薄情屋蹂躙録・終曲

かの男、とある北の諸藩にて、古くから伝承されし剣術を使い、腕は立つが何かにつけてすぐ何処かへ行ってしまう風来坊のような気質により、郷里を出奔してはや十年と十月が経つ。
江戸の吉原近くの破れ堂にて、投宿していた所、懇意にしておった鴨そば屋の店主、美濃吉の話を聞くところより、物語は始まる。吉原に跋扈する女衒、鶴屋蔦二郎の話を行きずりの遊女と美濃吉より聞き覚え、成敗致すと一肌脱ぐ事になった男は、名刀、油屋一文字とそれに付随する鶴屋一家との暗闘に思いを巡らし、講武所の文ちゃん、闇夜の君との邂逅を経て鶴屋一家との全面戦争の火蓋を切る、さぁ、絢爛豪華たる吉原に咲く天衣無縫の大博打、張るは天国張らぬは地獄、天に轟く男児の花火ぃ!これにて終章、開幕!

終幕.華の吉原、粋の快男児よ!

まだ草木も起きぬ明朝、男は玉三郎を伴い、吉原郊外の破れ堂の前に立っておった。
半月程前、男が無断で寝食をしていた場所から、少し離れた所にそれはある。

全く、何であの時気付かなんだか。
確かに、年端もいかぬ幼子ばかり歩いておったではないか。己が頭のキレなさに嘆息しつつ、男はゆらりと雪花丸を抜き放つ。

ええまぁ、作戦はこうだ。まず間違いなくこの時間ここで寝ておる蔦二郎を成敗致す。
同刻、文ちゃんが鶴屋一家を悉く打ち据える。これにより各個撃破、戦力分断を行い、油屋一文字を手に入れる。蔦二郎は、まぁど変態ロリコン野郎なので問題はないが、黒幕の望月楼主人の抑えが必要だ。
大丈夫抜かりはない。今頃望月楼では遊女達の大規模ストライキが起きており、対応に追われている筈、今宵の花宵道中ですら覚束ない筈だ。
そこいら辺は平素より出入りしておった鴨そば屋の美濃吉、後始末は文ちゃんに頼んである。

「流石は兄貴、抜かりがねぇや」
「静まれ玉三郎、入るぞ」

男は木戸に手をかけ、一気に破れ堂へと押し入る。
「鶴屋一家長兄、鶴屋蔦二郎!講武所の名により貴様を成敗いたす!」

勢い遊んで開いたものの、眼前に広がる裸の女児と貧相な一物をぶら下げたちょび髭オヤジ。酒池肉林。蜘蛛の子を散らしたように四方に散る裸の女児達。男は一気に気持ちが萎えた。
「何奴!」
そうは言っておるが、蔦二郎、正に一糸も纏って居らぬ故、どう見たって阿呆である。
ええっとどれどれ、あれかぁ。木造のくたびれた菩薩像のたもとに、一際長い太刀が置かれている。蔦二郎はすぐさまそれに駆け寄り、鯉口に手を掛ける。
馬鹿馬鹿しい。三尺もの大太刀を、咄嗟に抜く、斯様な真似、三下の小悪党になぞ出来はしない。抜いておかねば、最早負けなのだ。

男は一足飛びに間合いを殺し、普通に囲炉裏端に突き刺さっている火箸で蔦二郎のか細い諸手を撥!と打ち据えた。
「熱う!」
もう何で斯様な事をしておるのか、男は燃え盛る火箸で更に蔦二郎の尻をしたたか打ち据える。半泣きで命乞いをする蔦二郎を前に、尻、背中、腿、凡ゆる所を打ち据える。
「玉三郎、縛り上げい!」
「ヘイ兄貴ぃ!」全く使いもせぬ雪花丸を鞘に収め、火箸を囲炉裏に突き刺した後、男は床にだらしなく落ちた名刀油屋一文字を拾い上げる。
ほほう、素敵じゃ。
足下で縛り上げられた蔦二郎がもごもごなんか言うとる。
「貴様等、ただではおかんぞ。拙者を誰と心得る、鶴屋一家次期組頭、蔦二郎であるぞ」
「黙れこの腐れ三下。講武所からの名で来た者が、二人の訳があるまい。
今頃一家全員、とっくにお縄じゃ」
蔦二郎の苦悶の表情があんまりにも面白いので、尻をもう一遍だけ叩いといた。破れ堂に乾いた音が響いた。ぺちーん。

取り敢えず縛り上げた蔦二郎と、身支度を整えた禿達と、監禁されておった町娘を伴い、男は玉三郎と一緒に吉原大門に差し掛かった。
見れば女達、一様に俯いて哀しげな表情をしておる。
なるほどなぁ、斯様に貧相なチョビ髭であろうが、一度愛を感じたもの同士、何か感じるものがあるのであろう。
なんと無情な話よ。希望に満ちて身請けされたと思いきや、これじゃあな。誠に情愛とは罪なものよ。

辺りはもう暗くなっていた。
女性陣の支度が遅いのと、蔦二郎折檻の時間と、文ちゃんの一家壊滅が意外と手間取った。そんな所だが、まあ、そうは言い条、大体男は煙管を吸って寝てたりして待っておった。
「おう玉三郎、今回の礼じゃ、この雪花丸、お前にくれてやろう」
「兄貴!一生ついていきます!このご恩、一生忘れませぬ」
「あぁ良い良い、拙者には油屋一文字がある故、問題なしじゃ、鴨そばのオヤジにもたんまり食わして貰おうぞ」
意気揚々と大門をくぐると、何故か遊客供、建物に合わせて整列しておる。遠くから近付いて来るのは、絢爛たる光、花宵道中というやつかの、見物していくか。
「おい、ありゃあ望月楼の夕雲太夫じゃねぇか。今宵の道中は中止では…」
ボヤボヤ呟く玉三郎の話を聞くとも無しに聞き、太夫の顔を見て男は声を失った。

昨晩の、闇夜の君ではないか!
男はその場に固まり、夕雲太夫はゆっくり、ゆっくりとこちらに歩みを進め、男と一寸手前で立ち止まった。
「薄情屋様、此度の働き誠に有難き幸せ、望月楼の禿達も無事、また講武所の文次郎殿の助けにより悪事を働いていた主人も捕縛されました。
何と御礼を申せば良いか」
「いやはや、これはこれは、吉原一の夕雲太夫であったとは、誠に失礼致した」
男は手汗で油屋一文字を滑り落としそうになっておった。
「昨晩、この世で最も絢爛豪壮たる者に、お名前をつけられると仰いましたね。よろしければ、私めがお付け致しましょう」
「成る程、道理であるな、申せ」
「遊冶郎殿、この吉原にて最も浮世離れにして、最も粋な振る舞いをなさる貴方様に相応しい通り名でございましょう」
「薄情屋遊冶郎、か。良いであろう。此度の礼として、謹んで頂戴致す」男は慇懃に顔をしかめ、精悍な顔つきを保つ、心の内は、なんと、艶やかな、そしてなんと麗しきかなと、惚気に惚気ていた。
太夫は微笑み、腰を少し屈めて、男に更に近づく。白粉の香水の香が、微かに男の鼻孔をくすぐる。

「薄情屋様、お慕い申し上げております。いずれは床を共にすることもありましょう。月が沈むまでいつまででもお待ちしております」
そっと耳打ちし、行列はまた大門に向けてゆっくりと離れていった。開いた口が塞がらねぇ。

「おい、玉三郎!おぬしに貸し与えた雪花丸、今すぐ質に持って行け」
「あ、兄貴ぃ!一体何を」
「うるせえ!早く、質入れしやがれ!登楼するぞ!斯様なしみったれたなりで行けるかど阿呆!」
「兄貴ぃー!」

「ははは、何を小さな事を申しておる薄情屋ぁ!」と、背後から快活なる笑い声。文ちゃんである。
見れば背後にはずらりと並ぶ男衆。なんで揃いも揃って褌一丁に羽織なんだ。そして太鼓、獅子頭、三味線なぞを持った男衆が男の周囲を囲む。
捕まれ!先ず己らが捕まれ!斯様な所で脱ぐな!
「今宵は我らが講武所一門、鶴屋一家討伐を祝して、望月楼を貸し切っておる。無論、此度の件、お主の心意気と漢気あってのものじゃ!安心せい!
男児たるもの裸一貫!薄情屋遊冶郎の漢気に我ら熱き血潮を滾らせ!一晩限りの大宴会じゃー!」
あぁぁぁぁぁ!やめろぉー!太夫よ、闇夜の君よ、拙者断じて斯様なむさ苦しい男衆の一門では無いのだ!

「うぉぉぉぉぉぉぉお!う・た・げじゃぁぁぁぁ!」
野太い咆哮を轟かす一門、振り返りくすくすと笑う闇夜の君、やめろやめろぉ!一緒にすなぁ!この大馬鹿もん共がぁぁぁ!

かくして、油屋一文字を携えた浪人、薄情屋遊冶郎の名、豪華絢爛百花繚乱の吉原にて広く轟くのであった。

完!

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。