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宿り木のないツバメとなって。

朝11時過ぎ、通勤電車に飛び乗って、座席の端っこのデッドスペースに背を預け、ああ音楽でも聞きますか、なんつってイヤホンを取り出した所で、座席を挟んで向こう側に寄りかかるマスクの男性が、よっと手をあげる。

お久しぶりです。なんて言われて思い出す。
高々2年前なのに、昔とか言っちゃう自分がすげぇ薄情に感じた。
2年前、僕と彼は、共に同じジムで週7.8で登り、切磋琢磨してた仲間だった。ボルダリング小説書ききった後に、なんてタイミングだよ。そう思った。

そこそこに近況報告を聞きながら、僕や彼、他に次々出てくる仲間たちが皆、あんまり登らなくなった事を知った。正直ちょっと安堵した。僕が何にもしていない間に皆強くなってたら、やっぱ少し凹む。
僕や、仲間たち皆が、ボルダリングから離れた最も大きな理由は、宿り木のように毎日通ったジムがなくなったからだ。辞めた当初は他にも色々考えてみたけど、今となっては、それしかない。

僕も他の仲間も、皆あんまり連絡先の交換はしなかった。登りに行けば、みんなそこにいる。狭い業界だから、他のジムに行っても、誰かしらとは会えた。もちろん登る事が優先だから、そんなにずーっと喋っていた訳ではないけど、僕らには緩い仲間意識が確かにあった。ボルダリングって、結局個人競技だから、所属、とか〇〇チームみたいな括りはない。だけれども、1年で4回以上大会に参加していた時、別に頼まれた訳でも、スタッフでもないのに、参加受付欄の、ホームジム記入欄にすごくこだわっていた。ジムを代表して来ているんだ。そう思っていた。
そこでやってる。それだけなのにね。そのジムの名前を堂々と記入し、転戦に転戦を重ねた。その為に無理言って、休み取ることもあった。

戦っていた。俺のジム、すっげえ面白いんだぜ。そう言いたかった。
折しも当時、ボルダリングブームが来ていて、新規参入者が本当に多いし、ジムも月一のペースで増える時代だった。ボルダリングジムのクオリティ、というのは設備以外にも常連のコミュニティへの入りやすさ、初回インストラクションが充実していること、が重要で、僕も、皆もスタッフでも何でもないのに積極的に教え、話、必死になって盛り上げようとしていた。

本当はどうでもいい事なのに、店の売上気にして、皆貢献しようと頑張った。ある人は大会で強さを示し、ある人は武者修行をして、広め、ある人はジムで初心者を懇切丁寧に育て、スタッフを育て、ただ同じ宿り木に止まっただけの縁なのに、考えている事は同じだった。

ジムが無くなったあと、色々なジムに登りに行った。上手くなる、強くなる。その目標は変わりがない。その筈なのに、達しても、達しても、乾いていくばかりだった。
そうして僕は、一度距離を置くことにした。そして、それを思い出にして保存しようとしている。

もう戻ってこないと思ってます。そう言われた。
戻りたいさ、だから今だって、少し太ったかもしれないけど、トレーニングはやめていない。
ただその前に、もう一つ武器が欲しかった。あの頃、戦い続けたあの日々を書き抜く為のその武器が。

数ヶ月前かな。いない間に起きた、ボルダリング業界の事件を知った。闇を知った。もちろん当事者じゃないし、語るには少し遠い。
ただ、分かった。あれは、宿り木を持てなかった、そんなツバメが、目標を失い、悪鬼になって、修羅となって起こした、悲しい事件だ。

何の力も、今はない。そこにもいない。宿り木もない。だからただ、祈るしかない。
いい奴しかいない業界だから、努力している奴だけしかいない業界だから、快活に笑っている奴らしかいない業界だから、闇になんて沈んでほしくはないんだ。

僕はいつ戻るのかについて、返事をまだ出来ない、だけどいつか、絶対戻ってくるよ。
失った宿り木のその名を纏って、思い出を纏って、壁に向かい、どこまでも高く、飛んでやる。
あの日々を過去になんか、絶対にしたくない。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。