見出し画像

父娘問答【9】運動会編

小さな頃から運動、というか体育的なものには苦手意識がありました。まぁ、今から思えば、母子家庭に育って専ら祖母に遊んでもらったがゆえの「体を動かすことの場数の少なさ」でしかなかったのだろうけれども。

そんな自分が父親ゆえか、娘も保育園の運動会は日々の練習段階からとにかく嫌そうだった。ストレスもたまるのだろう、帰宅するとママにあたったりもしました。

本番へ向けて何度も体操やダンスの練習があったものの、かたくなに踊らない娘。その頑固さに辟易して、母親に言うと「あんたもそうだった」と一言。じゃあ仕方ない笑

そんな娘も保育園での運動会は今年が最後。年少、年中、年長と回を重ねるごとに次第に参加度がアップし、今年は「はやく運動会の日になってほしい!」と言い出す。すっかり父親を乗り越えました。

そんな娘も2年前は直立不動で一切ダンスせず。園の先生が秀逸なアドバイスをしてくれて「みんながしゃがむところだけ、娘ちゃんもしゃがんでみよっか?」と。さらし者になるのを回避してくれました。
 
「ちゃんと体操やダンスできた?」

「できなかったの。いやなの」

「どうしていやなの?」

「運動会のバックにある体育って概念は、そもそも明治期の富国強兵策の一環として日本に本格移入されたものだから、思想的に相容れないの」

「ええー。でも、みんなで一緒に身体動かすお祭りみたいなもんなんだから難しく考えなくていいんじゃない?」

「まだ運動や体育じゃなくって、スポーツだとかその語源のデポラテーレなんかだったら許せるけど、どう考えても国民動員へ向けた身体規律化としか思えないの。集団行動だとか、パパが言った「みんなで一緒に」って完全に最高度自発性に基づく「動員」の言説なの」

「そうかなぁ。。。」

「あと、そもそも最初にみんなで「オリンピア体操」って、毎年運動会やってるのに歌詞に「4年に一度」とか出てくるとズッコケるの。ダンスの選曲が「WAになって踊ろう」なのも、このタイミングだとジャニーズの内紛を連想してダンスに集中できないの」

「たしかにそう言われると平常心では聴けない選曲だと思うけど笑。でも最後の鈴割りは一生懸命にボール投げてたよね。楽しかった?」

「ボールを投げるっていう行為は、学生運動時に歩道の敷石を投げた例から、さらは日本古来の習俗である「飛礫打」にまで遡れる反権力・非日常の儀式だからイイの。この事実は運動会の会場がかつて三河一向一揆の拠点だったことを思うと感慨深いものがあるの」

「網野善彦かい笑」
 
毎年、保育園の運動会は、あわや雨天で中止かと思われるなかの決行。今年も途中の雨でしばしば中断しながらもやりきった。辛うじて持ちこたえた天候と、運営にあたられた園の職員さん・役員さんに感謝です。

(おわり)

サポートは資料収集費用として、今後より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。スキ、コメント、フォローがいただけることも日々の励みになっております。ありがとうございます。