嫉妬をしたら手をつなぐ
いきなり抽象的な話になりますが、最近「自分」というものが邪魔になるなあと思うことが増えてきました。
「自分」というものがあるから、他者と比べてしまいます。「自分」というものがあるから、劣等感を感じてしまいます。「自分」というものがあるから、誰かと競争することになり、勝ち負けみたいなものが生まれてしまいます。
生まれてこの方、ずっと「自分」と付き合ってきました。
「自己肯定感をあげなさい」とか「自分をもっと強く持ちなさい」とか「自分は自分でいいんだよ」みたいなことも言われてきました。
でもあまりに「自分」が強くなりすぎると、逆につらい場面も多くなるよなーとも思うわけです。
「自分」が強くなるとプライドが生まれます。もちろん健全で必要なプライドもあるでしょう。でも「あいつにだけは負けたくない」とか「もっと尊重されるはずだ」とか余計なプライドが大きくなりすぎると、自分自身がつらくなってしまいます。
「自分」というものがあると、競争は終わりません。
誰かと比べてしまう。部署の中で、会社の中で、さらには社会の中で。仮に誰かに勝ったところで、さらに強い人が来たらその人には負けてしまうわけです。
「自分」が大きくなりすぎて、「自分」だけを守ろうとすると、逆にうまくいかないことも多くあるように思うのです。
競争するのではなく、「一緒に仕事できないかな」
独立して気づいたことがあります。
それは、あんまり嫉妬することがなくなったということです。
ま、まったくなくなったわけではないのですが、最近は自分よりも能力のある人とかスゴい人を見ると「なんとか一緒に仕事できないかな」という発想に切り替わるようになったんです。
たとえば自分よりも本をうまく作れる人、自分よりも本をたくさん売れるような人、自分にはない能力を持っている人、そういう人とは競ってもしょうがないと気づいたんです。それよりも一緒に仕事をしたほうが、自分にとってお得だなと思うようになったんです。
嫉妬してる場合じゃない、という事情もありますが、嫉妬する相手とは手をつないだほうがお互いより高みにいけるはずです。きっと世の中にも貢献できる。
もちろん手をつなぐときは、こちらから提供できるスキルやノウハウがないといけないわけですが、スゴい人を見るたびに嫉妬してその人と競っても意味がないしつらいだけです。新しいものも生まれていきません。
「嫉妬したら手をつなげないか」と考えるほうが、自分にとってもまわりにとってもいいことなのかなと思うわけです。
「自分」という世界観から、「共同体」という世界観へ
なかなかうまく表現できないし、これでちゃんと伝わるのか怪しいところがありますが、この「自分だけを大切にする」という世界観を打破して「共同体を大切にする」感覚を持つことができると、人生も仕事もうまくいくんだろうなーと思っています。幸福感も得られるでしょう。
ぼくはまだまだそんな境地には至っていないのですが、アルフレッド・アドラーも「共同体感覚こそが幸せになる道である」という話をしています。
かつて編集した『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』にはこう書いてありました。
"判断に迷ったときは、より大きな集団の利益を優先することだ。自分よりも仲間たち。仲間たちよりも社会全体。そうすれば判断を間違うことはないだろう。"
部署、会社、社会など、それぞれの共同体での「利益・不利益」が異なる場合、より大きな共同体の利益を優先すれば、判断を間違うことはないということです。それこそが真の意味での「共同体感覚」で、自分の利益だけを考えてしまっては判断を間違ってしまう、と言っています。
ここの頭の切り替えさえできれば、いろいろうまくいくんじゃないかなと思うわけです。
考えてみれば、マーケティングを勉強しても「相手目線で考えなさい」ということはよく言われます。ビジネスでは「他者への想像力が重要だ」と言われます。他人が求めているものは何か? 他人がどう思うか? それこそが重要です。
自分の利益だけを考えて利己的に振る舞う人に手を差し伸べる人はいないでしょう。なかなか難しいことではあるのですが「他人の役に立つためにはどうすればいいのか?」「世の中にどうやったら貢献できるのか?」と考えることができたとき、なんとなくうまくものごとが回り始める気がします。
「自分だけなんとかなればいい」「自分だけが利益を得られればいい」「自分さえ満足すればいい」……そういう思いでいると、その願いは叶えられない。逆に「相手の役に立とう」「まわりに貢献しよう」と考えることで、結果的に自分も満たされるということなのかもしれません。
そう考えていくと、実は「自分が成功する」必要もないのかもしれません。むしろ誰かを成功させたり、まわりを喜ばせたり、楽しませたりすることで、いつのまにか自分も成功している状態になっているということなのかもしれないです。
……と言っても、なかなか消えることがないのが「自分」というもの。しばらくは「自分」というものと付き合いながら、少しでも「共同体感覚」を持てるようになりたいなと思っている今日このごろです。
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