辞令はある日突然に
東京かアメリカか
と、極端な話な前回でしたが
よくよく考えたら、その前に生活面でも大きな変化があったんでした(笑)
大学時代はアルバイトしつつ、音楽活動に勤しんでおりました
むしろ音楽活動が主なのでは、くらいに
とにかく、先輩たちがとても優しくしてくれたから、それはそれは毎日好きな事に没頭するという、大層楽しい時間を過ごしておりました
実家に住んでたので、週2〜3回くらいのバイト(塾の先生と家庭教師と掃除屋)で、それなりに過ごせてた
そんなある日、
無事20歳を迎えるわけです
帰宅すると、綺麗に荷物が纏められており、父上から
もう大人だ、出ていけ
と、、、
潔い(笑)
面倒を見るのは未成年まで、という事で(笑)
いや、そういう話はちょいちょい出てたけど、自分事として捉えてなかったので、いざその局面に立たされると
あー、こりゃ困ったなぁ
俺あまえてたなぁ、どうしたもんかなぁ
と、、、
ま、しょうがないか、そういう話だったし
と、とりあえず後輩に連絡し、しばし居候させて頂く事に
それはそれで甘えてる、しかも年下に(笑)
そこから、家を探しつつ、バイトしつつ
(一応学校も行ってた)
ほどなく、借りられそうなとこを見つけて一人暮らしのはじまりはじまり
大学の真横にあった破格のアパート
28,000円くらいのとこでした
トイレとシャワーが一体型という無駄のないつくりのお部屋
(この部屋で可愛いお化けの話もあるんですが、またそれは今度(笑))
だがしかし、当たり前だが、家賃と生活費と音楽活動を、と考えると「今の暮らしじゃさすがにダメだな」と、なり
次の春に休学届出した(そっち?笑)
そしてTSU◯AYAでバイトを始め
(ロン毛で黒髪じゃなかったけど「縛ってたらいいよ」と当時の店長さんが雇ってくれた
ありがたや(泣))
夜は音楽スタジオ&掃除屋
そんな感じで楽しく音楽活動を続けておりました
そんな生活してるもんだから、より強く「音楽で食ってきたい」と考えるようになり、
前回の最後につながる
という訳でした
ちなみに当時の徳島のTSU◯AYAの時給は550円か580円スタートだったと思う
昇給しきって+100円
そう思うと、物価あがったねぇ(笑)
まぁ30年も前の話ですが
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