薄情屋蹂躙録・参

かの男、とある北の諸藩にて、古くから伝承されし剣術を使い、腕は立つが何かにつけてすぐ何処かへ行ってしまう風来坊のような気質により、郷里を出奔してはや十年と十月が経つ。
江戸の吉原近くの破れ堂にて、投宿していた所、懇意にしておった鴨そば屋の店主、美濃吉の話を聞くところより、物語は始まる。吉原に跋扈する女衒、鶴屋蔦二郎の話を行きずりの遊女と美濃吉より聞き覚え、成敗致すと一肌脱ぐ事になった男は、名刀、油屋一文字とそれに付随する鶴屋一家との暗闘に思いを巡らす。
さてさて第三幕、鉄華と艶華の万華鏡、男はいかにするのか!

3幕. 暗夜の君

だから行くんじゃなかった。
本日の後悔を胸に、男は今宵も初逢桜の幹に寄りかかって思案していた。
講武所の男谷文次郎とは古くからの腐れ縁だ。それはいい。ただ何度行ってもやっぱり馴れん。
まずあの女人禁制の立て札はなんだ。そして、検分と称し褌以外身包みを剥ぐのは一体なんだ。
文ちゃん(文次郎)を待つ間に、米俵を担いで邸内を一周するその風習はなんだ。むさい。非常にむさい。
そして文ちゃんもいちいち脱ぐな。脱がすな。
「おぬし、鶴屋一家成敗の為、講武所一門の力を貸せと申したな。なんたる漢気、なんたる心意気、感動した!胸が詰まりそうだ!
よしよし、受けて立とう。待つが良い、我が講武所一門、鶴屋一家なぞロクでもない半侠客、成敗してくれようぞ!」
胸が詰まる、迄は良いのだ。何でそこから詰まった胸を解放致すとか言って米俵大胸筋祭りにならなけりゃあならん。お陰様で最早身体の痛みが治まらん。

蔦二郎成敗の暁に、油屋一文字を貰い受ける、鶴屋一家の介入を講武所の連中に任せる、そこまでは成功なのだ。だが過程がむさ苦しすぎる。玉三郎はとっととトンズラこきやがったし、やれん。非常にやれん。

最早疲労の塊となった身体を揉み解しながら、男は待つ。
やはり、来た。過日、言葉を交わした遊女がまたしても芒、と鳥居を潜って現れた。
「もし、あの時のお侍様ですね」
幽玄たる遊女は以前より少し、顔色が良くなったように見えるが、やはり哀しみに暮れておるのであろう。声は儚い。
「今宵は貴女を待ち申しておった。少し尋ねたいことがあってな、良いかの」
「なんなりと」
「かの鶴屋蔦二郎は、未だに禿たちを身請けしておるのか」
幽玄たる遊女は微かに俯きながら、語る。
「ええ。貴方様に相談することではないのでありましょうが、店の主人と結託して、まだ年端もいかぬ禿達を身請けさせております。本来、あってはならぬ事でございましょう。不憫で不憫でなりませぬ」

やはり、か、かの望月楼も斯様な闇を抱えておる。
諸行無常。世は百鬼夜行の闇夜なり。
「そなたの話を聞けて安堵いたした。拙者、明くる日に講武所の男谷文次郎と共に、鶴屋一家を成敗する所存であった。
その暁には必ず、貴女の元に禿達を戻して進ぜよう」

男は初逢桜より身を起こし、すたすたと鳥居に向けて歩む。

「もし、お侍様。貴方様のお名前をお聞かせ願いますか」
「名乗る程の者でもない。貴女と同じ、軽佻浮薄の身分。敢えて申すなら、郷を離れ、父上、母上、親類縁者から薄情者と罵られておる。それが屋号ぞ。名はいつの日か、現世で一等、絢麗豪壮の者によって、つけられるであろう」
「薄情屋様、もしまたお目にかかる時があれば、お名前を、どうかお名前を私めに」

幽玄たる遊女の声を背にし、男は鳥居を潜る。
舞台は整った。かくして、男は百鬼夜行を蹂躙致す事を胸に、大胸筋祭りによって痛む胸に、立ち去った。

〜続く〜

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