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虚像1〜侵される人々〜 いつの頃からだろうか?「地域活性化」が叫ばれる様になったのは

いつの頃からだろうか?
「地域活性化」が叫ばれる様になったのは

各地域で取り組む「地域活性化」とは
所謂イベントの事を指す様だ

「地域活性化」=「イベント」

本当にそうなのだろうか?
[地域活性化]と言う言葉の羅列の中に
[経済]と言う言葉が抜け落ちている様に思えてならない

つまり「地域経済活性化」
これが正式な呼び方で有る様に思うし
そうであって欲しい

「地域活性化」
「地域経済活性化」

こうやって並べ比べると
上の方がエモーショナルで取っ付き易く
下の方が小難しいく取っ付き難い印象を受ける

もう少しわかり易くしてみよう

「地域を盛り上げたい」
「経済を盛り上げたい」

これでどうだろう?
幾分わかり易くなったのでは無いだろうか?

先に断っておくが、これから書き記す事は
その様な[イベント]を批判している訳では無いし
それが盛り上がる事は大いに喜ばしい事だ

ただ小規模コミニティー主催の
[地域イベント]開催の情報が
地方紙の紙面を飾る時
[活性化]の文字を見ると
如何んせん違和感を覚えると言う事だ
記事を書いてる記者のこじつけかもしれないが
些かお粗末な様にも思う

私が神経質に捉え過ぎなのかも知れないが
群馬の片田舎の果物屋の戯言と読み流して欲しい

「地域を盛り上げたいんです!」

数年に一度、ほかほかなテンションで
突如として現れる人々がいる
目安とすると3、4年に一度
まるで特別な行事の様だ
不思議な事に世代を問わず必ずだ
もはや風物詩と化している

そして決まりきった様に
地域活性化と冠の付いた[イベント]の
プレゼンテーションが始まる

得意満面に語られる、その内容に
革新的かつ、画期的な部分はない

そして目的は

「人を集めたい」「地域を盛り上げたい」

声高らかに、必ずと言っていい程
口々にこれを言う
無自覚なのだろうが
その地域を憐み蔑んだ様な口ぶりだ

締めの言葉は

「私は〇〇と仲が良い」
(この地域の事業者様)

「〇〇の会長と語り明かした」
(この地域の何らかの会の会長様)

「市議会議員の誰々と知り合いだ」

と、お決まりの様に人脈をアピールする

「またこの時期が来たか」

申し訳無いが、これが率直な感想だ
どう言う訳だか数年置きにこの様な人々が
私を訪ねて現れる

彼らは何故そんなに[経済]ではなく
[地域]を盛り上げたいのだろうか?
また「地域を盛り上げる」とは一体何なのか?
未だにその明確な答えを聞いた事がない
もしかしたら初めから答えなど無いのかもしれない
これは一種の病の様なものなのだろうか?
何かをきっかけに「地域を盛り上げる」と言う
虚像に触れ、ウィルスの様に感染していく

仮にそうだとして、この病の怖い所は
自覚症状が無い所だ
つまり、感染者がこの文章を読んだとして
自分の事だとは思わない
罷り間違えば共感までしてしまう
そして、事も有ろうに
他の侵された人々を批判し、こき下ろす

「自分は他とは違う」と思い込みながら

だが残念ながら同じだ
長年同じ様な話を聞かされている私には分かる
間違い無い

もう一度言う

同じだ

何故これ程にまで語気を強めるかと言えば
かつて私自身が、その虚像に触れた
感染者の1人だったからだ
[イベント]を主催しようとした事は無いが
似た様な思い込みを持った事が有る
同族嫌悪に似た感情が語気を強めさせるのだろう

この様な人々が定期的に私の前に現れるのは
自身でも無自覚な、侵されていた頃の残り香が
彼らを引き寄せてしまっているのかも知れない

今回のテーマは過去の自分への戒めも込めて
どの様にして[地域活性化]と言う虚像に侵さるのかを経験談を交え書くと同時に
人口減少が著しい地方市街地の[活性化]に付いて
僭越ながら私なりの見解を述べてみたいと思う

堅苦しいテーマだが
お付き合い頂ければ幸いだ

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