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My name is Thunder

何年ぶりになるだろうか。
普段の重い服を七分丈のTシャツに着替え、テーピングテープを手首にぐるりと巻き、皮膚が浮くぐらいに締め上げる。
この日の為に拭きあげたシューズとチョークバッグをカラビナに通し、階下へ向かう。
子供達の笑い声が沢山聞こえる。彼等はまだ奔放だし、疲れを知らない。

ストレッチゾーンに降り、入念に身体を伸ばす。脚を伸ばし、腕を回し、肩甲骨を回す。

壁も、集まる人々の質も、あの時と全く変わってはいない。変わったのは自分。それを思い出させるように、長い間相棒として苦楽を共にしたクライミングシューズ、ブースターSは言うことを聞かず、脚がギリギリと締め上げられ、歩行すら覚束ない。
無理もない。コイツは闘い続けてきた僕のギリギリまで切り詰めた痛覚の先、皮を引っぺがしてその裏の肉で感じる足指の感覚を伝える為にサイズを極限まで小さくした靴、並の人間では立つことすら出来ない。

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今は僕も並の人間だ。だけど、それじゃあダメなんだよ。戦うとは、並ではいけない。

2016年、怒涛の1年だった。
年間で大会に4度出場、始発で浜松に向かって、一日中登り、競い合い、終電で帰る。幕張だってそうだ、自分より上のクラスで登った。
平日は始発でジムに向かい、昼過ぎまで一人でああでもないこうでもないと壁に向かい続け、そのまま仕事をして終電で帰る。休みの日はジムを梯子して、都内全域を駆け回り、呼ばれれば知り合いのジムでインストラクションとルートセット、ただの趣味というには度を越していた。

沢山の壁があった。膝を2回壊しているし、土日休みが取れないから、主要な大会には参戦できず、連休が取れないから外の岩には一人でしか行けない。
そして、ビレイヤー(相方、下でロープを支える人や、墜落を防げる人)はいない。

次第に、やる理由の方が曇り始めている事に気づいた。好きだから、面白いからではない。
勝利への渇望ではない、達成の渇望ではない。
出来るから。考えられるから。慢心している。
これまで全身に流れていた電撃が、ホールドを取っても走らなくなった事に気づいた。

2020年になって、色々な事を考えている。
生活すること、大事な恋人と共に過ごすこと、仕事の事、書くこと、世に発信する事、残念ながら2016年から変わった事は少し仕事が楽になったぐらいだ。
進まなければならない事が増えた。
やるべき事が増えた。そして、穏やかな時間がこの手にある。

『戦え』

ぬるま湯の中にいた僕の全身に、もう一度電撃が走り、伝える。
これまで、脚を止めず、振り返らず、拘泥せず、沈没せず進み続けられたのは、この電撃のおかげだ。
進むとは弾き飛ばす事、偉大なる一歩が、静かなる一歩ではならない、踏み抜くぐらいの莫大な力が要る。それが、進むという事だ。電撃は走る。そして言う。

全盛期ほど、渇望はしない。実生活を破壊する程、駆け回らない。
だが、戦う事を目指す、壁を越える事を目指す。高く飛ぶ事を目指す。
歳も歳だ。出来ないこともある。その代わり、出来ると思っていた慢心が収まった。今は純粋に楽しめる。

仕事も生活も毎日も、放っておけば何も無く進む。大切な事もゆっくり出来るようになってゆく。
戦うとは現代には必要のない概念で、抑えて静かに生きた方が良いのかもしれない。
けれどいつか、思うのだろう。
進んでいないと、強くはないと。挑戦し続ける気持ちを失った心で、背水の陣、四面楚歌、あらゆる苦境に直面した時、昔の自分と同じように戦えるのか?
幸福に浸かり切ってふやけた心で、大事な人を守れるかと。
身体を貫く電撃は言う。

『お前はもっと、強かったはずだ。お前の最高の友は、苦難ではなかったか』

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そうして僕は、一つの答えを出した。
戦う事を、挑戦者であることを辞めない。
放っておけばただ歳を取るだけのこの我が身を電撃に任せる。
安寧の生活の只中に、挑戦するという価値を入れる。
生きるだけでは事足りない。
生活するだけでも事足りない。
働くだけでも事足りない。
自己啓発やら、優しい言葉では事足りない。
突き進むことを、戦うことを我が身に内包する。
競う事、進む事、登る事、それがそのまま、人生だろう。

2017年に、競技者から退いた。そうして、登ることに全力を捧げ、皮がめくれるまで痛め切ったこの手で、それから沢山のことばを綴った。それも、今思えばどこかで戦う事を望んだからかもしれない。
ことばをもって、一つひとつだらだら生活しているだけでは見出せない未来を作ってきた。
ことばをもって、人に影響を与え、かつては厚さ数ミリのエッジを掴むためであったこの手で愛する人の手を握っている。
そして、社会を弾劾する為のことばは誰よりも愛する人の為に使い、戦う為ではなく、繋がる為にことばを使うようになった。
今はそこまで昂らなくても、猛らなくても愛する人や、読んでくれる人が自分の姿を見ていてくれる。

もう競技者ではない。勝つ事も、高みに上がる事も、必要じゃない。
だからこそ今全てのことを進めることに、登ることに、愛する人との生活を作ることに、純粋に、曇りなく向き合う事が出来る。

飛ぼうか、また。遅すぎる事など、何一つない。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。