入るとあいつがいた。バレー部部長のあいつが。ちょうど部活が終わって教室に来たんだろう。バレー部のユニフォームのまま、青いドリンクボトルでアクエリアスをがぶ飲みしていた。ふわふわの、白いタオルで汗を拭いて。きっと彼女兼マネージャーが用意してくれたんだろう。つくづくシーブリーズのCMに出てきそうなやつである。そしてあいつは汗だくの僕に言った。

「そうやってると熱中症になりやすいぜ。」
「え、なんで?」
「知らんけど。ネットに書いてあった。」

 知らんのかい。そんでネットの知識なんかい。もっとこう、「バレー部ならでは」の知恵とかじゃないんかい。

 なんて言えるわけもなかった。僕は体育会系の部活の人が怖かった。中でもバレー部部長のあいつは一際怖かった。一度だけ男子バレー部の試合を見たことがある。といっても練習試合を体育館のドアの隙間からちらっと覗いただけだが。体育館のコートの中にはあいつの姿があった。みんなが赤いユニフォームを着ているなか、あいつだけは黒いユニフォームを着ていた。調べてみると、「リベロ」というポジションの選手はユニフォームの色が違うそうだ。会場全体が静かになった。相手のサーブだ。選手の、観客の呼吸が聞こえる。ボールが回されこすれる音、キュッとシューズが床を踏み抜いた。ドッ!という音がすると綺麗な弧を描きながらボールが飛んできた。ボールの先には、あいつがいた。後列の真ん中にいたはずのあいつは、いつの間にか大きく前進してきていた。あいつはバレー部の割には背が小さい。確か小さかったはずだ。だけど、周りのどの背中よりも小さいはずの黒い背中は大きくて、たくましかった。
 体育会系の生徒が怖くなったのはそれからのような気がする。高校を卒業するまでそいつの活躍の影はつきまとった。あいつの顔も、背中も、青いドリンクボトルも、白くてふわふわなタオルも。怖いはずなのに、関わりたくないはずなのに、だけどつい見てしまう。そんな不思議な感覚だった。

 夢中になって栗拾いを続けていると、もうすっかり陽が落ちていた。やっべえ怒られる。携帯を見ると不在着信が二件、奥さんだ。軍手を外して電話をかける。

「ごめん!」
「もう、また携帯落としたのかと思ったよ。」
「今帰ってます!」
「はーい」

 栗拾いをしたあとは玄関から入ってはいけない。我が家の家訓だ。全身に栗のイガが針のようになってくっついている。だから車庫で靴を脱ぎ変え、全身をはらってから家に入る。

「ただいま」
「お帰りー」

 と、言いながら奥さんが玄関まで来てくれる。全身をはらったとはいえまだまだ棘だらけだ。真っ先に脱衣所に行く。服を脱いでカゴに入れる。考えてみれば、どれだけ洗濯物がたまっていても栗拾いのための服は毎日洗ってくれている。ちょっと口角を上げてしまった。ドアを開けて風呂場に入る。熱い。けどこの熱さは好きだ。シャワーを浴び始めると妻の声が聞こえた。脱衣所に入ってきたらしい。

「・・・のさあ、・・・さー!」

 よく聞こえない。シャワーの勢いを緩める。

「んん?」

 と、僕も少し声を張る。

「あのさあ、タオルさー」
「うん?」
「結構ボロボロじゃん?」
「うん」
「そろそろ変えよっか?ごわごわのタオル嫌でしょ?ふわふわのやつのがよくない?」

 少し考える。ふっとあいつの顔が浮かぶ。バレー部部長のあいつだ。だがすぐにその顔は消えた。

「まだ大丈夫―!いいよ、ごわごわで!」
「え!?・・・そう?」
「そっちのが好きなの!」
「え?聞こえない!」

 なんだか恥ずかしくなってシャワーを強める。

「なんでもなーい!タオルそのままで大丈夫!!」
「分かったー!」

 頭がぽーっと熱くなってきた。もうのぼせたのだろうか。あ!っと、急にあのことを思い出した。

「あとさあ!!」
「ん?なにー?」
「洗い物ちゃんとします!!」
「・・・約束だよ~?」
「はあい!!」

 今日は早めに風呂を上がることにしよう。別にのぼせたわけじゃないけど。

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