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高級玄関ドア「キャッスルシリーズ」と1970年代後半の住宅デザイン

『日経アーキテクチュア』のバックナンバー(1977年5月30日号)をペラペラめくっていたら目に飛び込んできた広告、昭和アルミサッシの玄関開き戸「キャッスルシリーズ」(図1)。

図1 昭和アルミサッシ「キャッスルシリーズ」広告

各機種とも扉、枠、ランマ、グリルの調和をひとつひとつ考えてデザインしたアルミ製高級玄関ドアです。扉の表面は当社だけができるプレス工法やエッチング工法により、立体的にデザインされています。

「キャッスルシリーズ」広告より

親子扉・欄間付きの玄関ドアが6種類並んでいて、それぞれ微妙にデザインが異なります。秀逸なのはその商品名。順番にアクロポリス、モンテーニュ、コリント、ローザンヌ、ベルサイユ、エジンバラ。古代ギリシアから中世ヨーロッパまで、なんかよくわからんけど、欧米&高貴感あるネーミングが「高級玄関ドア」にピッタリと思われたのでしょう。

ちなみに、昭和アルミサッシは、この「キャッスルシリーズ」に先行して「サニーラインシリーズ」「エンペラーシリーズ」もあったのだそう。では「洋」の玄関ドアがこの調子だと「和」の玄関引き戸はどうだったの?と思ってさらにページをめくるとありました。

同誌同号には日本アルミの玄関引き戸「ツルマルの超高級シリーズ」の広告も掲載されています(図2)。「家にも顔がある。」とのリード文のもと「超高級玄関引戸・明日香シリーズ『玄武』」ほか、玄関ドア「田鶴」窓サッシ「隅丸」がならびます。

図2 日本アルミ「ツルマルの超高級シリーズ」広告

玄関引戸「明日香シリーズ」とは?それはこんな風に説明されています。

豪華なデザイン、格調高いイメージ。日本の古典的な伝統美「竪格子」を玄関に再現し、落ち着きのある重厚な玄関引戸。締錠も中央召合せ、両戸先の3ケ所にあります。

「ツルマルの超高級シリーズ」広告より

「キャッスルシリーズ」が古代ギリシアや中世ヨーロッパの権威を連想させたように、工業製品に「古典・伝統」のイメージをまとわせることで高級感を演出したのでした。

戦後、マイホームを取得することは「一国一城の主」であり「男の甲斐性」を持ち「うだつ」があがる家である証明であったわけで、なかでも「玄関」をいかなる意匠でもってしつらえるのかは「沽券」にかかわる問題でっせ、と訴求しうる文化があったことをうかがえます。

実際、「家にも顔がある。」につづいてこうあります。「ツルマルの超高級シリーズは、住まいの表情を豊かにするだけでなく、住む人の人柄や個性をしのばせ、洗練された住まいを伝えるにふさわしいものです。」

建築家・浜口ミホが敗戦後に戦後民主主義の風をうけながら「玄関=封建遺制の象徴」として「玄関という名前をやめよう」と宣言しました(『建築文化』(13号、1947)初出、後に『日本住宅の封建性』(1950)に収録)。

図3 浜口ミホ「玄関という名前を廃めよう」

玄関には人間の出入という機能的な要素のほかに、封建社会的な身分関係を示そうとする格式的な要素が含まれていたのである。そしてこの格式的な要素、封建的な性格こそ、玄関にとつて特徴的なのである。

浜口ミホ『日本住宅の封建性』p.131

「封建社会的な身分関係を示そうとする格式的な要素」を含む「玄関」は、これからは「出入口」と呼ぼう。浜口が訴えた「玄関」がはらむ問題があってこそ、「玄関」は1970年代になっても高級感ともなう意匠を競う場となったとも言えます。

ところで、この広告が掲載された『日経アーキテクチュア』には建築家・林昌二の小文「私の視点:美しい屋根を再び」も収録されています。そこで林は「屋根の美しさに関心が払われなくなった」ことに苦言を呈しつつ、こう続けます。

住宅の場合も例外ではなく昔、三州だの一文字だのと瓦の吟味にひとかたならぬ力を注いだ注文者・建築家も、近ごろはカラー鉄板の毒々しい色調にやっと多少の意見をはさむ程度で、主な関心は玄関ドアの装飾などに向けられている始末です。

林昌二「美しい屋根を再び」

「主な関心は玄関ドアの装飾などに向けられている始末」! 林が嘆くまさにその対象が、同誌同号に掲載された「キャッスルシリーズ」であり「明日香シリーズ」なのでした。

さらにさらに。この号には林昌二の師匠、清家清のインタビューも掲載されています。題して「住宅はユーザーとしての女、子供のためにある:住宅作家のもどかしさを訴える清家清氏」。いまの感覚だとちょっとドキッとするタイトルですが、当時の状況をうかがえる貴重な資料となっています。

本質的に住宅というのは女、子供のためにあると思うんです。その女、子供の時代に入ってきつつあると思いますね。特に1戸建ての住宅に関しては、あくまでも女、子供のためのものじゃないでしょうか。

清家清「住宅はユーザーとしての女、子供のためにある」

父親を中心とする家父長制下の住宅設計が主流だった戦前。そこから次第に「常にそこで生活し、働く女、子供の住宅に変わりつつある」のかとの問いに対して清家はこう答えます。

変わってほしいと思うのですが、なかなかそうならない。やはり住宅というのは夫のためにあるということでしょう。というのはお金を出すのは夫であることが多いからですね。ですから住宅というのは夫がオーナーで、ユーザーは女、子供なんです。そのオーナーとユーザーの乖離現象が現時点においてはなはだしいんですね。

清家清「住宅はユーザーとしての女、子供のためにある」

戦後の住宅供給、住宅産業の成長は、主としてメーカー志向(というかメーカー事情)によってつくられてきました。高度成長期になって豊かになってくると、さきにも触れた「一国一城の主=ステータスとしての住宅」が台頭します。これが1970年代後半になると「生活重視」へと変化してくる。とはいえ、それはまだ過渡的。

不思議なシャンデリアが売れたり、玄関のドアだけ立派なものをつけたりで……。開け立ての激しいドアがお粗末で、めったに開けないドアの方にお金をかけたりしていますよね。女、子供自身がユーザー的発想になっていないのかもしれませんね。

清家清「住宅はユーザーとしての女、子供のためにある」

こうした動きを清家清は「メーカー志向」から「オーナー(=家長=夫)志向」と呼びます。そんな前提のもとで「ユーザーとしての女、子供のためにある」と言うのです。

この清家のインタビューが掲載された雑誌には、いまだ「玄関ドアの装飾」を志向する市場がもっぱらですが、80年代に入ると徐々に「ユーザー志向」が育まれることに。1970年代半ば、いろいろなかたちでオタマジャクシに手と足が生えた状態を垣間見ることができる1977年の『日経アーキテクチュア』なのでした。

(おわり)

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