「それっぽいもの」がウケない

最近よく思うことなんですが、「それっぽいもの」がウケなくなってきたなーという話です。

「それっぽいもの」というのは、街中でたくさん見かけます。

たとえば、

・芝生の上でラガーシャツの学生が肩組んでる大学の広告
・空の写真に「わたしらしい毎日」みたいなコピーが載ってるマンション広告

みたいなやつです。

ネット上にもいろいろあります。

・ぬるぬる動く「DXでベストソリューション」みたいなコピーの企業サイト
・「個性を活かせる職場です」「アットホームな雰囲気です」みたいな言葉が並んでいる採用サイト

これらは「それっぽいもの」の代表です。

ちょっとディスりっぽい文脈で紹介してしまいましたが、別にこれが悪いというわけではありません。きちんと機能していれば、ぜんぜんいいです。

ただ、若干「それっぽいもの」がインフレを起こしてるかもなーとも思うんです。

全体のクオリティが爆上がり中

なぜこんなことが起きているのか?

それは、あらゆるもののクオリティが高くなってきたということを意味するんじゃないかと思います。

みんなMacを使えばそれなりのデザインを作れますし、最近のiPhoneはすごくきれいな写真を撮れます。そこにそれっぽいコピーを載せれば、たいてい「それっぽく」いいものになります。

全体のレベルが上っている。それはいいことでしょう。

ただ一方で、それっぽいものが飽和状態になっていて、あんまりウケなくなってる、刺さりにくくなってるのも事実だと思います。

「君の未来はここにある!」という大学の広告を見て「そうか! 俺の未来はここにあるんだ!!」というピュアな人は減っています。

「あたらしい生活。新たな風が吹き抜ける街」みたいな広告を見て、「素敵〜! ここに引っ越そうかな」と思うピュアな人は減っています。

そういうものが「効いた」時代もあったと思うのですが、今の世の中、ちょっともうお腹いっぱいなのかもしれません。

「それっぽい」より「生っぽい」を

じゃあ、今後どう差別化していけばいいのでしょう?

ぼくの答えは「それっぽいもの」ではなくて「生っぽい」ものを発信していけばいい、というものです。

生っぽいものというのは、どういうものか?

簡単に言えば「そのまんま」ということです。ちょっと荒削りで、ちょっと破綻していて、ちょっと未完成。

それっぽく加工するのではなく、ちょっと欠陥があってもいいから、生の素材っぽいもののほうがウケる時代な気がします。(感覚的な話ですみません。)

まあまあオシャレで洗練されてカッコいいものよりも「ん? これ、素人がやってるのかな?」くらいのほうが気になったりします。ダサすぎてもよくはないのですが、あんまり洗練されていないもののほうが意外と目をひいたりするのではないか。

たとえば(これは結果論に過ぎないのですが)『鬼滅の刃』というアニメは「生っぽい」なと思います。

たしかに絵は洗練されていますが、ストーリーやキャラクターは、けっこうベタですし荒削りです。さらに漫画のほうは、絵もそこまでうまくないですし(失礼)、けっこう生っぽいなあと思います。

でも、そこが新鮮だった。

『鬼滅の刃』は、マッキンゼーあたりがめちゃくちゃマーケティングをしたところで生まれてこなかったでしょう。マーケティング会議がもし開かれていたら「人殺しのシーンが出てくるのはヒットしない」とか「大正時代が舞台なのはウケない」とかで却下されることは容易に想像できます。「子どもにはウケないから、もっとファンタジックなほうがいい」みたいな感じになっていたと思います。

プロが陥りがちな罠

それっぽいものを作ろうとしてしまうのは、プロが陥りがちな罠です。

「こういうものがウケそう」とか「ここにマーケットがありそう」とかそういうことを会議室で議論してしまいがちです。するとたいてい予定調和でそれっぽいものができあがります。

ぼくも本を作るときなどに「こういう本なら売れそう」みたいな感じで作るとだいたいうまくいきません。そうではなく、自分が本当に面白いと思ったものとか、役立つと思ったものをそのままパッケージする。そうするとうまくいきます。

「売れそう」とか「ウケそう」とか「こういうのがみんな好きなんでしょ?」みたいな感じで出すと、ダメです。お客さんはそんなに甘くありません。よく「無欲の勝利」と言いますが、変に計算をせず、生のまま出したほうがうまくいったりするんです。

プロはロジックを積み重ねていきがちです。すると、最終的には全部が似たようなもの(コモディティ化)になります。そうではなく、生のまま出すことで、唯一無二のものになると思うんです。

生っぽさがウケる時代は「ふつうの人」の時代

そう考えると、今は「ふつうの人が強い時代」なのかもしれません。

プロの洗練されたそれっぽさよりも、ふつうの人が思いをこめて放った一撃のほうが強かったりする。それが現代です。

プロじゃない人は、下手に「それっぽいもの」を作らなくてもよくて、本当に裸のまま、生っぽいものを出すほうがウケる可能性は大きいんじゃないかなと思います。

嘘のないもの。本音のもの。素材そのままのもの。みんな、それっぽいものはお腹いっぱいなのです。

……いま思い出したのですが、瀧本哲史さんは『2020年6月30日にまたここで会おう』のなかで「盗めないものは、その人の人生です」と述べています。

その人が過去に歩んできた人生、挫折や成功といったものは盗むことができない。「唯一無二」のものです。人の人生はどうやったってコモディティ化しません。

だからこそ「それっぽいもの」を目指すのではなく、唯一無二のもの、つまり生のまま出せばいい。

自分の人生、もしくは自分の人生から出る「何か」を怖がらずに出していくことが、これからの時代は魅力的なんじゃないかなと思います。


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