薄情屋蹂躙録

かの男、とある北の諸藩にて、古くから伝承されし剣術を使い、腕は立つが何かにつけてすぐ何処かへ行ってしまう風来坊のような気質により、郷里を出奔してはや十年と十月が経つ。
江戸の吉原近くの破れ堂にて、投宿していた所、懇意にしておった鴨そば屋の店主、美濃吉の話を聞くところより、物語は始まる。

1幕.華の吉原、暗夜に嗤う

「親父、ってこたぁ。借銭の型に女衒に娘のお菊を取られ、尚のことこの店まで抵当に入れられたって事か」

「ああそうさ、遊廓望月楼の使いとかいってたな。まるで蛇蝎のようにこちらの酌を強要してきやがる。命がいくつあっても、足りゃあしねえ」

「親父、そいつの名は?」
「鶴屋一家の長兄、鶴屋蔦二郎」
ぞわっとした。小物やそれ絶対。名前がおかしいだろなんだその触手じみた名は。

「まぁいいや、望月楼っつったらここいらで有数の遊廓だろう。あの夕雲大夫もいるとこだ。
話の真贋が全く分からん。聞いてみるに及くはねぇ」
「お前さん、どうやって聞くつもりだね」
男は振り返り、店主の前に手を伸ばす。
「客として聞くしかあるめえよ。ホレ、金子をよこしな!」

まあ、そんなにうまく行く事はねえやな。
男はすっかり無駄骨に終わった望月楼での事を回想しながら、安易な考えとは知りつつも吉原神社の逢初桜の幹にもたれ、煙管をふかしていた。
当然である。
遊廓とは、何度か通いつめて初めて言葉を交わすに至る。そんな法度がある。一見で、更に申せばどこからどう見ても貧乏浪人風情といったこの風体では、むりである。
一肌脱いだはいいが、このまんまだとどのみち鴨そば屋の大将、食い扶持を失う。ふう。

そんな事を考えていた訳だが、本心は、そろそろ寒いしなぁ。鴨そばに餅を入れて食いたいなぁなどと千々に乱れる思考、かような最中、一人の幽玄たる遊女が社に近づいていった。

うまく行きやがった。遊女は男の隣に、逢初桜にもたれ、茫、と夕の月を眺めている。
「もし、つかぬ事を聞くが、おぬしここいらの遊女ではあるまいか」
遊女は目を伏せ、表情を変えぬまま男の返答に頷く。
「望月楼にて、お客をとっております」
「ほう、何か腹に一物あるご様子。袖振る縁じゃ、この貧乏浪人に申してみよ」

遊女はゆっくりと話し始めた。幽玄たる表情に反し、儚くも芯のある声である。
「あちきが懇意にしておりました禿が一人、身請けされたのでありんす。かような様子も一切見せぬまま、その禿が昨晩、お歯黒どぶにて、亡き者となって見つかったのです。口惜しゅうて口惜しゅうて、逢初桜を眺めれば、香なりとも、感じることが出来るかと来てみた次第」
ハイ、解決だ。おそらく身請けした女衒は、鶴屋蔦二郎。
「事の次第はあい分かった。身請けをしたものは何という者であろう。望月楼から身請けとは結構な大店に違いない。参考までに」
「ここいらで名を馳せる侠客、鶴屋一家の長兄、蔦二郎にございまする」

男は遊女より目を逸らし、闇夜にてニヤリと嗤う。

〜続く〜

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