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戦後日本の家づくりにおいて「家相」とはなにか|主体的な住まい手になる基礎教養

盆正月をはさんで突如、ほぼ固まっていた提案プランがひっくり返る。ヘタをすると仮契約の破棄に至るなんてのは、たくさんの住宅営業あるあるの一つでしょう。

親戚縁者があつまる盆正月。そこにはだいたい「家相に詳しい」と自称するオジサンないしはオバサンが一人はいたりします。いま住宅新築の検討を進めていると知ると「どれどんな間取りか見せてみな」となって「こりゃあかん。よく見てみ、こんな場所に階段あったら家が滅ぶわ」とかなんとか。

そういえば、三谷幸喜が自身の家づくりをもとにつくった映画『みんなのいえ』(2001)にも、嫁に「あなたたちがしたいようにすればいい」と言いながらもガンガン、家相・風水的注文を投げてくる姑(野際陽子)が登場しました。

ことほどさように家づくりのプロセスにおいて「家相」はおろそかにできません。当初は「家相とか気にしない」といっていたお客さまであっても、人から凶相を指摘されたらやっぱり不安になります。それゆえ「家相とか気にしない」というお客さまであっても、ベタな「凶相」はあらかじめ避けておくことに。

まぁ、家づくりは一生に一度か二度のハレ舞台。普段はあまり吉凶を気にしない思想信条の人であっても、このときばっかりは気にせざるを得なくなりがち。それは家づくりに限らず冠婚葬祭も同様だろうな。わざわざ「凶相」を選ぶリスクは負いたくないもの。

余談ながら(というか全部余談だけれど)、「家相」との類似ジャンル「風水」についてみてみると、日本で「風水」に関する書籍が出てくるのは、1980年代半ばから。デ・ホロート『中国の風水思想』の翻訳本が1986年、三浦国雄『中国人のトポス』(1988)、渡辺欣雄『風水思想と東アジア』(1990)などの出版が続きます。下記の本もなつかしい。

世間一般で「風水」といえばDr.コパ(小林祥晃)ですが、彼も80年代末から著書を出していたものの、自著のタイトルに「風水」を使い始めるのは1993年からで、それまでは「家相」をネタにしていました。

宗教でなく、目に見えるという「分かりやすさ」

「家相」が迷信と切り捨てられるようになった戦後になっても、毎年10~20冊程度の「家相」に関する書籍が出版されてきました。それほど「家相」を気にする庶民は多かったし、出版社からしても優良な商材とみなされたのでしょう。

じゃあ、そもそもそんな「家相」ってどういう経緯で今に至ってるの?ということで読んでみたのが、宮内貴久『風水と家相の歴史』(吉川弘文館2009)。

古代中国で生まれた「風水」は、むしろランドスケープ的な視野で災禍を防ぎ幸福を招く技術だったもの。それが日本へ移入される過程で、家屋の間取りの吉凶を占う「家相」へ変化していったといいます。

さらには「風水」も広範な体系のうち、ごくごくミクロな部分を抜き出してインテリアや色の吉凶を占うスタイルへと組み替えられて今に至るとのこと。なるほど、その代表例がDr.コパというわけですね。

『風水と家相の歴史』は、主として近世のお話しが続くので、個人的にはテンション低めでお勉強的に粛々と読んでたのですが、何げにエピローグ「なぜ家相が受け入れられたのか」にたどりついて大興奮。

家相判断のリテラシーは文字の読み書きができれば習得可能なこと。疑似科学として研鑽を積むことができたこと。名家の当主も村人からの相談対応技術として家相の知識が必要だったこと。そういった要因が「家相」の独特な発展をもたらしたというのです。

さらに、「家相」は神・仏・霊といった超自然的存在を前提としない点において宗教とも異なるといいます。そして何よりも、身近な生活空間が吉凶に直結するという特徴があります。信心ではなくモノが思考対象となっているのです。吉凶判断や凶相への対処がことごとく家屋・家屋内の間取り・室内設備といった可視的・可触的なモノになる。これはとても「分かりやすい」。

この「宗教とは異なる」ということと「可視的である」という単純明快さが、人々が家相を受け入れた最大の要因だったと宮内さんは指摘します。なるほどなるほど。

庶民の住宅リテラシーとしての「家相」

そんな「家相」の特徴を踏まえて、自分自身の関心に引き寄せてみます。

先にも触れましたが、戦後になっても毎年10~20冊程度の家相関連書籍が出版され続け今に至ります。風水関連書籍も加えればさらにその数は増えるでしょう。戦後復興、高度成長、バブル経済期には「たくさん戸建て住宅を建てる」需要があったわけで、当然そこに出版社の商機も存在したのでしょう。

家づくりを検討する人、住宅供給を手がける人、両者の溝を埋めるべく、たくさんの家づくり指南本が出版されました。そこで扱われるコンテンツといえば、まずは「家づくりの進め方」「住宅建築に関する基礎知識」「資金調達の方法」、そして「間取り集」や外観デザインも含めた「実例集」などが挙げられます。

家づくりを検討する人が、これらの情報を体系的・包括的に学習することはほぼないであろうことを思うと、比較的摂取しやすいネタが「間取り集」になるのかと思います。実際に間取りを掲載した本・雑誌記事は膨大な量にのぼります。

でも、建築学的知見をもたない人が「間取り」を見ても評価のしようがないことになります。せいぜい建物規模や部屋数、室の配置が所望のものと合致するかどうか、程度の判断となるでしょう。

そんな「間取り」の善し悪しを評価・判断する基準がパッケージ化されたもの。それが「家相」だったのでは中廊下、という仮説。

マイホームを獲得する一家の幸せを確保するための「間取り検討ツール」としての「家相」。我が子への名付けと同様、人生に一度か二度のイベントに際して、その選択に対して納得と安心をもたらすツール

建築学的な基準で間取りの適否を判断するのは、ある程度の体系的知識を求めざるを得ない。それを思うと、「家相」によって吉凶判断、そして凶相への具体的な対処法を検討するのは、習得しやすいリテラシーだったのでしょう(もちろん本来の家相はそれなりの体系的知識だったわけですが)。

戦前までも「家相」の需要はあったわけですが、庶民ひとりひとりが自らの住まいを具体的に検討し、決定を迫られる事態は戦後に至ってえた「自由」でした。旧来の「旦那の普請道楽」の簡易版とでもいうか。これもまた戦後民主化の成果。

一般庶民に習得しやすく、影響力も大きな住宅リテラシー。そうだったからこそ、建築家・清家清は「家相」をダシにして、住宅設計に関する科学的な知識を啓蒙したのだと納得がいきます。

では、いま現在も「家相」、さらには「間取り」は住宅検討の主要な関心事の位置を占めているのでしょうか。少なくとも「家相」についてはそれほどでもなくなった気もしますし、「間取り」もどうなのでしょう。

住宅検討において、わたしたちはなにをもって「納得と安心」を得ているのでしょうか。それはまた別の機会に。

(おわり)

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