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旅立ち

家を追い出され始めた一人暮らし
苦労もあったけど、とても有意義な時間でした
そんな中、都会から来るバンドとご一緒させて頂いてるうちに
「あかん、俺もこのままじゃ」と思い立ち、四国脱出を心に誓う

そして選択は、東京orアメリカ

とりあえず、この地を離れる事を決めた私が次に取った行動は

ここまでの流れは↓

家を出て一人で暮らしているとはいえ、勝手に土地を離れるのはダメだろうと、実家に向かう
そして父に「話がある」と対面

「わいは本気で音楽がやりたい。ほなけん、アメリカ行くわ」
「は!?お前、アホやろ。アメリカなんか行ってやってけるわけないやろ」
「ほんなんゆうても、ここじゃあかんのや。このままは嫌なんじゃ」
「あかん、あかん。外国はあかん」
「ほな、東京行くわ」
「・・・」

という流れで、なんとか東京進出の許諾を得る
(得たかどうかは、正直わからないが、呆れておった笑)

そこから、東京行きへの準備を始める

とりあえず貯金はあるが、家借りたら終わるな
うーむ、と悩んでたら
東京に進学した高校の同級生からたまたま連絡があり
「東京行きたいんやけど、居候させてくれん?」
と言ったら、なんと二つ返事でオッケー、と

持つべきものは友ですな(感謝)

行く先も決まったので、思い残すことなく部屋を引き払い
荷物は実家に置かせてもらい
まさかドラムセットは持ってけないので、スネア一個持って、夜行バスで、あっけなく徳島を離れたのでした、、、

徳島のバンド仲間が見送りに来てくれた
懐かしい
皆が送り出してくれたんですよね
とてもありがたかった

夜11時くらいに出て、朝5時くらいに着いて
そこから中央線に乗って八王子
(同級生が八王子に住んでた)

初めての東京は、三多摩地区だったけど(笑)
03でもなかったけど(笑)
自分にとっては十分に東京でした

そこからバンドメンバーを探す
とりあえず雑誌見て、メンボ送り
自分もメンボ出し

そして、バイトを探す

これがまた難関で
東京来れば、すぐに見つかるだろうと思ったら、面接で落ちる、落ちる
当時、ロン毛の金髪だったからなんですが
ほんと厳しかった、、、

途方にくれたある日
八王子方面とは逆の高尾方面になんとなく歩いてたら、西八王子の先にレンタルビデオ屋を発見
何の気なしに中を覗くと、膝までロン毛のいかにもバンドマンな人が働いてる!
そして、店にはバイト募集の貼紙!!
迷わず飛び込みで入った
後日面接の約束を取り付け、見事合格

これでバイトはなんとかなった
ちなみに時給は950円
徳島時代と比較したら破格(笑)
やっぱ東京すごいぜ、って思った(笑)

ビデオ屋さんの先輩も仲良くしてくれて
(たまたま同じ年の方でした)
東京のバンド事情とかも色々教えてくれた

ビデオ屋で働くようになり、生活の目処もある程度ついてきたので、お世話になった居候先を出て、一人暮らしを始める
っても、同級生の家のすぐ近くだったんだけど(笑)
友達いないから(笑)

でも本当に、この時の同級生やその友人達にはお世話になった
とても仲良くしてくれた
ほんと感謝の言葉しかない
(就職した後もプラのblitzとか観に来てくれた)

バンドはと言えば
メンボ見て連絡した何人かとあって
そんな縁からそのうちの一つに加入しまして
ツインギター、5人編成のハードロックバンド(slit&slutってバンド)だった
ボーカルの人は同じ八王子だったんだけど、他メンバーは都内だったんで、リハの時は新宿まで行ってた
中央線で1時間くらい
田舎者には、移動するのも楽しかった
東京にいるって感じで(笑)
初LIVEは多分、神楽坂エクスプロージョン
プロージョンとか目黒のLIVE STATIONでやってた
都内で打ち上がって始発とかで帰るんだけど、遠いから寝ちゃって何往復もしてた(笑)
これは、楽しくなかった(笑)

どの流れでそのバンドが止まったのかは覚えてないんだけど、、、
そんなこんなしてるうちに、自分が出したメンボを見て連絡くれる方もおり
そこでまた何人かとあって、スタジオに入ったりしてるうちに、BLADEってバンドに入る流れになりました
このBLADEが、もともとZELIACORTのメンバーがやってたバンドで、その後そのままZELIACORTに改名(というか名前戻して)し活動していく流れとなるわけです

ビジュアル系に片足突っ込んじゃった頃の話
1994年ぐらい

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