見出し画像

伝わる文章は手紙のように

ぼくは自分であんまり文章がうまいとは思っていません。

プロの作家とかエッセイストとかジャーナリストの文章を読むたびに「こりゃ遠く及ばねえや……」とため息をついたりしています。

それでも、もしこの文章を読んでくれている方がいて、届いているとすれば、それは「書く」というよりも「伝える」ということを重視しているからかもしれません。

LINEやメールを「書こう」とする人はいない

ぼくは『書くのがしんどい』という本の冒頭でも「書こうとするのではなく、伝えようとすることが大切」という話をしています。

伝えようとすることで、自然と相手の顔が浮かんできて、結果的にうまく書くことができるのではないかと思っています。

「なかなか文章が書けないんです」と相談を受けることがあります。ただそういう人であっても、日々LINEやメールは書いているはずです。

それは相手がいて、伝えたい中身があるからです。LINEやメールを「書こう」とするのではなく「伝えよう」としているからだと思います。だから自然と「書く」ことができる。

なのに長文だったりこういうnoteだったりすると途端に書けなくなる。それは相手の顔が見えていなくて、何のために書いてるかがわからなくなってしまうからではないでしょうか。

なので、筆が止まったときは「どういう人に何を伝えたいのか」を一度整理してみるといいと思います。

その文章は「手紙」になっているか

多くの人は手紙を書いたことがあるでしょう。

病院のおばあちゃんに手紙を書いたり、実家の親に手紙を書いたり、昔の友だちに手紙を書いたり……。

そのときは相手の顔を思い浮かべながら「どういう表現なら伝わるだろう?」「ここはわかりにくいかな?」「これを言ったら相手はこう感じるだろうな」などと想像しながら書いたはずです。

そうやって気遣いながら書いた文章はきっと「いい文章」になっていたはずです。

ぼくの場合、最近はありがたいことにnoteを書くとリアクションをいただくことが多くあります。Twitterで言及してくれたりコメントをいただいたりメッセージをくださったりします。(ありがとうございます。)

ぼくは無意識にそういう人たちに手紙を書くように、もしくは返事を書くようにnoteを書いているような気がします。

「あの人にこれを伝えたい」。その道筋がはっきり見えたときに、わりとうまく文章が書けている気がします。

「相手」をどこまで想定すべきか

では、その「相手」はどこまで明確にするべきなのでしょうか?

ターゲットをどの程度、設定するべきなのか。このあたりはなかなか言葉にするのは難しいですが、できれば「一人」に絞るくらい照準を合わせたほうが伝わりやすくなるとは思います。

ぼんやりと「20代女性」とか「30代男性」みたいな大きなところに手紙を投げてしまうと意外に刺さらない。

それよりも「Twitterで知り合ったあの人」とか「会社のあの人」というように「一人」に照準を絞って手紙を書く。そのほうが刺さり具合は深くなって、より広がっていくと思います。

これはぼくが「虫めがね理論」と呼んでいるもので、拙著にも書いたのですがあらためて紹介します。

虫めがねで太陽の光を集めて火を起こす実験をやったことがある人はいると思います。そのとき、ぼんやりと広い範囲に光を集めてしまうと火は起きません。しかし1点に太陽の光を集めると煙が出てきて火がつき、そっから火は広がってきます。

それと同じように「たった一人に届けよう」と思って書いた手紙というのは、実はすごく大きなパワーを持っています。そのため、その影響は結果的に多くの人に広がっていくと思うのです。

誰かひとりに刺さると多くの人に刺さる。これを説明するときにハリーポッターの話をします。

作者のJKローリングはハリーポッターを書き上げると、その原稿をいろんな出版社に送っていました。それでも、なかなか相手にしてもらえなかった。

しかしある出版社の編集者の子どもがたまたま原稿を読み「これ、おもしろいよ!」と興奮して言ったのだそうです。それを見た編集者が「これは売れるかもしれない」と思ったことをきっかけに出版に至った。それがこの大ヒットにつながったといいます。

最初は編集者の子どもひとりに刺さっただけでしたが、そんなパワーを持った作品だからこそ結果的に何百万人に広がっていったわけです。

……というわけで提案です。

文章を書くときも「たったひとりへの手紙」だと思って書いてみてはどうでしょうか? 1行目に「誰々さんへ」 と書く。そして、その誰々さんに向けて筆を進めるわけです。もちろん公開するときには「誰々さんへ」という部分は消せばいいでしょう。

たった一人の誰かに伝えようとする。その力は強いものですし、結果的に伝わる文章になるはずです。

企画書も報告書もプレゼン資料も「手紙」である

伝わる文章は手紙のように。

そう考えると、企画書や報告書、プレゼン資料なども作り方が変わってくるかもしれません。その文章が誰かに伝えるもの、多くの人に見て欲しいものならば、それは手紙のように書けばいいのです。

たとえば役所の文章とか、国会でやりとりされるような文章は難しいですよね? 「手紙的」かというとそうではない。だから伝わりにくいわけです。

もちろん内部で情報のやり取りをするだけならそれでいいのですが、もし多くの人に伝えたいのであれば「手紙的」にする必要があると思うのです。

たった一人パソコンに向かって文字を打ち込んでいると、つい自分の中だけで完結してしまいがちです。「伝える」というよりも「書く」意識が強くなってしまう。

でも、つねにブラウザの向こうには伝えるべき相手がいます。その相手に手紙をしたためるように書く。

すると、 伝わる文章に近づいていくのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?