『疫病退散 千三百年の祈り〜お水取り・東大寺修二会〜』を観て:修二会で練行衆の不断の努力を知る。

2021年05月30日、私はNHKスペシャル『疫病退散 千三百年の祈り〜お水取り・東大寺修二会(しゅにえ)〜』を視聴した(1)。

東大寺二月堂の修二会は、天平勝宝4(752)年、東大寺(図01)開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)により創始された。以来、令和3(2021)年には1270回を数える。
日本で最も長く続く仏教儀式である(1,2)。

01.大仏殿

図01.東大寺大仏殿。撮影日:2003年08月25日。肖像権対策のためモザイク処理済。

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」で、誰もが日常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。

天平勝宝4(752)年、東大寺で、疫病退散の祈りも込めて、盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう,図02)が開眼された。
同年に修二会が始められた。修二会は現在二月堂(図03)で、03月01日より2週間にわたって行われているが、元来旧暦02月01日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。また、二月堂の名もこのことに由来している。

02.毘盧遮那仏

図02.盧舎那仏像。撮影日:2003年08月25日。肖像権対策のためモザイク処理済。

03.二月堂

図03.二月堂。撮影日:2003年08月25日。肖像権対策のためモザイク処理済。

奈良時代では天然痘とみられる疫病が流行し、特に天平09(737)年の大流行では、多数の死者が出ただけでなく、時の権力者である藤原四兄弟(武智麻呂:むちまろ、房前:ふささき、宇合:うまかい、麻呂:まろ、以下敬称略)の命を次々と奪った。
当時の人々は灯明皿に火を灯すだけでなく、まじない、人形(ひとがた)、土馬(どば)、呪符木簡、および、人面墨書土器に疫病退散の思いを託すことで、疫病を追い払おうとした(1,3)。
言い換えれば、エドワード・ジェンナーが1796~1798年にかけて実施した種痘、即ち、牛痘接種による天然痘予防(4のp.66)以前は、人類は神仏に祈ることでしか、感染症に立ち向かえなかった。
上記の灯明皿1,000枚に火を灯すことで疫病を追い払う儀式が、修二会の原型の1つである。

修二会は治承04(1180)年における平重衡の軍勢による伽藍の大半の消失、永禄10(1567)年における三好・松永の乱による中心伽藍の殆どの消失、および、第二次世界大戦、特に昭和20(1945)年の大阪大空襲だけでなく、平成31年/令和元年(2019年)以降の新型コロナウイルス感染症を乗り越えて、催されてきた(1,5,6,7)。
また、練行衆の中には、行の1つである五体投地で負傷した人がいる。
私は上記の件から、修二会を完遂させるという僧侶達の不断の努力、および、歴史の継承という強靭な意思を感じた。

修二会での儀式、特に「水取り」や「達陀(だったん)」は、私を含む視聴者を、奈良時代と令和時代、ならびに、現実と幻想の狭間に導いた。

唐代(618~907年)、敦煌莫高窟(ばっこうくつ)(中華人民共和国(以下中国)甘粛省(かんしゅくしょう))で行われていた「炎の儀式」が修二会の原型とされる。この儀式は疫病退散を願ったものである。
「炎の儀式」は現在の中国や中央アジアには残っていない。一方、この儀式は遣唐使船によって日本に伝えられ、そして、東大寺の僧侶、特に練行衆は千数百年以上にわたり、唐代以来のしきたりをそのまま伝えている。これ自体が奇跡であるが、こうした奇跡を不断の努力と使命感で伝えている僧侶に畏敬の念を抱いた。

我々人類は新型コロナウイルス感染症に対して、予防ワクチンであるトジナメラン(商品名:コミナティ筋注、ファイザー株式会社)、および、一部の重症患者に対する治療薬であるレムデシビル(商品名:ベクルリー点滴静注液/点滴静注用 100 mg、ギリアド・サイエンシズ株式会社)やデキサメタゾンという名の強力な武器を既に得ている(8,9)。

しかし、新型コロナウイルス感染症に対する不安や恐怖心に対して、自然科学や医療にできることは限られている。だからこそ、修二会や祇園祭などの疫病退散を願う神仏への祈り(1,2,10)が多くの人々の支えになっていることを改めて痛感した。また、どのような苦境に立っても、修二会という名の歴史を継承し続けている東大寺の僧侶、特に練行衆の努力や使命感も痛感した。

参考記事
薬の歴史を知る―「みらいくすり館」レポート01:健康未来EXPO 2019から学んだこと その07-01


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