僕は「ジェネレーター」になりたいのかもしれない
なんかいいなーと思い、ついiPhoneで撮ってしまった、この写真。
時は8月のとある日の午後7時。宮崎、やっぱり暑いです。
どーも。タケちゃんです♫
久しぶりに更新します。今回はジェネレーターについて書いてみます。
なんじゃ、そりゃ。
コロナでモヤモヤ
最近の新富町は、7月に隣町でクラスターが発生したこともあり、町外へ出ていくこともためらうようになった。
本当に世界が変わってしまったんだなぁ。
僕が所属しているこゆ財団のイベントも、ほぼ延期かオンラインでの実施になり、人や地域との「繋がる」形態が一気に変わった。
気になる言葉
悶々とした日々を過ごしているが、先々週あたりから、同様の質問をいろんな方から受けている。
内容はざっくりと、
「タケちゃんは、今何に熱中しているの?」
といったものだ。
きっと、みんな気にかけてくださったのだろう。きっとすごい顔して仕事してたんだろうなぁ。。。
で、熱中しているものを考えてみたわけです。すると、一つ言葉が浮かんできた。それが、
「ジェネレーター」
という言葉だ。
ジェネレーターとは
この言葉を聞くと「発電機」を想像される方も多いと思うが、意味としては間違ってはいない。
これは、一般社団法人みつかる+わかるの市川力さんと井庭崇さんが提唱した、新たな役割を示す言葉だ。
具体的には、その場を回しつつ自分も参加して場を一緒に作っていく、generate(生成)していく人のことを指す。
この役割の面白いところは、年齢関係なく誰もがなれてしまう汎用性にある。
必要なのは、気になった物事や事象を面白がることだけ。
つまり、僕の解釈では「好奇心」だ。
これさえ持ち合わせていれば、誰でもなれるというのだ。
「好き」と「好奇心」の違い
僕は、この「ジェネレーター」 を学ぶ全3回の講座に参加した。講師は先述した市川さんと井庭さんなのだが、二人の掛け合いがたまらなく面白い。
初回の講座では、二人の「共鳴」ポイントが多く、なんとも楽しそうに話が繰り広げられた。その話の中で、一瞬「?」が浮かんだやりとりがあった。
それが、「好き」と「好奇心」は違うという話。そして、beingとbecomingで例えられていた。
僕の解釈ではこうだ。
「好き」は、その人の中に既に存在しているもの。
つまりbeing、あるものだ。
「好奇心」は、あらゆる物事に対して興味を示し、面白がり、多少つらくてもそれ自体が楽しいと感じて取り組んでいること。
つまりbecoming、〜になる、〜になっていくことだ。
だから、好きなものが必ずしも「好奇心」から始まったとは言えず、
「なんで好きなの?」と聞かれてもわからないことが多い。
これを聞いて思ったことは一つ。
僕は子どもたちの「好奇心」を育てたいんだ!!!
と。
何かわからないけど、とりあえず考えたりやってみたりしようかな!と思える子どもたちを増やしたいのだと。スッと自分の中に入ってきた。
「ともに」創り続ける
ジェネレーターには、常に半学半教の場が用意されていると思う。今回の講座もそうだ。
先輩も後輩も、大人も子供も、できるできないも関係ない。
いつも誰に対しても新しい学びが手に入る場がある。こんな場から、ジェネレーター は生み出されるはずなのだ。
そして、ジェネレーターが増えていく場を、僕は創りたいのだ。と感じている。そのために、僕はジェネレーターになる必要がある。
「泥臭く」頑張る
何かを創る時には、面倒臭いこともやらなければならない時がある。
そんな時でも、ジェネレーターは面白がって進める人だと、お二人は講座で言っていた。
泥臭く、確実に、楽しんで進めていくということだと理解している。
だからこそ、一人だけでは楽しめない可能性がある。そのために、「一緒に」創っていくことが大切だと、「コラボレーション」が必要だと伝えていた。
「コラボレーション」にもいくつか種類があるのだが、これについてはまたの機会に書く。
そして、今の自分に足りていないのは、これかもしれないと感じている。
子供たちと「一緒に」創るために、まずは大人たちと「コラボ」が必要だ。
つまり、ジェネレイトする仲間を集めるということだ。
ジェネレーターになりたい!
と、思いの丈を書いてみた、みたいな感じになってしまった。
ということで、僕はジェネレーターになりたいのだ。泥臭く、地道に面白がって進んでいくのだ。
新富町に来て1年。新たな一歩を踏み出そう、おれ。
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