喜怒哀楽がある意味

今日は一日読書に講じました。
1日で3冊読みました。
そのうち2冊は漫画なんですけどね笑

今日は人間の感情みたいなところで思ったことがあるのでそれに書こうと思います。
昨日に引き続き重苦しい感じなんですけど、病んでるわけではないので、ふわっとした感じで書きます笑
あとかなりの精神論な気がします。
優しくなりたい人だったりは読むことをおすすめします笑

昨日若干居眠りしながら聞いた講義が哲学の講義で、側から見たらなんか硬そうで、変わった人が講義するようなものかと思いますよね。
たしかに変わったおじいちゃん先生なのですが、内容はかなり面白いです。
僕は経済学部なので、数学的な講義だったり、意味不明な経済学なのにそれを覚えなければいけない講義が多かったです。
でも哲学って正解無いんです。だから答えもないので、自分で考えたらそれが正解になるわけです。それはそれで意味がわかりませんが、今の自分としては思考力が高まりそうなのでありがたいです。
余談ですが、その哲学の先生も悟りを開いたようなザビエルみたいな人で、動画での授業なのですが、たまに天井見上げてフリーズすることがあるので、哲学の先生が変人であるという偏見は当たっているかもしれません。

前振りが長くなりましたが、昨日の講義は人間が生きる意味とかなんだかについての講義でした。
2つ考え方があって、直線と回転があるそうです。
直線が神様がいるバージョンで、神様が生み出して死んで、また生み出してっていうもので、人は直線状の人生を送るというもので、
回転の場合は、人は最初は産まれるものだけど、そこから産むものに変わっていってっていうのを繰り返すみたいな、ちょっとよくわかってませんすみません笑

人間の生きる意味だったりを考えたときに、最近自分が思ったことをふと思い出しました。


"怒" っていう感情の必要性です。


これもほんと最近の話ですけど、怒るっていう感情はほとんど抱いてません。
なぜかというと、なんでだろう。
自分でもわからないんですけど、自粛中だからなのか、でも人とコミュニケーションはとっているのでそこはあまり変わらないです。
でもそれでもある人と話すときだけ、怒る感情が出てきます。たった一人です。
正直怒っているときが1番疲れるし、何の時間だこれって思います。
でも怒るってことはその人に何か伝えたいんだと思いました。
怒らずに伝えるのが1番ですけど、なんでなんでしょうね。

きっとその人もこのnoteを読んでくれているので、あえて書きました。

前にも怒るって感情について考えたことがあります。その時は、エンタメを作るにあたって、喜怒哀楽全ての感情からアプローチすることができるって思ったところから考え始めました。
たしかに怒ってる人が見て、共感を得るのは怒っていることを表現しているエンタメです。
でもそれってそこに共感を得たところで、その人のためになるのか、その人が救われるのかっていったら違いますよね。
結果、エンタメで怒る感情から共感を得るのは、共感を得て利益が欲しい、欲望の塊だと思いました。
共感してから、ちゃんとその怒る感情から相手を解き放てるなら話は別ですけどね。

今回自分の中でも、二つの結論を無理やり出します。怒る時間なんて嫌なので

一つ目は、
伝えたいことがある時は、まず相手の話を聞いてからです。

二つ目は、
それでも怒る感情が湧いてきたら、なんで怒っているかの理由を考えて、その理由を解決することでプラスにするです。

二つ目は、想像の中で、こうできたらいいなっていう希望です。たぶんすぐには無理かもしれないですけど、そうできるようになれたらいいなと思います。

冷静に考えたら、動物の中で感情を持っているのは人間だけですし、
他の動物に感情があったとしても表現する術は人間しか持ってないです。

それって凄いことですよね。
人間しかできないことだからまさにこれから機械化が完成して、人間にしかできないことを大切にしないといけないと思いました。

最終的にまとめると、僕は怒るってことが嫌いです。怒るっていう字も嫌いです。
字で思いましたけど、女の人の方が怒りやすいんですかね笑
(全国の女性の方すみません冗談です。)
僕が怒られるのはまた別です、それは相手が僕に伝えようとしてくれているチャンスなので、嫌いだからふて腐れるとかはないです。

でも自分の中からは、出来る限り怒るっていう感情を無くしていきたいと思いました。
自分の辞書から消すくらいの勢いで行こうと思います。


今日も読んでいただきありがとうございました!

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